実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

抗体ある研修医 麻疹発症の謎を追う

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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理解してから接種する--「ワクチン」の本当の意味と効果【26】

 麻疹抗体陽性の研修医が麻疹を発症……。

 山形県で起きたそんなニュースを私が最初に知ったのは、2017年3月26日付の読売新聞(オンライン版)の記事でした。記事には「研修医は過去にワクチン接種を受け、昨年5月の検査で免疫があると診断されていた」と記載されています。

 「修飾麻疹」と呼ばれる「軽症の麻疹」があります。これは、過去にワクチンを接種しているものの、時間がたって抗体価(免疫能によって作られる抗体の強さ)が低くなり、免疫能が不十分になった時に感染した麻疹のことを言います。ただし、修飾麻疹は「抗体価が低い時」にウイルスに感染して発症するものであり、「抗体価が高い時」には感染せず発症しないはずです。

 読売新聞の記事には「免疫がある」とされています。「これは“誤報”であり、正確には『免疫が不十分』では?」と考えた私は、他のメディアでこの件を報じた記事を探してみました。毎日新聞では医師がワクチン接種していたことを述べ、「同病院(筆者注=研修医の勤務していた公立置賜総合病院)によると、はしかはワクチンを接種して抗体を持つ人でも、まれに発症することがあるという」と書かれています。これは微妙な表現です。この文章からは抗体価が充分に高かったのか否かを判別することができません。

抗体があるのに発症した研修医

 調べていく過程で、研修医が所属する公立置賜総合病院が詳細を公表しているのを見つけました。「公立置賜総合病院で発症した修飾麻しんについて」と題した発表には、「当院では、医師等を対象に予め抗体検査をしており、抗体を有する医師を治療担当者としている。当該医師は、事前の血液検査で麻しんの抗体を持っていた」と、はっきりと述べられています。抗体検査の方法や、その抗体価は記されていませんが「抗体を有する医師を治療担当者としている」「抗体を持っていた」と断言されていますから、抗体価は十分に高値であったと考えられます。

 ということは、この研修医の麻疹ウイルスの感染そして発症は、それが修飾麻疹であったとしても、従来の考えを覆す事態ということになります。

繰り返し覆ってきた麻疹ワクチンの常識

 ここで、麻疹ワクチンについて、日ごろ私が患者さんにどのように説明しているのかを紹介したいと思います。理解しやすいように、私は「麻疹ワクチンの考え方はこれまでに2回変わっている」と伝えるようにしています。

 最初は、麻疹ワクチンは一度接種すれば生涯有効、と考えられていました。しかし、一度では不十分であることがわかってきたため、06年度から定期接種で2回(1歳時と小学校入学前)接種することになりました。しかし、この措置が取られたのが結果的には遅く、07年には中高生を中心に麻疹が流行してしまいました。そこで、08年度からは5年間の期限付きで13歳と18歳で2回目の接種ができることになりました。

 では、2回接種していれば万全なのか。残念ながら十分ではないことが分かりました。16年の流行時にはワクチンを2回接種しているのにもかかわらず感染した例があったのです。ならば、2回接種をすれば何%の人で十分な抗体価が形成されるのか、ということが気になりますが、これを検証した調査はおそらく存在しないと思います。今のところ言えるのは、「麻疹ワクチンは2回必要。しかし、頻度は低いものの2回接種しても抗体が作られないことがある」ということです。

接種後の抗体検査でワクチンの効果を確認する

 しかし、そんな中途半端なことを言われても困ります。どうすればいいのでしょうか。確実な方法は「ワクチンを2回接種した後、抗体検査をおこなう」ことです。ですが、抗体検査には費用がかかります。麻疹ワクチンについては小児の場合は定期接種ですから無料で接種できますが、抗体検査は通常は公費負担がありません(注1)。成人の場合は、ワクチンが自費になり、さらに抗体検査も必要となると費用を捻出するのが大変です。さらに現在、麻疹ワクチンは16年の夏の流行の影響を受けて品切れ状態が続いています。接種するなら麻疹・風疹混合ワクチンをうたねばなりません。風疹の抗体価も低い人にはいいでしょうが、麻疹だけを希望する人には納得しがたいかもしれません。

 問題はまだあります。抗体の陽性の「基準」をどうするか、です。山形の研修医は「抗体陽性で感染」しています。ならば、その研修医の抗体価よりも高い抗体価がなければ、理論上、研修医と同じように感染する可能性があります。ですから、私はこの山形の研修医が麻疹に感染する前の抗体価を知りたいと考えました。ですが、病院の公式発表にはその情報が載せられておらず、個人的に複数のルートを使って探ってみたのですが分かりませんでした。いったいどういった検査でどれだけの抗体価(注2)があれば安心できるのでしょうか……。

 さらに問題は残ります。仮にワクチンを2回接種して、その後抗体価を測定し十分に高かったとしましょう。ですが、果たして5年後、あるいは10年後にも十分に高い状態を維持できるかは分かりません。もし抗体価が低下していたら、ワクチンの追加接種は必要でしょうか。だとすればその基準はどう設定すればいいのでしょう。検査は何年ごとにすべきか、基準値をどうすべきか、自信をもって答えられる人はいません。

軽症の「修飾麻疹」故の感染拡大リスク

 なんだか不安をあおるような話になってしまいました……。ここで発想を変えてみましょう。この研修医は麻疹ウイルスに感染したのは事実ですが、通常の麻疹ではなく「修飾麻疹」を発症しました。修飾麻疹とは、一言で言えば麻疹の「軽症版」です。高熱が出ず(この研修医は37.5度)、皮疹は少なく、倦怠(けんたい)感も軽度です。脳炎や肺炎に進行したり、後遺症を残したりすることもまずありません。

 けれども、安心できることばかりではありません。軽症であるということは、それだけ診断がつきにくくなる、ということです。麻疹は重症であればあるほど典型的な症状がそろい比較的簡単に診断がつきます。ですが、修飾麻疹の場合、症状は軽度で、非典型例となるために、それなりに経験のある医師でもなかなか疑えないのです。また、疑ったとしても検査結果がいつも正確であるとは限りません(注3)。診断がつきにくいことがどうして困るかというと、その間に他人に感染させるリスクが上昇するからです。

 我々臨床医の立場からすると、厚生労働省が、「ワクチン2回接種後○カ月後に抗体検査必要。抗体価が○○以下であれば追加接種必要。○年ごとに抗体検査を行うべし」といった分かりやすい診断基準を作成してほしい、と考えてしまうのですが、その根拠となる疫学的なデータがありませんから、当分の間このような基準は出てこないと思われます。

 現段階では、年齢、既往歴(免疫系の疾患を持っている人は重症化しやすいからより注意が必要)、職種(医療者や外国人と接する職業はより注意が必要)、海外渡航の頻度、今後の妊娠の可能性などを総合的に勘案して各自が主治医と相談して決めていく以外に対策はなさそうです。

   ×   ×   ×

注1:ワクチン接種後に必ず抗体検査をしなければならないのはB型肝炎ワクチンです。B型肝炎ワクチンは3回接種しても抗体獲得率は95%程度です。感染力が強く、命にかかわることのある感染症ですから、ワクチン接種しただけで抗体があると思い込むのは危険です。抗体形成確認検査を公費でおこなってくれる自治体はほとんどないと思われますが、自分自身を守るために自費であったとしても検査をしておくべきです。

注2:麻疹の抗体検査にはEIA法、PA法、HI法、NT法など複数の方法があります。どの方法が適していて、どの程度の数値があれば陽性とみなされるかについてはさまざまな意見があります。また費用も検査法により異なります。

注3:麻疹の検査においては、麻疹IgM抗体を調べて陽性となれば“一応は”「確定」と考えますが、検査のタイミングが早すぎると、本当は陽性なのに陰性の結果が出ます(これを「偽陰性」と呼びます)。また、伝染性紅斑(リンゴ病)でも、なぜか麻疹IgM抗体が陽性になる(これを「偽陽性」と呼びます)ことがあり、両者とも発熱+皮疹の疾患ですから鑑別に悩むことがあります。また通常の麻疹であれば麻疹IgG抗体は陰性となるのですが、修飾麻疹は陽性となります。

谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト