実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

医師も裏をかかれる 淋菌の生存戦略

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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抗菌薬の過剰使用を考える【12】

 日本初の女性医師、荻野吟子を生涯悩ませ続けた淋病(りんびょう)。ペニシリンをはじめとする優れた抗菌薬の登場で簡単に治る病となったと思いきや、ことはそう簡単ではありません。今回は、現代の淋病に伴う「誤解」について実際の症例を通して述べていきたいと思います(ただし、実際の症例とは少し内容を変えています。もしもあなたの知り合いに似たような人がいたとしても、それは単なる偶然であると考えてください)。

尿道や子宮だけではない淋菌の驚くべき生存戦略

【症例1】30代女性Aさん

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)には高脂血症と花粉症で定期的に通院しているAさん。今回は、昨日の夜から残尿感と排尿時の痛みがあり次第に悪化してきたとのことで受診。尿をとってもらい沈渣(ちんさ=尿を遠心分離機にかけて沈殿した固形成分のこと)のグラム染色を行うと、白血球の一種、好中球に貪食(白血球が異物を取り込むこと)されたグラム陰性双球菌、淋菌が確認されました。合わせて行った他の検査方法でも淋菌陽性。これによって「淋菌性膀胱(ぼうこう)炎」確定です。

 診察はここで終わらせてはいけません。淋病は性的接触がないと感染しません。問診から、Aさんにはパートナー以外の男性と性的接触があることが分かりました。こういうケースの多くは、子宮頸部(けいぶ)にも感染しています。腹痛やおりものの異常はまったくないと言いますが、子宮頸部のグラム染色及び他の検査で「淋菌性子宮頸管炎」も確定しました。他の症例では子宮頸部には感染しておらず膀胱炎だけ、という場合もあります。また頻度はまれですが、無症状の淋菌性膀胱炎もあります。

【症例2】20代女性Bさん

 1カ月以上、咽頭(いんとう)が「いがらっぽい」との訴えで受診されました。発熱はなく、食欲はあるそうです。せきはごくわずかで、たんはありません。その上、喉を見ても咽頭発赤(赤くなること)はほとんどありません。この症状からは、細菌感染は到底疑えません。問診からたばこを吸っていることがわかり、まずは禁煙するのが先決という話をしましたが、Bさんは引き下がりません。軽度であっても、1カ月も違和感が続くのは気になるのでしょう。

 そこで咽頭スワブ(綿棒で咽頭粘膜をぬぐったもの)のグラム染色をおこなうと、意外なことに多数の炎症細胞が確認できました。そして貪食されたグラム陰性双球菌も。これは淋菌です。別の検査でも淋菌陽性であり「淋菌性咽頭炎」が確定です(注1)。もしも私に禁煙の指示を受けてBさんが引き下がっていたら見逃すところでした。

淋菌性咽頭炎の患者から取った咽頭スワブをグラム染色し、顕微鏡で観察した画像=筆者撮影。円内は好中球に貪食されている淋菌(小さな粒状のもの)。他の細菌による咽頭炎であればこのような炎症所見があるとそれなりの痛みが出るはずだが、淋菌の場合はほぼ無症状のことが多い
淋菌性咽頭炎の患者から取った咽頭スワブをグラム染色し、顕微鏡で観察した画像=筆者撮影。円内は好中球に貪食されている淋菌(小さな粒状のもの)。他の細菌による咽頭炎であればこのような炎症所見があるとそれなりの痛みが出るはずだが、淋菌の場合はほぼ無症状のことが多い

 通常、淋病といえば、男性なら尿道炎、女性なら子宮頸管炎を想像しますが、実際には女性の膀胱炎(または尿道炎)も珍しくありませんし、咽頭炎にもしばしば遭遇します。また、肛門性交を行う人であれば肛門粘膜に感染していることもあります。生存できるのであればどんな場所にでもすみついてやる!と言わんばかりの強い生命力をもっているのが淋菌なのです。

感染してもまったく症状が出ないケースも

 症例2のBさんは「何かがおかしい」と感じて谷口医院に来られたのですが、いがらっぽいという程度ではわざわざ医療機関を受診しないという人の方が多いのではないでしょうか。また、たとえ受診したとしても、私自身が見逃しかけたように、違和感程度では通常は検査をおこないません。医師の使命は検査や投薬をできる限り減らすことだからです。もしも、Bさんが「インフルエンザの検査をしてください」と言えば、私はいくら頼まれても断っていました。咽頭スワブのグラム染色をおこなったのは、淋菌を見つけるためではなく、炎症がほとんどないことを示して抗菌薬は不要であるという説明をしたかったからです。

 ですが、結果的に私の予想は外れました。Bさんの「勘」が正しかったのです。もっとも、Bさんもまさか淋病と言われるなどとは夢にも思っていなかったわけですが。

【症例3】20代男性Cさん

 新しく交際を開始したパートナーの女性がおりものの異常を訴えて近くの医療機関を受診したところ、淋菌性子宮頸管炎との診断。女性から「あんたにうつされた!」と激しくののしられ、動転したCさんは谷口医院を受診して必死に訴えます。「僕じゃない。だって僕は何も症状がないんです……」、しかしCさんの尿からは淋菌が検出され、「淋菌性尿道炎」の診断が確定しました。

 Cさんのように淋病は必ず症状が出ると思い込んでいる人は少なくありません。確かに、淋菌性尿道炎はクラミジア性の尿道炎などと比べると症状が出やすいと言えるでしょう。ですが、Cさんのようにまったく無症状という場合もあるのです。もっとも、少し考えてみると、必ず症状が出るのであれば性行為を行う前に医療機関を受診するでしょうから、無症状の場合も多いというのは当然といえば当然です。

 Aさんも子宮頸部の感染は無症状でしたし、Bさんも「のどがいがらっぽい」という程度で、まったく無症状の淋菌性咽頭炎も珍しくありません。感染しても宿主に症状をもたらさない……。これも淋菌が現代まで生き残っている戦略の一つなのです。

抗菌薬がまったく効かない淋菌への対処法とは

 21世紀になってから日本やフランスなどで、まったく抗菌薬の効かない淋菌の症例が複数報告されています。学会などで報告されたこれらの症例のその後をうかがい知ることはできません。しかし患者が死亡したという報告も聞きませんから、おそらく荻野吟子のように、患者さんは時折襲ってくる激しい痛みに耐えながら過ごしているのではないでしょうか。このような人は、新しい抗菌薬の登場を待っているはずです。そして前回も述べたように世界保健機関(WHO)は2017年2月に公表した「最も重要な薬剤耐性菌12種」のリストに淋菌を加えました。

 淋菌がわずか4時間で完治したのはもはや遠い過去のこと。21世紀の今、カルバペネム耐性緑膿菌、バンコマイシン耐性腸球菌など、効く抗菌薬がほとんどなく、治療が非常に厄介な「多剤耐性菌」のカテゴリーに、「多剤耐性淋菌」も加えられているのです。

 そんな現状に我々はどのように立ち向かえばいいのでしょうか。薬剤耐性菌対策で最も重要なことは、医療機関での抗菌薬の過剰使用を控えるということです。イングランドでニューキノロン系抗菌薬の使用を最小限にした結果、クロストリジウム・ディフィシルが8割も減少したことは、この連載でも紹介しました(「難敵耐性菌を制圧した英国の“王道”政策」参照)。

 この方法は淋菌に対しても重要かつ効果的ですが、それ以上に大切なのは危険な性交渉を控える、ということです。このような場合、「危険な」と言うと突然始まるロマンスや不特定多数との性交渉のことを指す、と思われるかもしれませんが、そうではありません。長い交際期間を経ての性交渉であったとしても、淋病は症状が出ないことも多々あり、当人がまったく気付いていない場合があるのです。ですから、最も勧められるのは、新しいパートナーができた時、性交渉を持つ前に2人で検査を受けることです。症状が出ない性感染症は淋病だけではありません。HIV、梅毒、B型肝炎、クラミジア尿道炎/子宮頸管炎なども無症状であることが多く、これらを含めてまとめて検査をするのがいいでしょう。

 あなた自身とあなたのパートナー。淋菌に感染している可能性はないと言い切れますか?

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注1:好中球に貪食されたグラム陰性双球菌がみつかればそれだけで100%の確証をもって淋病と言えるわけではありません。「まだまだある、危険な『死に至る風邪』」の回で紹介した髄膜炎菌も淋菌も同じグラム陰性双球菌です。尿道や子宮頸部からみつかった場合はほとんどが淋病の診断で合っていますが、咽頭でグラム陰性双球菌が見つかったときは他の方法でも検査して確定するべきです。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。