実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

「ピロリ菌と除菌」の常識に抱く疑問

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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抗菌薬の過剰使用を考える【14】

 がんを起こす感染症は?と問われれば、あなたはいくつ答えることができるでしょうか。医学生が国家試験の勉強をしている時に、仲間同士でよく出題するクイズの一つです。正解は、B型肝炎ウイルス=肝臓がん、C型肝炎ウイルス=肝臓がん、HPV(のハイリスク型)=子宮頸(けい)がん、EBウイルス=上咽頭(いんとう)がん、HTLV-1=成人T細胞白血病、ヘリコバクター・ピロリ=胃がんです。このなかで最も有名なのはおそらくヘリコバクター・ピロリ(以下「ピロリ菌」)ではないでしょうか。最近は企業の健康診断のほか、地域によっては学校健診や市民健診でも調べられる機会が増えてきています。

 胃に何らかの症状があって医療機関を受診し、ピロリ菌が発見された時のみならず、無症状だが健診で見つかった時も、ほとんどの医療者は「除菌」を勧めます。なぜ除菌が必要なのか。もちろん放っておけば、将来がんになるかもしれないのならば、直ちに除菌すべきだと考えたくなります。実際世界中のほとんどのガイドラインはそれを推奨しています。ですが、“疑うことなく”ピロリ菌陽性者全員に除菌をすべきなのか、私は疑問に感じています。本来、「奇をてらわずガイドラインを基本として治療を行う」のが、私の信念です。しかしピロリ菌については、その信念がゆらぎ始めているということです。今回と次回で、その理由を紹介したいと思いますが、最初にピロリ菌発見にまつわるドラマチックな歴史を振り返ってみたいと思います。

胃の上皮細胞に取り付いたピロリ菌(白く細長い部分)をとらえた電子顕微鏡写真=畠山昌則・東京大教授提供
胃の上皮細胞に取り付いたピロリ菌(白く細長い部分)をとらえた電子顕微鏡写真=畠山昌則・東京大教授提供

生物がすめるはずのない環境で生きるピロリ菌

 コーヒー? アルコ-ル? それともストレス? 胃が痛くなる状態、つまり胃炎や胃潰瘍の原因は長らくこういったものだろうと考えられてきました。その発想は全く的を射ていないのではなく、実際、お酒を飲みすぎたり、強い精神的ストレスを抱えたりすると、胃が痛くなる人は大勢います。ですが、深刻な胃炎や胃潰瘍の真の原因はピロリ菌であることが、現在ではわかっています。

 胃酸によって強い酸性の環境になる胃内部には、生物はすめない、というのが長い間、常識的な考えとされていました。20世紀前半から、胃内部にも細菌がいるのではと考える「細菌生息説」はあったものの、誰も証明することができなかったのです。しかし、1982年から83年にかけ、オーストラリアのバリー・マーシャル、ロビン・ウォーレンの両氏が胃で生息するピロリ菌の培養に成功します。この成功の裏には今も語り継がれている興味深いエピソードがあります。当初は培養がうまくいかず失敗が続いていました。培養というのは特殊な培地に菌が含まれていると考えられる検体を付着させ、数日後に菌が発育しているのを確認することを目的として、行います。

休暇が生んだ大発見とノーベル賞

 ある日のこと、培養試験を実施したものの助手がイースターで休暇を取ったために、予定よりも数日間遅れて判定をすることになりました。すると、ピロリ菌が仲間を増やしていた、つまり培養に成功したのです。ピロリ菌は通常の細菌に比べ、増殖速度が遅く、培養するのに長い時間が必要だったのです。

ピロリ菌をデザインしたネクタイを着け、インタビューに答えるバリー・マーシャル博士=つくば市内で2016年3月9日、須田桃子撮影
ピロリ菌をデザインしたネクタイを着け、インタビューに答えるバリー・マーシャル博士=つくば市内で2016年3月9日、須田桃子撮影

 エピソードはまだあります。ピロリ菌が胃内に生息することが確認できても、胃炎や胃潰瘍の原因になるとまでは断言できません。これを証明するために、マーシャル氏は自らピロリ菌を飲んで実際に胃炎を発症することを示したのです。その後、胃がんの原因の大部分がピロリ菌であることもさまざまな研究・調査から明らかになりました。ピロリ菌の発見は医学史に刻まれる重要なものであり、マーシャル、ウォーレンの両氏には2005年にノーベル医学生理学賞が授与されました。

胃潰瘍、胃がんとの証明された因果関係

 次に、ピロリ菌が胃潰瘍や胃がんをどの程度の確率で発症させるかについて、見ていきましょう。世界的な医学の教科書「UpToDate」によれば、ピロリ菌陽性者が生涯で胃潰瘍、十二指腸潰瘍を発症するのは5~10%程度とされています(注1)。10~20%程度とする研究(注2)もあります。

 胃がんはどうでしょうか。ピロリ菌と胃がんの関連性については、世界的に最も規模が大きく信頼性が高いとされている研究は日本で行われており、医学誌「New England Journal of Medicine」で報告されています(注3)。この研究の対象者はピロリ菌陽性の日本人1246人。平均追跡期間は7.8年で、この間に胃がんを発症したのは36人(2.9%)となっています。この数字をみると、やはり「早期発見・早期治療」を呼びかけたくなります。ピロリ菌に感染しても多くの人は無症状なわけですから、効率的に「早期発見」をするには健診で調べるのが有効です。そして「早期治療」とは除菌に他なりません。

 ピロリ菌の感染ルートは「経口感染」、つまり口からピロリ菌が入ることにより感染します。井戸水にはピロリ菌が含まれていることが指摘されています。実際、日本では上水道が普及していなかった時代にはかなりの人が感染しており、年齢が上がるにつれて陽性率が上昇します。現在60歳以上の人では5割以上が感染していると言われています。井戸水など飲んだことがない、という若い人でも家庭内などで感染したと考えられる人は多く、陽性者は珍しくはありません。

爆発的に普及した「早期発見」「早期治療」

 早期発見をするには、各自が医療機関を受診すればいいわけですが、自らの意思で検査を希望する人はそう多くありません。実際に無症状でピロリ菌陽性が判明するのは企業などで行う健康診断がおそらく最多です。労働安全衛生法で定められている健康診断の項目にピロリ菌の検査はありませんが、福利厚生が充実した企業などでは実施されることが多いのです。佐賀県では、16年度から中学生を対象にピロリ菌の無料検査が行われています。甲府市では17年度から19~39歳の市民を対象に自己負担金1回800円での検査が開始されました。

 健診でピロリ菌陽性が分かれば、「早期治療」すなわち「除菌」が勧められます。以前は、胃潰瘍もしくは十二指腸潰瘍があった場合しか、保険診療による除菌は認められていませんでした。そもそも、除菌=治療だけでなく、ピロリ菌の有無を調べる検査も、保険診療として認められていたのは上部内視鏡(胃カメラ)検査を実施して肉眼的に潰瘍が認められた場合のみだったのです。胃炎の症状があるだけで、内視鏡による検査も除菌も保険診療が可能となったのは13年2月のことです。さらに前述のように、最近は健診での検査が普及しています。この場合の検査は、必ずしも内視鏡検査を行うわけではなく、呼気検査、便検査、尿検査、血液検査などで調べます。

 つまり、検査が急速に広がり、陽性者が次々と現れ、当然のように除菌が行われる時代になったわけです。これを「すごくいい時代になった」と評価する人もいるかもしれません。しかし、私には手放しに喜んでもいいものか、という疑念が湧いています。その理由は次回、説明します。

(後編に続く)

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。