実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

ピロリ菌「全例除菌」を勧めない理由

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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抗菌薬の過剰使用を考える【15】

 多くの日本人が感染しているヘリコバクター・ピロリ(以下「ピロリ菌」)。高齢者のみならず若年者の間でも感染は珍しくなく、しかも無症状であることから集団検診の有用性が指摘され、最近では市民健診や中学生対象の健診でも取り入れられるようになって、早期治療としての「除菌」が普及してきている、というのが前回、解説したポイントです。今回は、その「早期治療」に弊害がないかを検討したいと思います。

2014年度から中学1年生を対象に学校健診でのピロリ菌検査を導入した兵庫県篠山市の検査の流れ
2014年度から中学1年生を対象に学校健診でのピロリ菌検査を導入した兵庫県篠山市の検査の流れ

 ピロリ菌は細菌学的にはらせん状をしたグラム陰性菌(グラム染色で赤く染まる菌)です。細菌ですから除菌には抗菌薬を使います。まずは「1次除菌」が行われます。これは2種の抗菌薬とPPI(プロトンポンプ阻害薬)と呼ばれる胃薬を併用します。これで約7割が除菌に成功しますが、成功率は年々下がってきています。1次除菌に「失敗」した場合、2次除菌を行うことになります。2次除菌ではより強い抗菌薬を用いますが、必ず成功するわけではありません。

 除菌が完全な治療法でない理由はまだあります。「再感染」の例が少なくないという報告があるのです。医学誌「JAMA」2013年2月13日号(オンライン版)に掲載された論文(注1)によりますと、ピロリ菌の除菌後に陰性が確認できた人の11.5%が1年後に再感染していたことが分かりました。この研究は、ラテンアメリカで行われたもので、日本人の再感染率は不明ですが、私が診ている患者さんの中にも、一度除菌に成功したものの再感染した例があります。

薬剤耐性のピロリ菌が除菌を困難に

 このような除菌の“失敗”がなぜ起きるのか。最大の原因は「薬剤耐性菌」です。この連載では「日本初の女性医師を苦しめた病とは」と「医師も裏をかかれる 淋菌の生存戦略」の2回にわたり淋菌を、「鶏の生食が危険な二つの理由」の回ではカンピロバクターを取り上げました。これらは世界保健機関(WHO)が2017年2月に公表した「最も重要な薬剤耐性菌12種」に含まれています。そして、ピロリ菌もこの12種の一つなのです。

 WHOの報告では、薬剤耐性のピロリ菌は「クラリスロマイシン耐性のピロリ菌」とされています。クラリスロマイシンは1次除菌で用いられる抗菌薬です。2次除菌で使われる抗菌薬、メトロニダゾールについては、WHOは触れていませんが、すでに2次除菌にも失敗する例が出ており、今後は1次除菌のみならず2次除菌も成功率が下がっていくことは間違いありません。さらに3次除菌を実施している医療機関も国内にありますが、自費診療のため費用が高くなりますし、これもそのうち効かなくなるでしょう。そして4次除菌、5次除菌……となるのでしょうが、結局のところ新しい治療と耐性菌のいたちごっこになります。

 一般に、抗菌薬を使えば使うほど耐性菌の出現リスクは増加します。日本では高齢者の過半数以上がピロリ菌陽性です。もしも日本人の陽性者全員に除菌を行ったとすれば、一体どれだけの薬剤耐性菌が発生するのか。想像するのも恐ろしいほどです。

除菌成功後に逆流性食道炎になることも

 そして除菌が成功した場合でも、弊害は起こりえます。実は除菌後に「逆流性食道炎」を発症する人が少なくないのです。ただし、この意見には反論も多く、世界中で議論されています。現在も決着がついたとは言えませんが、世界的な医学の教科書「UpToDate」から最新の見解を見てみましょう(注2)。

 胃は「胃体部」と呼ばれる胃の中央部と、十二指腸に近い「幽門部」に分けることができます(解剖学的にはさらに詳しく分類されますが、ここでは便宜上「胃体部」「幽門部」の二つに分けます)。「UpToDate」によると、胃体部または胃全体に胃炎や胃潰瘍が起きている場合、ピロリ菌の除菌により逆流性食道炎が少し悪化します。一方、幽門部に胃炎・胃潰瘍がある場合は、除菌後に逆流性食道炎の症状が改善します。

 前回述べたように、ピロリ菌の陽性者が胃潰瘍、十二指腸潰瘍を発症する生涯リスクは10%程度です。また胃がんの発症率は陰性者の2~3倍程度と言われています。これらを勘案し、世界のほとんどのガイドラインは除菌を推奨しています。たとえ逆流性食道炎になる可能性が上がったとしても、除菌のメリットの方が大きいと考えられているのです。

ピロリ菌の有無を調べる尿素呼気試験
ピロリ菌の有無を調べる尿素呼気試験

 しかし、それらのガイドラインが薬剤耐性菌のことをどこまで考慮しているかが、私には疑問です。米国感染症学会の元会長で、ニューヨーク大学で微生物学の教授を務めるマーティン・J・ブレイザー氏は著書「失われてゆく、我々の内なる細菌」(みすず書房)のなかで、自らが除菌後に逆流性食道炎で悩まされていることを告白し、除菌に疑問を呈しています。

日本特有の事情を生かした対策

 ではどうすればいいか。世界とは異なる二つの「日本特有の状況」に着眼して対策を考えるべきだ、というのが私の考えです。

 一つ目の状況とは、日本は先進国の中では(韓国と並んで)ピロリ菌陽性率、胃がん罹患(りかん)者が極めて多いということです。だからより積極的に「早期発見・早期治療=除菌を」と言われるのですが、そちらに突き進めば非常に高率で薬剤耐性菌が生まれるのは、先に述べた通りです。

 二つ目の日本特有の状況とは、「日本の医師は、内視鏡(胃カメラ)を用いる技術が極めて優れている」ということです。これほど消化管内視鏡の技術が発達した国は他にありません。検査のみならず、内視鏡を使った早期胃がん治療の実施数、成績も世界一といっていいでしょう。胃の粘膜にできたがんは早期発見できれば、ほとんどの場合、内視鏡だけで完治が望めます。

 つまり、ピロリ菌を持っていても症状がない人は、定期的に胃の内視鏡検査を受けてがんの早期発見に努め、見つかり次第、内視鏡治療を受けるという選択肢が出てきます。必ずしも「早期治療=除菌」にこだわらなくても、いいのではないか、ということです(注3)。

「早期治療=除菌」と限定しない選択肢を

 前回から解説してきた内容をまとめましょう。

○ピロリ菌陽性で自覚症状がない場合、胃潰瘍、十二指腸潰瘍を発症するのは生涯10%程度、胃がんは約3%です。これをどのように見るかは個人の考えによります。

○除菌は必ずしも成功せず、今後失敗率はさらに上昇すると見られます。

○除菌後に逆流性食道炎が起こるリスクが上がる場合があります。

○多数のピロリ菌陽性者が除菌を行えば、耐性菌の発生が増えます。

○日本の医師は内視鏡を使う技術が高く、胃がんは一部の例外を除き、早期発見できればほとんどのケースで完治が望めます。

 ピロリ菌対策は、これらのことをすべて視野に入れて、個人ごとに検討すべきではないか、と私は考えます。そして社会全体の耐性菌対策を考えれば、除菌という治療法は、高齢者よりも若者に対して優先すべきではないか、とも考えています。

   ×   ×   ×

注1:「Risk of Recurrent Helicobacter pylori Infection 1 Year After Initial Eradication Therapy in 7 Latin American Communities」という論文です。

注2:こちらから読めます(有料)。

注3:ただし胃の粘膜の下にできる腫瘍(胃MALTリンパ腫など)の場合は、内視鏡では発見が遅れることがあります。また、除菌に比べて内視鏡は費用がかさみますし、内視鏡検査・治療に伴う出血や消化管を傷つけるなどの合併症のリスクもあります。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。