パロ・サントの上で求愛を始めたグンカンドリのオス。世界最大のグンカンドリで、正式名はガラパゴスアメリカグンカンドリ(学名:Fregata magnificens magnificens)
パロ・サントの上で求愛を始めたグンカンドリのオス。世界最大のグンカンドリで、正式名はガラパゴスアメリカグンカンドリ(学名:Fregata magnificens magnificens)

エクアドル:ガラパゴス諸島高山地帯の「湿潤の森」

 前回は、ガラパゴス諸島沿岸部の「乾燥の森」に生育する薬草である巨大なウチワサボテンとトマトの先祖を紹介した。今回は、諸島で最も多くの人が暮らすサンタクルス島で、沿岸部から高山地帯にかけて見られる薬草を紹介する。

一見枯れ木のような「聖なる木」

 今回も薬草に詳しいナチュラリストガイドのブランカと、街がある沿岸部から島の中央に位置する高山地帯を目指した。車を1kmも走らせないうちに、広大な森に入った。周囲の木は日本のシラカバのように幹が白いのだが、木についているはずの葉っぱが見当たらない。26年前に初めて見たときには、枯れ木の森かと思ってしまったのだが、実は乾期の間は、水分が蒸発して失われるのを防ぐために、木が自ら葉を落としているのだ。雨季がやってくると突然、数日間で枝からたくさんの新芽が吹き出してくる。とても奇妙な植物だ。島では「パロ・サント」と呼ぶ。「聖なる木」という意味だ。

お香や蚊取り線香に

 パロ・サント(Bursera graveolens)は、ガラパゴス諸島に限らず、中米から南米にかけての乾燥地帯に広く分布している。ブランカに「聖なる木」の名前の由来をたずねると、「教会で使うから」という答えが返ってきた。教会ではいつも、パロ・サントの香りが漂っているのだという。

 「教会だけじゃないですよ。昔はガラパゴスでも南米大陸と同じように、家の中でパロ・サントの小枝に火をつけて、煙をたいていたんです。香りもよくて、しかも蚊が寄ってこなくなるんです。匂いをかいでみますか?」。そう言って、ブランカは地面に落ちていたパロ・サントの小枝を、ぼくの目の前に差し出した。小枝から香ってくる匂いには、レモンやミントのような爽快感がある。ちょうど、日本のお香や蚊取り線香の役目を果たしているのだ。

胃炎や風邪、中耳炎に

 それだけではない。パロ・サントはガラパゴスの住民やアンデスの先住民にとって、伝統的な胃薬にもなる。燃やした時の煙や、枝から抽出されたオイルの匂いをかぐことによって、胃の痛みを軽減する効果があるという。「わたしの母が言うには、パロ・サントの匂いには風邪やインフルエンザの症状を軽くする効果もあるらしく、わたしが小さい頃は実際に風邪薬のように使っていたみたい」。ブランカの家族は古くから町で薬局を営んでいて、母親は薬剤師だ。また、アルゼンチン北西部で暮らす先住民クリオロ族の伝統医療では、他の薬草と混ぜてパロ・サントを燃やし、中耳炎等を患っている人の耳に、その煙を吹き込んで治療するという。

インカの邪気払いからアロマオイルまで

 古くはインカ帝国の時代にも、パロ・サントは祈りに欠かせない「聖なる木」であった。巫女(みこ)や祈禱師(きとうし)のような宗教的職能を持つシャーマンが行う祭礼のうち、その場に漂う悪いエネルギーや、人の体内に入り込んだ邪気を取り払う儀式で、パロ・サントが使われていた。そういった儀式は現在も、中南米各地のシャーマンに受け継がれている。

 現代の化学的な分析によれば、パロ・サントから抽出した油には「D-リモネン」という成分が50%以上含まれているという。D-リモネンは、柑橘(かんきつ)類の皮に多く含まれ、洗剤の汚れ落とし成分やプラスチックやゴム用の接着剤としても広く使われているが、神経の興奮を抑える鎮静作用もあるとされる。この効果によってパロ・サントはアロマオイルとして使われるようになり、近年、アメリカなどで商品化され、オイルから作られた殺虫剤も販売されている。さらに、日本薬学会発行の学術誌「Chemical & Pharmaceutical Bulletin」に2005年、掲載された論文は、パロ・サントの幹から抽出された成分が、ヒトの線維肉腫細胞(ある種のがん細胞)の1種に対して、その活動を阻害する作用を示したと報告している。

高地の湿潤の森はヒーリングの場

 パロ・サントの森からさらに車で20分ほど登ると、標高は1000m近くに達する。このあたりの年間降水量は1000mmほど。日本国内なら長野地方気象台(長野市)の年間降水量に近い。年間降水量100mmほどでサボテンが広がる砂漠のような気候の沿岸部と比べると対照的な湿潤の森だ。この森で見られる代表的な植物はツリー・スカレシア(Scalesia pedunculata)である。スカレシア属はガラパゴス固有のキク科の植物で、その中でもツリー・スカレシアは、樹高が15~20mにまで成長する。

 ブランカとツリー・スカレシアの森を散策することにした。サンタクルス島の島民は、ほとんどが沿岸部の乾燥した地域で暮らしていて、たまに湿気を求めて気分転換にこの森にやってくるのだいう。「一種のヒーリングなのよ。ところでこの森の香りに気づいた?」とブランカはぼくに聞いてきた。一帯の森には霧が毎日のように湧き、ツリー・スカレシアの枝や幹には、ガラパゴス固有のランやコケがたくさん寄生していた。パロ・サントとはまた違った香りに満ち、薬草のサウナに浸っているような気分になる。「とてもリラックスできるね」とぼくは目を閉じて大きく深呼吸をした。

フィンチとスカレシアに見る進化の道筋

 「森の奥から、何かの音が聞こえてくるはずだよ?」と言いながら、ブランカは折り曲げた人さし指を唇につけて「ピュピュピュー」と小さな音を鳴らし始めた。5分もたたないうちに、目の前の小枝に、小鳥が何羽も集まってきた。指笛の音にひかれてやってきたのだろうか。小鳥の名前はダーウィンフィンチ。この鳥もまた南米大陸から渡ってきた祖先が、ガラパゴスで進化をとげたこの諸島固有の生物だ。当初は1種類の祖先だったものが、今では13種の固有のフィンチに進化している。それぞれのフィンチは、植物の硬く大きな実を主食にする種、小さくてやわらかい実が主食の種、サボテンだけを食べる種、虫を好んで食べる種など、食べ物に合わせてくちばしの形を変え、新しい種が生まれてきた。

 ガラパゴスの高山地帯には、南米大陸の高山で生育する樹木が渡ってこなかった。祖先型である草本のスカレシアが、そのニッチ(生態系の中で占める位置)を埋めるかのように巨木に進化をとげ、ツリー・スカレシアが誕生した。世界中で3万種をこえるキク科植物の中でも、スカレシアはきわめてまれな種だ。本来草本であるキク科植物が、樹木に進化をとげた例は、ガラパゴス以外ではほとんど知られていない。

 ツリー・スカレシアにはいまだ、草本の記憶が残っているのだという。成長をとげたツリー・スカレシアの森は10~20年に1度、干ばつやエルニーニョなどによる過度の雨の到来によって、いっせいに崩落する。倒れたスカレシアは巨木ではあるが、「草」であるため年輪がない。その後、巨木にさえぎられて暗かった樹林の地面が太陽に明るく照らされ始め、それに応じてスカレシアの種が発芽し、苗木の成長が急速に進む。まるでヒマワリのように、最初は茎もやわらかく、わずか1年で高さ2mにまで達するのだ。

進化の実験場

 フィンチと同じように何百万年も前、スカレシアの祖先が大陸からガラパゴスに渡ってきた。その1種の祖先が、いまでは諸島で15種にまで進化をとげた。そのプロセスはフィンチと共通するものがある。沿岸部の乾燥の森から、高地の湿潤の森にまで、適応を試みているスカレシアやフィンチの姿を見ていると、ガラパゴスの生きものたちはいまだに、進化の途上にあるのだと思ってしまう。

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参考文献:McMullen, CK. 1999. Flowering Plants of the Galapagos, Comstock Publishing Associates, Cornell University Press, Ithaca and London

Nakanishi, Tsutomu; Yuka INATOMI; Hiroko MURATA; Kaori SHIGETA; Naoki IIDA; Akira INADA; Jin MURATA; Miguel Angel Perez FARRERA; Munekazu IINUMA; Toshiyuki TANAKA; Shogo TAJIMA; Naoto OKU (February 2005). "A new and known cytotoxic aryltetralin-type lignans from stems of Bursera graveolens.". Chemical and Pharmaceutical Bulletin. 53 (2): 229–31. PMID 15684524. doi:10.1248/cpb.53.229. Retrieved 2011-10-31.

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鷺森ゆう子

エスノ・メディカル・ハーバリスト(民族薬用植物研究家)

さぎもり・ゆうこ 神奈川県生まれ。動物専門学校看護科卒。日本大学英文学科卒。1994年より動物病院で獣医助手として勤務する。同時に海や川の環境保全を行う環境NGOに携わり、海洋環境保全に関するイベントの運営などを行う。また中米のベリーズを訪れ、古代マヤ人の知恵を生かしたナチュラルメディスンに触れ、自然の薬に、より関心を持つようになる。このような体験を会報誌へ執筆する。95年から1年間、東アフリカのケニアにて動物孤児院や、マサイ族の村でツェツェフライコントロールプロジェクトのボランティアに参加する。このときサバンナでは、マサイ族直伝のハーブティーなどを体験する。帰国後は再び環境NGOなどに関わりながら、国内での環境教育レクチャーや、中米グァテマラの動物孤児院にてボランティア活動を行うなど、野生生物と人との共生について探求する。2006年から野生生物の生きる環境や、世界の自然医療の現場を巡る。

藤原幸一

生物ジャーナリスト/NATURE's PLANET代表

ふじわら・こういち 秋田県生まれ。日本とオーストラリアの大学・大学院で生物学を学ぶ。現在は、世界中の野生生物の生態や環境問題、さらに各地域の伝統医学に視点をおいて取材を続けている。ガラパゴス自然保護基金(GCFJ)代表。学習院女子大学・特別総合科目「環境問題」講師。日本テレビ「天才!志村どうぶつ園」監修や「動物惑星」ナビゲーター、「世界一受けたい授業」生物先生。NHK「視点論点」「アーカイブス」、TBS「情熱大陸」、テレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」などに出演。著書は「きせきのお花畑」(アリス館)、「森の声がきこえますか」(PHP研究所)、「マダガスカルがこわれる」(第29回厚生労働省児童福祉文化財、ポプラ社)、「ヒートアイランドの虫たち」(第47回夏休みの本、あかね書房)、「ちいさな鳥の地球たび」(第45回夏休みの本)、「ガラパゴスに木を植える」(第26回読書感想画中央コンクール指定図書、岩崎書店)、「オーストラリアの花100」(共著、CCCメディアハウス)、「環境破壊図鑑」(ポプラ社)など多数。