実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

「治癒する病」梅毒が治らないケースの悲劇

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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梅毒の誤解を解く【4】

 「梅毒の誤解を解く」シリーズ第1回「『愛と哀しみの果て』の主人公を苦しめた病」で述べたように、梅毒が「死に至る病」だったのは抗菌薬が普及していなかった過去の話であり、現在は「治癒する病」です。ここ数年、いくつかの細菌で耐性菌が問題になっていますが、目下のところすべての抗菌薬が無効な梅毒の報告は(私の知る限り)ありません。にもかかわらず、時々次のような患者さんが太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診します。

いつまで経っても治らない…

 過去に梅毒に感染し近くの医療機関で治療を受けた30代男性の例です。RPR法(詳しくは後述)の測定値が下がっているものの完全にゼロにならず、次々と抗菌薬を替えながら飲み続けていました。すでに半年を超えているが一向に治らずに、主治医から「このまま抗菌薬を飲み続けるしかない」と言われ、他に治療法がないのか知りたい、と谷口医院を受診されました。

 結論から言えばこの男性はすでに治癒していました。しかも治療開始から1カ月ですでに治っていたのです。なぜ、このようなことが起きたかを説明するために、まず「RPR法」について解説しておきましょう。

 梅毒に関連する検査項目は多数ありますが、感染の程度を表すのに最もよく使われる検査がRPR法です。「梅毒確定」と診断するには、まずTPHA法という検査の結果が陽性であり、かつ(1)無症状だがRPR法の測定値が16倍以上であるか、あるいは(2)症状が出ていてRPR法の測定値が陽性であると確認することが必要です。そして治癒したことを確定する際も、RPR法の測定値が低下していることを確認しなければなりません。

検査の結果にまつわる「よくある誤解」

 実はここに、ある誤解が非常によく見られるのです。それは「RPR法の測定値がゼロになるまで、完治ではない」という誤解です。実際この男性もそのように考えていました(というより、主治医にそう説明されていました)。これは完全に誤りであり、ゼロにする必要はまったくありませんし、また何年たってもゼロにならない場合もよくあります。抗菌薬の量を増やせば下がるわけではないのです。

 私はそのことを繰り返し説明しましたが、男性は納得しません。そこで、私は大きな病院の「感染症科」に紹介状を書き、男性に受診してもらいました。大病院の感染症専門医の説明を受け、ようやく納得されたようでした。私に説得力がないのは問題ですが、延々と半年以上も抗菌薬を処方する医師はもっと問題でしょう。このような流れで大病院を受診してもらったのはこの患者さんだけですが、同じように延々と抗菌薬を飲んでいるという患者さんには時々遭遇します。

 また、抗菌薬は飲んでいなくても、RPR法の測定値がゼロになるまでは治っていない、と信じ込んでいる患者さんもいます。きちんと前に治療を受けた医療機関で説明を受けているはずなのですが、「別の医師の意見も聞きたい」とのことで複数の医療機関を受診しているのです。こういった行動はあきらかに「無駄」であり、正確な知識が普及することを願います。なぜこのように考える患者さんが後を絶たないのか、その理由は私には分かりませんが、もしかすると過去の「死に至る病」のイメージが強いことも原因の一つなのかもしれません。

深刻な後遺症をもたらす母子感染

 しかし、どんな場合でも梅毒は「元通り治癒する病」かというと、そうは言い切れません。残念ながら治すことができない場合もあります。それは母子感染、つまり「先天性梅毒」のケースです。出生後に梅毒に感染していることが分かった場合も、適切なタイミングで抗菌薬を投与すれば菌を消すことはできます。ですが、治療が遅れた場合、奇形が生じる可能性があります。唇に裂け目ができる口唇裂や、口腔と鼻腔がつながってしまう口蓋裂が起こりえますし、鼻中隔(鼻の真ん中の壁)が変形し鞍鼻という状態になることもあります。眼や心臓が障害されること、難聴になることもあります。こういった症状は抗菌薬で菌を死滅させたとしても元の状態に戻すことはできません。つまり「後遺症」は治らないのです。

 母子感染を防ぐのに最も有効な方法は妊娠中(できれば妊娠前)の検査に他なりません。ですから妊娠中の梅毒の検査は必須となっています。感染していることが分かれば治療できますが、感染に気付かなかった例があります。日本産科婦人科学会の報告によると、2011~15年の5年間で計21人の新生児が先天性梅毒と診断されています。うち5人が死亡、4人は後遺症が残っているそうです。

検査必須なのに先天性梅毒が生じる理由

 なぜこのようなことが起こるのでしょうか。一つは、出産直前まで一度も医療機関を受診しない、という例があるからです。経済的理由や、出産間近になるまで生むかどうかの決心がつかなかったなどの理由で、未受診だったという例が時々あります。

 もう一つは、妊婦健診のときには陰性であり、その後感染したケースです。これはさらに二つのパターンに分けられます。第1のパターンは妊娠中の検査を受けた時にも感染していたが、検査が不正確だったというもの。梅毒は感染してすぐに正確な結果がでるわけではありません。少なくとも感染後4週間程度経過していなければ検査で陽性とならないのです。そして、第2のパターンが、検査後に感染するというものです。

 なぜ妊娠後に感染するのか。ここでもまた二つの理由が考えられます。第1の理由は、妊婦のパートナーが陽性だったが、偶然、妊娠時には感染させていなかったというケースです。前回、梅毒はささいなスキンシップでも感染しうると述べましたが、逆に容易に感染しないこともあります。そのため、妊娠時には感染せず、妊婦健診後に行った性行為で初めて感染させた、ということがあり得るのです。

 第2の理由はパートナーに他の相手がいる場合です。そんなバカな……、と考える人も多いでしょうが、医師をしていると「悲しい現実」を知らされることがしばしばあります。奥さんが妊娠中に性風俗店を利用したという男性もいるのです。

 では母子感染を防ぐにはどうすればいいか。過去この連載で何度か述べたように、妊娠を考えるすべての女性とそのパートナーが妊娠の前後にかかわらず何度でも無料で検査を受けるようにすればいいのです。ですが、これも何度も指摘しましたが、このようなことをすれば医療費がいくらあっても足りなくなり、実現不可能です。結局は各自が自分と将来の赤ちゃんの身を守るしかありません。

 そのときに最も頼りになるもの。それがわずか5分で学べる「知識」なのです。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。