実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

同性愛者オスカー・ワイルドを“殺した”偏見

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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梅毒の誤解を解く【番外編】

 2000年代後半のある日。30代男性の患者さんがわざわざ他府県から私のもとにやって来ました。正確に言えば「患者」ではなく、受診目的は梅毒の検査のみです。この男性の職業は医師。遠路訪れた理由は「自分が働く病院では検査を受けたくない」というものでした。男性が住む地域では保健所で梅毒の検査を無料で受けることもできますが、保健所にも知り合いがいるとのことです。

 この医師が梅毒を心配している理由は「パートナーが梅毒に感染していることが分かった」というものです。そして、そのパートナーは「男性」。梅毒感染が勤務先に知られることも避けたいが、それ以上に知られたくないのが自分のセクシュアリティー。つまりゲイであることをカムアウトできないと言います。

梅毒患者が多いのは男性?女性?

 梅毒はここ1~2年「女性の感染者が増えている」と報道されていますが、少し前までは「男性同性愛者に多い感染症」と言われていました。実際、太融寺町谷口医院でも梅毒感染が分かった患者さんのなかで男性同性愛者は、年にもよりますが多い年では半数を超えていたこともあります。性的指向について医師に正直に伝えない人もいますから、実際はもっと多いかもしれません。

 梅毒の感染力はとても強く、男性同性愛者だけが特に感染しやすいということはありません。しかし、「ゲイの病気」と思っている人も多く、私の元を訪ねてきた男性医師もそのような世間の考えを危惧していたのです。

 今回のテーマは「医療」というよりも「同性愛」について、です。梅毒を含む一部の感染症には“偏見”があり、そのひとつが性的指向です。こういった感染症を日々診ていると、セクシュアリティーに関する世間の目がいかに偏見に満ちたものであり、ここにメスを入れない限りは真の意味で感染症を「解決」できないのではないか、そのように思わずにはいられません。私は研修医の時にタイのエイズ施設を初めて訪れ、エイズという病に打ち勝つには単に病気に取り組むだけでは不十分だ、偏見にあふれた社会に対して立ち向かっていかなければ……、と考えるようになりました。

オスカー・ワイルドの波乱の生涯

 梅毒シリーズ第1回では、梅毒に感染していた(かもしれない)有名人の名前を何人か列挙しました。そのなかで比較的新しい時代を生きたイギリスの詩人であり作家のオスカー・ワイルド(以下「ワイルド」=1854~1900年)に焦点を当てたいと思います。まず初めに断っておきたいのは、繰り返しになりますが、梅毒は男性同性愛者特有の疾患ではないということです。シリーズ第1回で紹介した世界史に残る著名人のほとんどに、同性愛者のうわさはありません。

1882年、アメリカ講演旅行時代のオスカー・ワイルド(ナポレオン・サローニ撮影)
1882年、アメリカ講演旅行時代のオスカー・ワイルド(ナポレオン・サローニ撮影)

 ただし、ワイルドが同性愛者であったことは間違いありません。その一方で、ワイルドは結婚もして2人の息子も授かりました。長男は来日もしています。ちなみに、ワイルド自身は米国で講演ツアーをおこなった後に日本に立ち寄ることを希望していたそうですが諸事情からかなわなかったようです。結婚していたとはいえ、家庭を顧みることはほとんどなく、大勢の美少年と愛やセックスにふけっていたことはこれまで出版されている文献から明らかです。

 ワイルドが生涯を通して最も愛したのはアルフレッド・ダグラスという15歳以上年下のブロンドの美少年です。残されている彼の写真を見ると、これほどまで美しい少年はいないのではないかと思えるほどです。もっとも、ワイルド自身も美貌を有していたことが残されている写真からうかがい知ることができます。

 ワイルドはダグラスの実の父親と裁判で争うことになります。当時のイギリスでは(というより当時の世界の大半では)、同性愛は「罪」でした。ダグラスの父はワイルドが同性愛者であることを追及します。ですが、弁論はワイルドの最も得意とするところ。巧みな話術で裁判を乗り切ろうとします。しかし、ワイルドが書いた恋文やワイルドと関係を持った複数の男性の証言が証拠として取り上げられ、さらにワイルドが宿泊していたホテルの従業員がシーツに便と精液がついていたことを証言し、ワイルドは敗れます。結局2年の禁錮刑と強制労働が科せられることになりました。さらに破産宣告も受けました。

 出所後、ワイルドは世間から身をひそめるように細々と生きることになり、最後には梅毒による脳脊髄(せきずい)炎で死亡したと言われています(注1)。ワイルドが亡くなったのは1900年ですから、抗菌薬が登場する前の時代です。抗菌薬がなければ梅毒は「死に至る病」となり得ます。シリーズ第3回でも述べたように、梅毒は軽度のスキンシップ程度でも感染することのある「ありふれた病」ですから、梅毒で死亡すること自体は、不幸と言えるでしょうが特筆すべきものではありません。

ワイルドを殺した“社会”

 ワイルドの人生から我々が考えるべきなのは「同性愛者という理由で禁錮刑を科された」ということです。ワイルドはそれほど多くの小説を残したわけでもないにも関わらず(注2)これだけ有名なのは、その天真爛漫(らんまん)な生き方と彼の残した数々の名言でしょう。「男は愛する女の最初の男になる事を願い、女は愛する男の最後の女になる事を願う」「外見で人を判断しないのは愚か者である」「男の顔はその人の自伝であり、女の顔はその人の創作である」などは今もよく取り上げられます。

 ですが、こういった言葉を引き合いに出す人たちのどれだけが、ワイルドが塀の中で送った苦悩の日々や、出所後も世間の嘲笑から身を遠ざけなければならなかったことを考えたことがあるのでしょう。

 その後イギリスでは、同性愛は罪ではなく「病気」とみなされるようになります。罪ではなく病気だから刑罰を科すのはおかしい、という議論です。罪でも病気でもなく「正常」であることが認められたのは最近になってからであり、2014年にようやくイングランドでも同性婚が合法となりました。しかしイギリスは世界的には進んでいる方です。アジアでは17年8月時点で台湾が唯一、同性婚の合法化が確実な情勢になっています(注3)。日本はいくつかの自治体でパートナーシップ制度というものがありますが全国的に広がっているとは言えません。世界の中には現在でも同性愛が違法どころか死刑になる国すらあります。

 オスカー・ワイルドの人生について私たちが忘れてならないこと。それは“梅毒に殺された”ことではなく、同性愛者という理由で“社会から殺された”ことだと私は思います。

 冒頭で紹介した男性医師が堂々と地元で検査を受けられる日は、いつか訪れるのでしょうか……。

   ×   ×   ×

注1:ただしワイルドが梅毒に罹患(りかん)していたという「確証」はありません。塀の中にいた間何度か医師の診察を受けていますが、梅毒とは診断されておらず、残っている記録のなかには梅毒を証明するものはないそうです。また、ワイルドの妻は腰痛から死に至っています。(ワイルドからうつされた)梅毒による脊髄癆(せきずいろう)という意見もありますが確証はありません。この時代には梅毒を診断する技術が未確立でしたから無理もないことではありますが。

注2:とはいえ歴史に残る名作ももちろんあります。「ドリアン・グレイの肖像」は「老い」をテーマとした歴史的名著と言えるでしょう。戯曲「サロメ」が描く愛のかたち、とくに「見つめる愛」は苦しくなるほど美しいものです。

注3:2017年5月24日、台湾の司法最高機関に相当する司法院大法官会議は「同性同士での結婚を認めない民法は憲法に反する」という判断を下し全世界で報道されました。この判決を受け、台湾政府は2年以内に同姓婚を認めるよう民法を改正するか、新法をつくらなければなりません。

参考文献:

「オスカー・ワイルド-『犯罪者』にして芸術家」宮崎かすみ著(中公新書)

「ドリアン・グレイの肖像」オスカー・ワイルド著、仁木めぐみ翻訳(光文社古典新訳文庫)

「サロメ」オスカー・ワイルド著、福田恒存翻訳(新潮文庫)

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。