教養としての診断学

権威が妨げた産褥熱予防とアンナ・カレーニナ

津村圭・府中病院総合診療センター長
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 小説には、その時代の風俗が的確に描かれています。架空の人物である源氏物語の葵の上が「肺塞栓(そくせん)症」で急死したのではないか、と以前の記事「葵の上はなぜ死んだのか?」で指摘しました。今回は、海外の古典文学に目を向けてみましょう。小説「アンナ・カレーニナ」は、「戦争と平和」と並ぶ帝政ロシアの作家トルストイの代表作です。1870年代のロシアを舞台とし、主人公アンナの不倫を軸に物語が展開します。この物語に現在も使われている病名が出てきます。

 アンナは第2子を無事に出産した後、病の床にふせます。「主治医も他の医者たちも、これは産褥(さんじょく)熱(注1)で、九十九パーセントは助からないと言っていた。一日中、熱、うわごと、人事不省の状態が続いた。真夜中には患者はすっかり知覚を失い、ほとんど脈も消えた」と描写されています(注2)。そのため、病人であるアンナ、夫のカレーニン、不倫相手のヴロンスキーおよび周囲の人たちはすべて、アンナが死んでいくと覚悟します。さて、作中の医師たちが下した産褥熱という診断は正しいのでしょうか。この病名は現在の産褥熱と同じものと考えてよいのでしょうか。

 小説「アンナ・カレーニナ」は1877年に単行本として刊行されました。死んでいく(はずだった)病人のアンナを前にして夫は、妻と和解することになります。いわば物語の展開にとって不可欠なシーンに、この病気が使われています。

 産褥熱はこの時代、出産する女性の生命を奪う病気としてよく知られていました。小説が刊行された19世紀後半のロシアの読者は、産褥熱で亡くなった人の話を身近に聞いたことがあったはずです。アンナがこの病気にかかるのは不自然でなくリアルであり、多くの読者の共感を誘ったことでしょう。「葵の上はなぜ死んだのか?」の回では、出産と関連して死に至る病として、逆子分娩(ぶんべん)、産褥熱、妊娠中毒症、周産期心筋症、…

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津村圭

府中病院総合診療センター長

つむら・けい 大阪府出身。1977年大阪市立大学医学部を卒業後、国立循環器病センター(現・国立循環器病研究センター)に心臓内科レジデントとして勤務。その後の28年間は大阪市立大学医学部教員として、学部学生、大学院学生、研修医、指導医、教員の指導と医学部カリキュラムの企画と作成に携わった。診療面では循環器内科をベースとしつつ、早い時期から原因疾患の判別が困難な症例で、診断を担当する総合診療医として従事。研究面では、各種疾病のリスクファクターについての臨床疫学研究を行い、ランセット(Lancet)など欧米医学誌で発表してきた。2014年1月から現職。総合診療医として地域医療に関わるとともに、初期、後期研修医の指導を担当、臨床研修室顧問も兼任する。地域医療を充実させるため院内に家庭医療専門医後期研修プログラムを立ち上げるなど、診療と教育をリンクさせた活動を現在も続けている。府中病院ウェブサイト