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持病ある人の渡航支援は「希望のための処方箋」

濱田篤郎・東京医科大学特任教授

ルーズベルト大統領の過酷な旅

 第二次世界大戦末期の1945年2月、クリミア半島のヤルタで首脳会談が開催されます。集まったのは、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相の3人で、ここで戦後の世界秩序が話し合われました。

 開催地のヤルタはソ連の領土で、スターリンは自分の庭で会議を開くという政治的に有利な立場にありました。さらにスターリンは自国内移動のため健康面でも有利だったはずです。チャーチルは約3000km、ルーズベルトにいたっては約9000kmの道のりを経て開催地に到着しなければなりませんでした。特に、当時63歳だったルーズベルトは、開戦以来の激務で持病の高血圧が悪化していました。この会議の1年前にも高血圧による心不全を起こし、担当医から安静を指導されていたそうです。この時、アメリカからヤルタまで船と飛行機で10日間かかりましたが、ヤルタに到着した時点でルーズベルトは疲労困憊(こんぱい)の状態にあったのです。

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東京医科大学特任教授

はまだ・あつお 1981年、東京慈恵会医科大学卒業。84~86年に米国Case Western Reserve大学に留学し、熱帯感染症学と渡航医学を修得する。帰国後、東京慈恵会医科大学・熱帯医学教室講師を経て、2005年9月~10年3月は労働者健康福祉機構・海外勤務健康管理センター所長代理を務めた。10年7月から東京医科大学教授、東京医科大学病院渡航者医療センター部長に就任。海外勤務者や海外旅行者の診療にあたりながら、国や東京都などの感染症対策事業に携わる。11年8月~16年7月には日本渡航医学会理事長を務めた。著書に「旅と病の三千年史」(文春新書)、「世界一病気に狙われている日本人」(講談社+α新書)、「歴史を変えた旅と病」(講談社+α文庫)、「新疫病流行記」(バジリコ)、「海外健康生活Q&A」(経団連出版)など。19年3月まで「旅と病の歴史地図」を執筆した。