実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

B型肝炎ワクチン定期化でも変わらぬ無関心

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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誤解だらけのB型肝炎ウイルス【7】

 本連載では過去に6回にわたり、B型肝炎ウイルス(以下HBV)について取り上げました。HBVはとても感染力が強く、唾液や汗からも感染することがあること▽2002年には保育園で25人の集団感染があったこと▽いったん感染するとウイルスは生涯体内から消えないこと▽「治った」と言われても将来牙をむく可能性があること▽ワクチンで完全に防げる感染症なのにもかかわらず接種していない人が大勢いること--などを述べました。世界のほとんどの国(それは先進国だけでなく文字通りほとんどの国)が生まれてきた赤ちゃん全員に無料で接種しているなか、日本では定期接種に入れられていない問題についても指摘しました。

 2016年10月、ついに日本もHBVワクチン定期化が実現し、ようやく世界に追いつくかたちとなりました。これは歓迎すべきことですが、ではHBVに関するさまざまな問題はすべて解決したのかと問われれば、まったくそのようなことはありません。私は日々の臨床のなかで、HBVに伴う「誤解」を頻繁に実感しています。今回と次回はそういったことについて述べたいと思います。

ワクチン接種のベストタイミングは?

 まず取り上げたいのはワクチンを接種するタイミングです。厚生労働省のウェブサイトでは「(HBVワクチンの)標準的な接種時期は1回目生後2(カ)月」とされています。最近は定期、任意をあわせて接種するワクチンの種類が増えたため、複数のワクチンを同時に接種するようになってきました。多くの医療機関では、厚労省の見解に従い生後2カ月でHBVの1回目を接種。同時にヒブ(ヘモフィルス・インフルエンザ菌b型:Hib)と小児用肺炎球菌のワクチンをうちます。また任意で有料になりますが、ロタウイルスのワクチンを接種することも勧められています。

 さて、この方法に問題はないのでしょうか。実は欧米諸国の多くの国では、HBVワクチンは生まれてすぐに接種するのが基本です。最近、米国小児科学会(AAP)がこれを徹底すべきだとする見解を発表しました。

 米国では1990年代から新生児に対するHBVワクチンの定期接種がおこなわれているにもかかわらず、今も年間約1000例の新生児の感染が報告されています。その多くは母子感染です。HBV陽性の母親から生まれてくる赤ちゃんは、何もしなければ母子感染してしまうことがあります。それを避けるためには適切なタイミングで3回のワクチン接種をしなければなりません(正確に言えば免疫グロブリンも接種します)。

 分娩(ぶんべん)時の感染だけではありません。米国で若い母親がHBV陽性である原因のひとつは「麻薬(ヘロインやモルヒネ)」です。米国は日本とは比べものにならないほど麻薬が横行しています。中毒者になると麻薬を静脈注射するようになり、さらに針を使いまわします。これでHBVに感染するのです。そして、HBVは体内のウイルス量が多ければ唾液や汗から感染することがあります。もちろん母乳からも感染します。母親の血液が赤ちゃんに触れなかったとしても、感染する機会はいくらでもあるというわけです。

 つまり、米国小児科学会は母親のHBVを新生児に感染させないための最も重要な対策として、まず1回目のワクチンを生後24時間以内に接種すべきだという見解を発表したのです。私が個人的にこれまで複数の欧米諸国の医師から聞いたところ、欧米諸国では生後1時間以内を目標にしている施設が多いようです。現在の米国ではすべての医療機関でそれが徹底されているわけではないのでしょう。1時間は無理だとしても24時間以内をルールにすべきだと同学会は考え発表したのです。

日本での母子感染が訴訟に

 麻薬がはびこっているのは米国の話であり、日本では関係ないのでは? そう感じた人もいるでしょう。たしかに日本では麻薬中毒者はそれほど多くありません。ですが覚醒剤中毒者は決して少なくありません。最近、大麻で逮捕される事件が増え、大麻の押収量が年々増えていることが報道されていますが、日本は違法薬物のなかでは“伝統的”に覚醒剤使用者が最も多いのです。ビギナーは吸入で摂取しますが、ある程度依存が進むと静脈注射、そして針の使いまわしが始まります。

 日本国内で覚醒剤中毒者の母親が自分の子供にHBVを感染させたという症例を、私が直接知っているわけではありません。ですが、最近このような事件が報道されました。

 2017年4月、京都府八幡市の男児とその両親が、同市の医療機関と当時の院長を相手に慰謝料など約3000万円の損害賠償を求め京都地裁に提訴しました。報道によれば、母親は2009年に男児を出産する際、自らがHBVに感染していることを医療機関に伝えました。母子感染予防のためには、当時の基準でワクチンと免疫グロブリンの注射を計5回うたなければならなかったにもかかわらず、ワクチンのみを1度接種しただけで、その後は放置。男児はHBVに感染し、約5年後にB型慢性肝炎を発症したとしています。

 繰り返しになりますがHBVは極めて感染力の強い感染症です。過去にも述べたように父親からの感染も少なくありません。おそらく食べ物の口移しや傷の手当てなどで感染しているのでしょう。また、保育所で集団感染した事例を考えると、接触するすべての人がリスクゼロであると断言できないのであれば、新生児がHBVに感染する可能性があります。したがって私の意見は、米国と同様、新生児のHBVワクチン1回目接種は24時間以内にすべきではないか、というものです。もちろん2回目、3回目の接種も規定どおりに徹底しなければなりません(注)。

HBVへの正しい認識を欠く日本社会

 成人の場合も考えてみましょう。成人がHBVに感染するのは、先に述べた針の使いまわしやタトゥーもありますが、最も多いのは「性感染」です。コンドームはあまり役に立たず、私が知る範囲でもコンドームをしていてHBVに感染した人は少なくありません。また、日本でも100万人以上の人がHBV陽性と言われていますが、海外ではもっと多いことは知っておくべきです。世界保健機関(WHO)の推計では、全世界のHBV感染者は20億人(2億人ではありません、世界人口からみると約4人に1人に相当します)に達するとみられます(参考:国立感染症研究所「B型肝炎とは」)。韓国や台湾ではかつて、住民の1~2割が陽性者だった地域もあったそうです。タイでアバンチュールを楽しんでHBVに感染という人もいますが、そのタイでは約300万人が陽性と言われています。タイでHBVワクチンが全員に徹底されだしたのは2000年ごろですから、現在20歳以上の男女のなかには陽性者が大勢いるはずです。

 日本は長い間「ワクチン後進国」と呼ばれてきました。麻疹がはやる先進国は日本だけ、などとやゆされてきたのです。現在は海外諸国と同じように多くのワクチンが定期接種に組み入れられ、この汚名は返上できたと言われています。ですが、HBVワクチンへの世間の無関心さ、さらに前述した八幡市の母子感染などを考えると、今も「後進国」のままであり、HBVが正しく認識されておらず「誤解」されたままではないのか。そのように思わずにはいられません。

 奇妙なことに、感染予防への無関心さが目立つ一方で、感染者への不当な差別や偏見がはびこっているのが現在の日本です。次回はその「誤解」について述べたいと思います。

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注:HBVワクチンは規定どおりの接種をすれば必ず抗体がつくわけではありません。3回接種しても5%くらいの人は抗体が形成されないのです。ですから、大切なのはまず予定通り3回接種を済ませ抗体検査を受けることです。成人にも、ときどき3回のワクチンを接種したものの抗体形成確認検査を怠っている人がいますがこれは危険です。3回接種で抗体が形成されなかったときは、別のワクチンに切り替えてさらに3回接種を行います。これでも抗体ができなかったときにどうするか。例えば医療者やパートナーがHBV陽性という人は何としても抗体をつくらなければなりません。そんなときには10回でも20回でも接種するのです。私の知る範囲で言えば、30回近く接種してようやく抗体が形成されたという医療者がいます。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト