実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

日本の歯科医療の異常な滅菌事情

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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エイズという病を知っていますか?【13】

 過去のコラム(「歯科医院での院内感染を防ぐには」)で、日本の歯科医院のあまりにもひどい院内感染対策についてお伝えしました。厚生労働省の調査で、ハンドピース(歯を削るドリルの回転機構などを内蔵した持ち手部分)の交換・滅菌を患者ごとにきちんとおこなっている歯科医院は全体の3割しかないことが明らかになったのです。

 この調査結果は2014年のものですから、その後急速に滅菌が一般化したに違いない……そう願いたいところです。そして、最新の調査結果が17年5月に公表され(注)一部のメディアが報じました。驚くべきその結果は……。それをお伝えする前に、最近の海外での事情をみていきましょう。

米国:未滅菌器材使用疑いの85人を検査

 まずは米国です。米国の歯科医院でのHIV感染といえば「キンバリー事件」が有名です。この連載でも紹介した(「謎のHIV感染『キンバリー事件』を推理する」)その事件は1987年に起こりました。米国の歯科医院で当時19歳の女性キンバリーさんがHIVに感染し91年に他界したのです。この歯科医院では他にも5人の患者が同様の被害に遭い死亡しています。

 キンバリー事件のようなセンセーショナルな報道はおこなわれませんでしたが、米国では、2013年3月にもオクラホマ州の歯科医院で治療を受けた患者がHIVとC型肝炎ウイルス(HCV)に院内感染していたことが明らかとなりました。(参照:「歯科医院での院内感染を防ぐには」)

 その米国で新たな事件が起こりました。16年8月26日、米国ウィスコンシン州のマーシュフィールド歯科医院(Marshfield Dental Center)は、受診した85人の患者に対し、HIVや肝炎ウイルスを含む無料の血液検査を実施すると発表しました(https://www.usatoday.com/story/news/2016/08/26/unsterilized-tools-used-marshfield-dental-center-patients/89430370/)。報道によれば、同院では歯科治療で用いる器具(basic dental toolsとされていますから、おそらく「エクスプローラー」や「スケーラー」と呼ばれる棒状の金属の器具だと思われます)に対して、洗浄を行い、さらに高温下での消毒を実施したものの、最終段階の蒸気滅菌がおこなわれていませんでした。

 そして、結果として合計9人の患者にその器具が用いられたことが発覚しました。未滅菌の器具が使われたのは9人だけですが、同院では念のため、同じ時間帯に治療を受けていた他の76人の患者にも検査をおこなうことを決定しました(なんらかの病原体に感染していた患者が見つかったという報道は、これまでのところ見当たりません)。

シンガポール:世論の怒り

 シンガポールでも同様の事件が起こりました。17年6月12日、シンガポール国立歯科センター(National Dental Centre Singapore=NDCS)は、滅菌が十分でない歯科医療器具が合計72人に使われたことを発表しました(https://sputniknews.com/art_living/201706131054568183-unsterilized-dentist-tools-in-singapore/)。世論の怒りは大きく、これを報じた現地新聞の見出しの書き出しには「Gross!」という単語が使われています(見出し全体は「Gross! Unsterilized Dental Tools Used on Dozens of Patients in Singapore=むかつく! シンガポールで未滅菌の歯科器具が数十人の患者に使用される」)。この単語はとても不快なことを表すときに用いられるもので、新聞にこのような感情的な単語が使われるケースは珍しいと思います。興味深いことに、先述した米国ウィスコンシンの事件と同様、この歯科医院でも最終段階の蒸気滅菌が抜けていたようです。

 米国でもシンガポールでも事件発覚後直ちに公表され、責任者は深く謝罪をし、このようなことが二度と起こってはならないと述べています。

日本:約半数が「ハンドピース」使い回し

 さて、翻って日本の状況をみてみましょう。厚労省の研究班が実施した歯科医院を対象としたアンケート結果が17年5月に公表され報道されています。結果は、「ハンドピースを患者ごとに交換し滅菌している」と回答した歯科医療機関はわずか52%です!

 2014年の3割から5割に増えた、と喜んでいる場合ではもちろんありません。米国やシンガポールでは、ただ一つの医療機関で滅菌処理の最終段階が不十分であったことに気づいた時点で直ちにそれを公表し、その器具が使われた患者が特定化され人数も発表されているのです。米国の場合は、それらの器具が使われていなくても、その時間に治療を受けていた患者全員に無料の検査を促しているのです。

 一方、日本では半数の歯科医院が「日常的」「意図的」に患者ごとの交換・滅菌をしていないと答えているのです。ここで、厚労省が公表した資料「歯科医療安全対策の観点からみた歯科医療機関における歯科用ユニットの管理等に関する研究 ベースライン調査」から数字を詳しく取り上げてみましょう。アンケートに回答したのは700施設。以下が回答です。

(1)患者ごとに交換、滅菌:52%

(2)感染症患者と分かった場合交換、滅菌:17%

(3)血液が付着した場合などに交換、滅菌:16%

(4)消毒薬で清拭(せいしき=拭く):13%

なぜ滅菌が必要か

 (4)は論外です。例えばB型肝炎ウイルス(以下「HBV」)は消毒薬では死滅しないからです。(3)もはっきりいって「あきれる回答」です。まず血が付いたかどうかをどうやって調べるのでしょう。肉眼で血液の付着が見える場合、とでも言うのでしょうか。またHBVが唾液にも含まれるのは、医療者であれば誰でも知っていることです。(2)は過去(「医療機関がHIV陽性者を拒むわけ」)にも述べましたが、例えばHIV陽性の人は歯科医院を受診するとき感染を隠していることが多いですし、そもそも感染していることに気づいていない人が日本には多数いるわけです。これはHIVだけではありません。HBVもHCVも、感染に気付いていない陽性者が数十万人程度いると言われています。白血病の原因となるHTLV-1感染症も100万人近くの陽性者がいると言われていますが、感染に気付いていない人が多いのです。

 不安をあおるような言及は避けたいですし、根拠のないことを軽々に発言するべきではありません。ですが、私がこれまで診てきたHCVやHTLV-1陽性者のなかには、感染経路がまったく不明のケースが数例あります。正直に言えば、彼・彼女らが歯科医院で感染した可能性を否定できないのではないかという疑問が払拭(ふっしょく)できません。HIVでも「まさかその程度(の性的接触)で感染することがあるのだろうか」と思われる症例もあり、彼・彼女らの本当の感染源は性的接触ではなく……、と考えたくなることもあります。

 医科の立場から歯科を批判するようなことは避けたいのですが、医科の者からすると、ハンドピースを全例交換・滅菌しない歯科医院が1件でも存在するということが理解を超えています。医科の世界では「スタンダードプリコーション(標準予防策)」という絶対的な規範があり、これに準じて院内感染対策を行いますから、滅菌しないなどということが考えられないのです。例えば内視鏡(胃カメラや大腸ファイバーなど)を未滅菌で使うなど頭をよぎることさえありません。もしも万一そのようなことが行われれば、そこにいた医師や看護師が直ちに保健所に通報するでしょう。ちなみに、今回の厚労省の報告書によれば、歯科治療の手袋を「全症例に使用、患者ごとに交換」と回答したのはわずか52%です。(前出の資料20ページ)

 滅菌しないことが常習化しているような国では安心して歯科治療を受けられません。ですから、私自身は自分が患者として歯科医院を受診するときは必ずその歯科医院が院内感染対策をきっちりおこなっているかどうかを確認しています(この確認の「方法」については、過去のコラム「歯科医院での院内感染を防ぐには」で述べたとおりです)。

 私は医療政策を提言する立場の者ではありませんが、米国やシンガポールにならって、不十分な滅菌で治療を行った歯科医院名を速やかに公表し、受診した人全員に検査を呼びかけるべきではないでしょうか。

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注:報告書全文はこちらのアドレスからダウンロードできます http://mhlw-grants.niph.go.jp/niph/search/NIDD00.do?resrchNum=201620013A

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。