実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

HIV陽性者 就職差別の実態

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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エイズという病を知っていますか?【14】

 最初に事実を述べます。HIV陽性者は昔も今も就職するのが困難です。また、陽性者の多くは現在の職場で感染していることを隠さなければなりません。

 少し古いデータですが、2008年8月から09年1月にかけて、薬害エイズの被害者団体「はばたき福祉事業団」が実施した調査によると、HIV陽性者の23%が感染を理由に離職した経験があります。理由として「不当な理由で解雇された」が9%。つまり、感染していることを告げて(あるいは何らかの事情で発覚して)解雇されたというわけです。同調査では「感染を会社に伝えているか」も問われており、47%が伝えていないと答えています。

 この調査結果を聞いて私は「あれっ?」と感じました。私の実感とかけ離れているからです。私が診ている患者さんで言えば、感染を職場に伝えている人はほとんどいません。なかには伝えている人もいますが、そのほとんどは「障害者枠」で入社している場合です。HIV陽性で投薬を受けている場合「免疫機能障害者」となり、場合によっては、雇う側も雇われる側も有益となることがあるのです(注)。

 「障害者枠」で入職した場合には企業側は適切な対応をしているとみられます。感染を知っているのは人事部のごく一部だけであり、感染者と一緒に働いている同じ部署の人には知らされていないことが多いようです。このような配慮をしてもらえれば安心して働くことができます。ですが、障害者枠でHIV陽性者を採用している会社は、私が住む関西ではそれほど多くありません。以前、人材派遣会社を経営している関東の知人から、東京でもそれほど増えているとは言えないと聞いたことがあります。にもかかわらず、先述した「はばたき福祉事業団」のデータで会社に感染を伝えていない人が半数程度なのは、調査対象者の大半が薬害エイズの被害者で、性感染や違法薬物の静脈注射などでの感染が原因のHIV陽性者はあまり含まれていなかったためかもしれません。

会社に感染を告知する義務はない

 ところで、職場に何かを隠さねばならない、そして繰り返し“うそ”をつかねばならない、とすればあなたはどの程度ストレスを感じるでしょうか。もちろん、どんな人でもすべての個人情報を会社にさらしている人はいませんし告知する必要もありません。ですが、疾患に関しては、多くの企業では就業規則で「病歴や治療歴を告知しなければならない」と規定されています。障害者枠での就職を除けば、就職活動の時点でHIVを告知すれば多くの企業で合格できないのが現実でしょう。

 では、HIV陽性者はどうすればいいか。これは患者さんからよく問われる質問です。私の答えは「(障害者枠でないのなら)告知すべきではない」です。「告知義務違反になるのでは?」と心配する人もいますが、複数の弁護士や社会保険労務士に確認したところ「ない」と言い切れます。「違反にならない」とはっきりと明記された法律や通知などはありませんが、過去の判例などから、「告知すれば採用されないことが予測される事については自発的に告知する法的義務はない」とのことです。

 ただし、ある程度長く働いていると、社員同士の何気ない会話のなかで健康や病院の話が出てきます。そんなとき同僚や上司に「定期的に通院している」などと言えば「何の病気?」と聞かれるでしょう。そして、抗HIV薬は通常、エイズ拠点病院で処方されます。そういった病院は大きなところですから土曜日には受診できません。となると定期的に平日に休暇をとって受診しなければならないことになります。これは周囲から不審がられます。毎回“うそ”をつくのは大変です。

 入職時には感染していなくて、その後感染した、という場合も、それを職場に伝えるべきではない、というのが私の意見です。私はこれまで、職場でカムアウトして“解雇”された、というケースを何例もみてきました。もちろん、HIV感染を理由に解雇することは厚生労働省のガイドライン(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/05/s0527-3b.html)で禁じられています。ですが、私が見たのは退職勧奨というか事実上の解雇ではないのか、と思われるケースがほぼすべてなのです。

法廷では原告が勝訴

 明らかな解雇をおこない法廷で争われた事例もあります。有名なのは「千葉HIV解雇事件」で、千葉県市川市のある会社で勤務していた従業員が会社の定期健康診断の際に無断でHIVの検査がおこなわれた結果、陽性であることが分かり、これを理由に解雇された事件です。従業員が働いていた会社は従業員に無断でHIV検査をおこない、また健康診断を請け負った病院も従業員に無断で検査結果を会社に伝えていたのです(千葉地判平12.6.12労判785-10)。千葉地裁は判決で「解雇は不当」としたうえで会社と病院長に計660万円の支払いを命じました。

 似たような事例に「派遣HIV解雇事件」があります。これは派遣先企業で労働者のHIV感染の事実が発覚し、派遣先企業が派遣元企業へ労働者の感染事実を連絡し労働者が解雇された事件です(東京地判平7.3.30労判667-14)。東京地裁の判決は「HIV感染を理由とした解雇は許されず、出向先が感染を本社に報告したのもプライバシー侵害」として計1500万円の支払いを命じました。会社側は控訴しましたが、東京高裁で実質的に原告側全面勝訴の内容で和解が成立しました。

 これら2件は民間の会社ですが、公務員でも判例があります。警視庁に採用が決まった男性が、採用後に同意なくHIV検査がおこなわれ、結果が陽性であり、これを理由に警視庁は退職勧奨したのです(東京地判平15.5.28労判852-11)。東京地裁は判決で「HIV感染者だからといって、警察官に適しないとは言えないから、検査に必要性はない」と述べたうえで、東京都などに440万円を支払うよう言い渡しました。

HIV陽性者が就けない仕事

 ところでHIV陽性者が就けない仕事というのはあるのでしょうか。私の意見として、というより医学的に客観的な観点から言うならば「ありません」。HIVに感染していても、服薬をきちんと続けていて、免疫状態が安定していれば日常生活の制限はありませんから理論的に就けない仕事はないのです。

 ところが、HIVに感染すると就けないという規定が設けられた仕事があります。それは(日本の航空会社の)パイロットです。航空医学研究センター(http://www.aeromedical.or.jp/manual/manual_1.htm)によると、「治療中のHIV感染症」は「不適合状態」とされています。「HIV感染について申告があった場合は、認知機能に異常がなく、AIDSでないことを確認すること」とあり、これを読むとエイズを発症していなければOKと読めますが、評価上の注意として「治療中のものは不適合とする」とあります。HIVは過去には免疫がある程度低下してから治療を開始していましたが、現在では発見されれば可及的速やかに抗HIV薬を開始するのが世界的なコンセンサスです(参照:「HIVを『死から解き放った』薬」)。パイロットがHIV陽性であっても治療により免疫が安定していれば勤務可能としている国が多いのですが、日本以外にも就労を制限している国があり問題視されています。

 パイロット以外では、海外勤務に際し就労ビザを取得するときに「HIVに感染していないこと」が条件とされている国がいくつかあります。非常に残念なことですが、その国が規定している以上、我々にはなすすべがありません。私が診ている患者さんの中にもビザ申請のための検査でHIV感染が発覚し、ビザ申請を辞退、会社にその原因を伝えることができず「一身上の都合」という名目で退職した人がいます。17年12月現在、このような理不尽な規定を設けている国の代表がロシアとシンガポールです。中東やアフリカの国にもいくつかあります。

 ところで、HIV陽性者が勤務できるか、という議論になったときに必ず取り上げられる職業があります。それは「医療者」です。11年、福岡県の病院で勤務していた看護師がHIV感染を理由に退職させられました。この事件は看護師が訴訟を起こしたことで有名になりさまざまな議論の引き金になりました。次回はこの事件を詳しく紹介し、HIV陽性の医療者は勤務できるか、について論じてみたいと思います。

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注:毎日新聞に17年11月18日、ある大手企業の従業員が血友病で医療費がかかりすぎるという理由で退職させられた可能性のあることが報道されています。この従業員は病名を会社に伝えていませんでしたが、年間医療費が3800万円かかり、レセプトを審査する健保組合担当者が企業に通報したというのです。このような個人情報の漏えいがまかりとおるなら、HIV陽性者の就職は困難になると言わざるを得ません。報道には記されていませんでしたが、健保組合担当者のこの行動は、守秘義務違反の罪に問われないのでしょうか。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト