実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

HIV陽性の医療者は勤務できるか

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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エイズという病を知っていますか?【15】

 日本人がHIVに感染する原因で最も多いのは、性交渉です。無防備な性行為や売買春で感染することが多いのは事実ですが、愛するパートナーから感染している人も少なくありません。そして、HIVの知識が十分ある医療者も当然のことながら恋愛をします。最初の性行為を持つ前に性感染症の話をして2人で検査に行くのが望ましいということは、理屈では分かっていても実際には必ずしもできるものではありません。かくして知識のある医療者もHIVに感染するのです。

 実際、私が現在診ている、または過去に診察したことのあるHIV陽性者のなかには医療者も少なくありません。医師、看護師、介護士、診療放射線技師、理学療法士……と、ほぼ全種類の医療従事者のHIV陽性者を診察したことがあるといっても過言ではありません。

看護師が提起した「HIV訴訟」 司法の判断は

 さて、HIV陽性の医療者が医療行為をおこなうことには問題はあるのでしょうか。結論を述べる前に、まずは実際にHIV陽性の看護師が解雇され法廷に持ち込まれた事件を振り返ってみましょう。

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 2011年8月、福岡県のA病院に勤務していた看護師がA病院を患者として受診しました。A病院では診断がつかずB病院を受診することになりB病院でHIV感染が判明しました。看護師を診察したB病院の担当医は「患者への感染リスクは小さく、上司に報告する必要もない」と伝えました。(12年1月13日共同通信)

 ところが、B病院の別の医師がその看護師の許可をとらずに、看護師が勤務するA病院の医師にHIV感染をメールで通知しました。看護師はA病院の上司から「患者に感染させるリスクがあるので休んでほしい。90日以上休職すると退職扱いになるがやむを得ない」と告げられ、休職後の11年11月末に退職させられました。

 12年1月11日、看護師は「診療情報が患者の同意なく伝えられたのは医師の守秘義務に違反する。休職の強要も働く権利を侵害するものだ」という理由で、A病院、B病院の双方を提訴しました。(以上13年4月20日日経新聞)

 13年4月19日、福岡県の地裁支部にて原告(看護師)とB病院の間で和解が成立しました。守秘義務違反で提訴していた原告の主張をB病院が認め、「検査結果を紹介元(勤務先のA病院)に提供するにあたり、原告の意思確認が不十分だったことを認め、真摯(しんし)に謝罪する」としたうえで、「診療情報を紹介元に提供する際は、患者本人の意思確認を徹底することを約束する」との再発防止策も盛り込みました。(13年4月19日毎日新聞)

 一方、看護師が勤務していたA病院は、「わずかでも患者にHIV感染の危険がある以上、看護業務から離れてもらうのは医療機関として当然だ」などとして看護師と争いました。そして14年8月8日、決着がつきました。福岡県の地裁支部はA病院による看護師のプライバシー侵害と就労制限の不当性を認定し、損害賠償としてA病院に約115万円の支払いを命じたのです。(14年8月8日同=注1)

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 B病院の医師が看護師の許可を得ずにA病院にHIV感染を伝えたことは明らかに守秘義務違反であり論ずるに値しません。この守秘義務違反については日本全国のほぼすべての医療者があきれかえりました。

愛知では看護師への退職勧奨が

 ここで「HIV陽性の医療者が勤務を続けていいか」という問題を根本的に考えてみたいと思います。福岡の看護師は解雇されたA病院を訴え、司法はA病院の就労制限を違法と認めました。法廷で争われた同様の事件は他に見当たりませんが、10年には、愛知県内の病院でHIV感染を理由に退職勧奨をされた看護師が地元の新聞に報道され話題になりました(http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20100430144849641)。ただ、この看護師は理解ある別の病院に職を得ることができたことなどもあり、訴訟提起を断念したそうです。

 さて、あなたならHIV陽性の医療者をどのように考えるでしょう。あなたに小学生のひとり息子がいたとします。ふだんはやんちゃばかりしているお子さんは高熱を出し水分を取ることも困難です。夜間の救急外来に連れて行くと入院が必要だと言われ小児科病棟に数日間入院することになりました。

 その小児科病棟で、HIVに感染していることに自身も気付いておらず血中ウイルス量の数値がかなり高い看護師が働いていたとしましょう。一般に小児に対する点滴や注射は医師が担当しますが、採血については看護師がおこなうこともあります。その病院では看護師が採血をすることになっています。成人と異なり、小児は採血のときに暴れることがあります。そんなとき採血針がその看護師の皮膚をかすめ針先にわずかな血液が付着し、その直後に偶発的に針が小児に刺さってしまったとすればどうでしょうか。血中ウイルス量の程度にもよりますが、ウイルス量が多ければ感染の可能性がでてきます。

 おそらくあなたは「そんな病院に入院させたくない」と思うでしょう。実際、世界にはHIV陽性の医療者が患者に感染させた「事故」が私の知る限り4例あります(注2)。つまり、感染のコントロールが不十分な場合は、業務内容にもよりますが「すべての医療行為を条件なしにおこなっていい」とは言い難いのです。

 例えば、オーストラリアでは、06年8月、HIV陽性が発覚したクイーンズランド州の女性歯科医師が感染の事実を行政に報告し、患者に直接的な処置をすることのない保健関係の仕事が州から与えられたことが現地のマスコミ(NEWS.COM.AU)に報道されました。

 HIV陽性の医療者は仕事を続けてもいいのかどうか--「答え」は次回述べます。

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注1:その後15年1月29日福岡高裁で控訴審判決が出されました。A病院のプライバシー侵害などの認定と賠償命令には変わりがありませんが、支払額が約61万円に減額されました。この理由は「元看護師は勤務先の病院が検査結果を職員間で共有することについて事後承諾していた」とされています。A病院は上告しましたが、16年3月29日付で最高裁はこれを退ける決定を出しました。(15年1月30日、16年4月1日毎日新聞)

注2:4例を紹介しておきます。

1例目はこのサイトでも紹介した米国のキンバリー事件で、ひとりの歯科医から合計6人が感染しています。ただし、この例は私としては、歯科医師→患者の感染ではなく、不十分な滅菌処置の結果だと考えています(参照:「謎のHIV感染『キンバリー事件』を推理する」)。他に、フランスで2件(整形外科医、看護師から)、スペインで1件(産婦人科医から)の報告があります。

参照:http://www.kenei-pharm.com/cms/wp-content/uploads/2016/12/1202.pdf

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト