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HIV陽性の医療者が勤務を続けるためには

谷口恭・太融寺町谷口医院院長

エイズという病を知っていますか?【17】

 HIV陽性の医療者は勤務を続けていいのかどうか。まずは前回の要点をまとめてみましょう。

・医師、看護師など医療者も恋愛をし、その結果HIVに感染することもある。

・2011年に福岡の看護師がHIV感染を理由に解雇され病院を訴え最高裁まで争われたが、司法は一貫して病院の解雇を「違法」と判断した。

・10年には愛知県の看護師がHIV感染を理由に退職勧奨をされていた。

・血中ウイルス量が多い場合は医療行為で「医療者→患者」の感染が起こる可能性がある。

・世界には過去に4例、医療者が患者にHIVを感染させたとされる「事件」があった。

・06年にはオーストラリアの歯科医師がHIV陽性を当局に申告し、患者と直接接する仕事ができなくなった。

 それらを受けての<設問>は「あなたの息子が小児科病棟に入院することになり、HIV陽性の看護師に採血をされることになった」というものでした。あなたなりの考えはまとまりましたか?

明快な看護協会とあいまいな厚労省

 HIV陽性の看護師は勤務を続けることができるか。この問いに対し、約72万人が加入する看護職能団体「日本看護協会」はきっちりとした「答え」を公表しています。同協会はウェブサイトで「HIVに感染した看護職の人権を守りましょう」というタイトルで見解を表明(https://www.nurse.or.jp/nursing/shuroanzen/safety/infection/#p2)。「HIVに感染した看護職の人権を守るよう呼び掛けます」と宣言し、「感染者の就業制限はありません。引き続き看護職としての就業が可能です。感染を理由とする解雇・退職勧奨は違法行為です」と明記しています。

 では、看護師以外の医療従事者はどうなのでしょう。厚生省(当時)は1995年に「職場におけるエイズ問題に関するガイドラインについて」(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/05/s0527-3b.html)という通達を発表しています。ところがこの通達では、「本ガイドラインは、労働者が通常の勤務において業務上HIVを含む血液等に接触する危険性が高い医療機関等の職場は想定していない」とされています。つまり、「HIV感染を理由に職場で差別してはいけないけれど、医療者についてはわからない。だから勤務OKと断定はできません」ということです。

 そして2010年4月にこの部分が改正されました。これは前回述べた「愛知県看護師退職勧奨事件」を受けてのことだと言われています。改正後は「医療機関等の職場については(中略)別途配慮が必要で(中略)『医療機関における院内感染対策マニュアル作成のための手引き(案)』等(中略)を参考にして適切に対応することが望ましい」(https://www.jaish.gr.jp/anzen/hor/hombun/hor1-51/hor1-51-11-1-0.htm)とされました。典型的なお役所文書でわかりにくいのですが、わかりやすく“翻訳”すると「厚生労働省は規則をつくらないから各医療機関で判断しなさい」ということです。

 日本看護協会と異なり、厚労省の見解はすっきりとせず、これでは責任回避に他なりません。ちなみに日本医師会は、この件については何らコメントを表明していません。

一定条件下で医療行為を可能としたイギリスの決定

 では、海外ではどうでしょうか。

 13年8月15日、イギリス保健省は、HIV陽性の医師や歯科医師、看護師およびその他の医療者が一定の歯科および外科処置を実施できることを発表しました(https://www.gov.uk/government/news/modernisation-of-hiv-rules-to-better-protect-public)。ただし、対象者(HIV陽性の医療者)は、公衆衛生当局への登録が義務付けられ、抗HIV薬を内服していること、3カ月ごとの定期検査でウイルス量が検出限界以下であることなど一定の条件を満たしていなければなりません。

 このイギリスの発表が世界中に影響を与えたのではないかと私はみています。現在は世界の多くの国で、HIV陽性であってもウイルスがきちんとコントロールできていれば勤務可能としています。06年には歯科医師が業務の変更を余儀なくされたオーストラリアでも、現在はイギリスの施策の影響を受けてHIV陽性の医療者も通常勤務が可能とされています。

日本はイギリスにならうべきか

 では、なぜ日本の厚労省は海外と同じように「HIV陽性の医療者も勤務OK」と明言しないのでしょうか。私は先に厚労省の対応への不満を述べましたが、一方で厚労省の役人の気持ちもわかります。もしも日本でイギリスと同じような通達を出したとしても、いったいどれほどの医療者がHIV感染を勤務先に報告するでしょうか。イギリスの方針では「当局への報告と定期的な検査」が義務付けられています。当局(地域の保健所)には申告して勤務先の病院には秘密にする、という方法も考えられなくはありませんが現実的には困難でしょう。

 医療機関ですら、いえ日本の現実は“医療機関で特に”HIVの「差別」があるわけです(「日本の医療機関 HIV差別の実態」「医療機関がHIV陽性者を拒むわけ」など参照)。そういったことを考慮すると、このイギリス式のシステムが日本になじむとは思えません。ちなみに、私の知る限りHIV陽性の医療者が職場でカムアウトしているケースはほぼゼロです。ということは、もしも厚労省がイギリスと同じ政策を発表したとしても、“正直に”HIV感染を職場や当局に申告する医療者がいるとは思えないのです。

 では、日本ではどうすべきか。社会全体では無理だとしても、少なくとも医療機関で、そして医療者の間で、HIVの正しい知識を普及させ「血中ウイルス量をコントロールできていれば院内感染は起こらない」という事実の共有を普遍化させることが先決です。そして、少しずつでも社会全体に対し、現在HIVは完全にコントロールできる感染症であり、注射や点滴、あるいは手術をおこなう医療者がHIV陽性であっても患者に感染させることはない、ということを理解してもらうことが必要です。

 最後に最も重要なことを述べます。HIV陽性の医療者が勤務できるのは「抗HIV薬によりウイルスを完全にコントロールできていること」が条件です。感染に気付いていない場合や治療を受けていない場合には、必ずしも勤務が許されるわけではありません。

 もしもこれを読んでいるあなたが医療者なら「HIV感染は絶対にない」と言い切れますか。

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。