実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

第一次大戦より多数の犠牲者を生んだ感染症

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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知っているようで、ほとんど知らない風邪の秘密【16】

 ごく短期間に極めて多数の死者を出す歴史上の出来事と言えば、誰もが戦争を思い浮かべるでしょう。特に20世紀に起こった二つの世界大戦は文字通り世界規模のものであり、多数の犠牲者を生みました。1914年6月、オーストリアの皇太子がセルビア人の青年に暗殺された事件がきっかけで世界に広がった第一次世界大戦では、終戦までの4年間で戦闘員と民間人を合わせて4000万人近くが死亡したと言われています。

第1次世界大戦の青島総攻撃で攻城重砲を操作する兵士たち=1914年10月31日撮影
第1次世界大戦の青島総攻撃で攻城重砲を操作する兵士たち=1914年10月31日撮影

 4000万人というのは相当な規模ですが、実は第一次大戦の終わりごろ、今からちょうど100年前の1918年に生じた「ある出来事」ではわずか1年間でそれを上回る5000万人以上が死亡しました。その出来事とは「スペイン風邪」、つまりインフルエンザです。

若者が犠牲になったスペイン風邪

 スペイン風邪の威力はすさまじく、米国立公文書館によれば、当時の米国の人口の25%が罹患(りかん)して多数の死者を出し、なんと1年間で平均寿命が12歳も短縮しました(注1)。驚くのは死亡者数だけではありません。当時の記録によれば、感染して症状が出現すると、数時間以内に死亡したというのです。死亡の理由は窒息です。極めて短時間で肺に水がたまり、呼吸困難に陥ったのです。

 インフルエンザは20世紀前半当時も、現在と同じように毎年のように流行していたと考えられています。にもかかわらず、1918年のスペイン風邪のみが世界史を変えるほどの威力を発揮したのはなぜでしょうか。それを考える上で重要なポイントがあります。それは、犠牲者の年齢層です。

 本来インフルエンザの犠牲になるのは体力の低下した高齢者です。しかしスペイン風邪が襲ったのは健康な若者でした。その逆に高齢者は罹患しにくかったのです。現在、この理由が明らかにされています。スペイン風邪は1889年以降に生まれた若者に感染しやすいという特徴がありました。つまり、1889年までに生まれていた人はスペイン風邪の流行以前に同じタイプのインフルエンザに罹患しており、自然免疫があったのだろうと考えられているのです。

 どこかで聞いた話と似ている……。そう感じた人もいるのではないでしょうか。これは2009年に世界中を襲った新型インフルエンザ(海外では今も「豚インフルエンザ(swine influenza)」と呼ぶのが一般的です)が流行したときの指摘と同じパターンです。つまり、過去に感染した経験のある高齢者は感染しにくく、その逆に免疫を持たない若年者がかかりやすいと言われたのです(注2)。

新型インフルエンザが流行した2009年4月、米国から到着する航空機の機内検疫に向かう検疫官ら=関西国際空港で2009年4月30日、小川昌宏撮影
新型インフルエンザが流行した2009年4月、米国から到着する航空機の機内検疫に向かう検疫官ら=関西国際空港で2009年4月30日、小川昌宏撮影

インフルエンザの死亡者はなぜ減らないのか

 ところで毎年流行するインフルエンザは世界でどれくらいの死亡者をもたらしているのでしょう。季節性インフルエンザの場合、健康な成人であれば死に至ることはほとんどありませんから、大量の死者を生み出しているとは想像しにくいでしょう。ところが実際には、世界保健機関(WHO)によれば毎年25万人から50万人が死亡しているのです。「世界3大感染症」と言われているのは、結核、エイズ、マラリアで、死亡者数はこの順番です。結核とエイズは100万人を超しますが(この二つの重複感染も多い)、マラリアは40万人程度です。マラリアは予防も治療も薬剤が普及してきています。ということは、近いうちにインフルエンザがマラリアにとってかわって世界3大感染症の一角を占めることになるかもしれません。

 では、なぜ昔からありふれたインフルエンザの死亡者数は減らないのでしょうか。この問いに対するよくある“答え”が「ワクチンが効かないから」です。たしかに、インフルエンザのワクチンは感染を完全に防ぐことができず「成績」がよい年でも効果は60%程度(注3)であろうと言われています。過去の連載(「インフルエンザワクチンは必要?不要?」)で紹介したように、米国では15年のワクチンの効果はわずか19%しかありませんでした。

 ですが、それでもワクチンは重要です。それを示すひとつの例を紹介しましょう。

 09年に世界規模で流行した新型インフルエンザは大規模での死者数が予想されたため、WHOは警戒レベルを最高度のフェーズ6に設定しました。しかし、結果的には死亡者はそれほど多くありませんでした(注4)。WHOの見解は過大ではなかったのか、という声も上がりましたが、当初メキシコではやりだしたときに立て続けに死亡者が報告されたのは事実ですし、途上国では統計に上がってこない死亡者が多かったと考えられています。そして、Voice of Americaは(注1の記事で)、途上国で死者が多かった最大の理由が「ワクチン接種者が少なかったこと」と指摘しています。

インフルエンザワクチンへの期待と限界

 では、これからも我々は現状のワクチンで対処していくのが最善なのでしょうか。この問いに答えるなら「イエス」となるのですが、医療者も現状のワクチンに“満足”しているわけではありません。現状のワクチンが“頼りない”理由のひとつは、ウイルスが常に変化し製造が困難だからです(注5)。

 患者さんと同じように我々も、ウイルスがどのように変化しても効く「万能ワクチン」の登場を待っています。そしてその可能性がでてきました。17年10月、米国バンダービルト大学医学部が、この万能ワクチンの開発を18年の前半に開始することを発表したのです(注6)。しかしながら、ワクチンの開発に成功したとしても市場に登場するのには相当の年月がかかります。では、せめて既存のワクチンの「改良型」はないのでしょうか。

 既存のワクチンは「不活化ワクチン」です。一般に、病原体を弱毒化させた「生ワクチン」の方が不活化ワクチンよりも高い効果が期待できます。そして、インフルエンザの生ワクチンは海外ではすでに市場に登場しています。さらにありがたいことに痛みの伴う注射ではなく「経鼻ワクチン」といって鼻に吹き付けるタイプのものです。痛くなくて効果も高いなら普及するに違いない、と多くの医療者は考えました。そして、ついに日本でも16年に承認申請が出され、発売までもう少しというところまできました。

 ところが、当初高い評価を得ていたこのワクチンを検証したところ、実際には効果が乏しいことがわかり16年から米疾病対策センター(CDC)は推奨していません(注7)。日本での承認申請が米国のこの方針から影響を受けるのは間違いありません。日本でも一部の医療機関は独自に輸入してこのワクチンを勧めているようですが、普及しないだろうと私はみています。

 結局のところ、完全なワクチンではないものの、既存の注射型ワクチンに頼るのが現時点では最善ということになります。今シーズン(17年後半から18年前半)はワクチン不足に陥り、うちたくてもうてない人が続出しました。

インフルエンザワクチンの接種を受ける男性=東京都内の国立病院で2010年2月10日、代表撮影
インフルエンザワクチンの接種を受ける男性=東京都内の国立病院で2010年2月10日、代表撮影

 最後に、過去のコラムでも述べた現在のインフルエンザワクチンの特徴をまとめておきます。

1)ワクチンを接種しても感染することが多いのは事実。

2)しかしワクチン接種で重症化を防ぐことが期待できる(注8)。

3)ワクチン接種で他人へ感染させるリスクが減少する。

4)妊娠中も含め生後6カ月以上のすべての人にワクチン接種が推薦されている。

5)小児、高齢者、免疫力が低下している人(化学療法を受けている人や人工透析を受けている人など)は、重症化するリスクが高いので2回接種が検討されることもある。

   ×   ×   ×

注1:Voice of Americaの記事、及び米国立公文書館のサイトで紹介されています。

https://learningenglish.voanews.com/a/health-lifestyle-flu-virus-deadlier-than-war/4139812.html

https://www.archives.gov/exhibits/influenza-epidemic/

注2:新型インフルエンザが流行しだした当初は60歳以上に抗体があるのではないかと言われていましたが、科学技術振興機構の調査では、60歳以上ではなく90歳以上、つまり1918年以前に生まれた人がその抗体を持っていたことが示されました。

http://www.jst.go.jp/pr/info/info652/index.html#zu3

注3:CDCのサイトに、ワクチンの効果は40~60%と記載があります。

https://www.cdc.gov/flu/about/qa/vaccineeffect.htm

注4:下記のデータでは2万人弱となっていますが、実際には統計に上がってこない人数もありますから、これよりも多いのは自明です。ですが、総じて言えば、当初予想されていたよりも死亡者数が少なかったのも事実です。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/dl/infu100528-02.pdf

注5:インフルエンザウイルスはRNAで遺伝情報を伝える「一本鎖のRNA型ウイルス」です。このタイプのウイルスは高頻度に変異を繰り返し、ワクチンの開発が困難なことは過去の連載「日本でも次第に増大するリスク エンテロウイルスの謎【後編】」で述べました。

注6:下記を参照してください。

https://news.vanderbilt.edu/2017/10/26/vanderbilt-leads-international-effort-to-develop-universal-flu-vaccine/

注7:下記を参照してください。

https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/66/rr/rr6602a1.htm

注8:ワクチンを接種していれば、筋肉痛、震え、頭痛の頻度が少ないことを示した論文があります。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28291646

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。