実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

少数民族ロヒンギャの命を奪うジフテリア

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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 世界一長いビーチで有名なアジアの街をご存じでしょうか。バックパッカーたちの間でひそかに人気のあるこの街の名は、コックスバザール。バングラデシュの南東部に位置するこの街には空港もありますが、バックパッカーたちはバスを利用することが多いようで、首都ダッカからは11~14時間、同国第2の都市チッタゴンからだとおよそ4時間の道程となります。私は訪れたことがありませんが、どこまでも続く白い砂浜と、のんびりした雰囲気が最高の「癒やし」を与えてくれるそうです。

難民の間で蔓延する感染症

 そのコックスバザールという文字を最近しばしば海外のメディアで目にします。ミャンマー政府からの迫害で追われた少数民族のロヒンギャが難民として避難しているからです。その人数はおよそ65万人。難民を受け入れないことで有名な日本ではあまり報道されていませんが、難民たちは不潔な水や不衛生な居住環境でさまざまな感染症に苦しんでいます。

支援物資を受け取るため、列に並ぶロヒンギャ難民たち=コックスバザールで2017年10月1日、金子淳撮影
支援物資を受け取るため、列に並ぶロヒンギャ難民たち=コックスバザールで2017年10月1日、金子淳撮影

 麻疹(はしか)、風疹、コレラなど多数の感染症が蔓延(まんえん)していますが、現在最も問題になっているのがジフテリアです。日本ではすでに「過去の感染症」と考えられていますが、ワクチンを接種していなければ他人のせきやくしゃみなどから容易に感染し、死に至る病となります。現在「国境なき医師団」を中心とした複数の団体が、ロヒンギャの難民にワクチン接種及び治療をおこなっていますが、すでに広範囲に及んでおり多数の犠牲者が出ています。同医師団によれば、2017年12月21日までに、把握できているだけで2000人以上が感染。患者の多くは5~14歳の小児で、すでに20人以上が死亡しています。

 現在、日本でジフテリアを診察することはまずありませんが、過去には猛威を振るい多数の小児が犠牲になりました。国立感染症研究所(https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/411-diphteria-intro.html)によると、国内のジフテリア感染者(届出数)は1945年に約8万6000人、うち約10%が死亡しています。ワクチンの普及で感染者数は大きく減少し現在国内での報告はほとんどありません。

 ジフテリアにはワクチンが極めて有効であることを示す歴史があります。旧ソ連では日本と同様、ワクチンの普及でジフテリア発症がほとんどなくなりました。しかし政権崩壊の影響でワクチンが供給不足となり、再び流行。90~95年で12万人以上が感染し4000人以上が死亡しました。現在は多くの国でワクチンが徹底されるようになっていますが、ロヒンギャを含む少数民族にまでは普及していないのが現状です。

小さな橋を渡って避難するロヒンギャ難民たち=コックスバザール近郊で2017年10月4日、宮武祐希撮影
小さな橋を渡って避難するロヒンギャ難民たち=コックスバザール近郊で2017年10月4日、宮武祐希撮影

ジフテリアの診断、治療法

 さて、我々日本の臨床医がジフテリアを診る機会はめったにないわけですが、もしも遭遇すると患者さんを死に至らしめることになりかねませんから、経験がなくとも絶対に見逃してはいけません。初期には風邪の症状を呈しますが、ここで「ただの風邪」などと判断すると取り返しのつかないことになります。過去の連載(「ワシントンの命を1日で奪った『死に至る風邪』」「まだまだある、危険な『死に至る風邪』」)で、初期は単なる風邪症状だけであっても命を奪う感染症についていくつか述べましたが、ジフテリアもそのひとつといえます。

 ジフテリアの特徴は毒素を産生し症状が全身に及ぶことです。鼻粘膜や咽頭(いんとう)のみならず、皮膚や結膜や外性器にも症状が生じます。さらに心筋炎を起こすこともあり、こうなれば命が危うくなります。また、神経症状をきたすこともあり、この場合命は助かってもまひ症状が残ります。

 このような危険な感染症に対してどのように診断をつけていくかというと、ジフテリアの病原菌は「グラム陽性桿菌(かんきん)」といって、グラム染色で陽性(濃い青色に染まる)の桿菌(細長い菌)です。咽頭炎や肺炎の原因菌として多い連鎖球菌や肺炎球菌は同じグラム陽性ですが「球菌=丸い菌」です。ですから、激しい咽頭痛や高熱があり、もしもグラム染色でグラム陽性桿菌が確認されたならジフテリアを鑑別に入れる(感染を疑う)ことになります。確定するにはPCR法という方法でジフテリア菌がいるかどうかを調べなければなりませんが、結果が出るまでに数日かかります。この感染症は極めて短期間で一気に致死的な状態になりますから、結果を待っていられません。疑えば直ちに治療を開始します。治療には抗毒素を用いなければなりませんが、これは医療機関には常備されておらず、厚生労働省の健康局が保管しています。ですから、疑えば大きな病院に入院してもらい、同時に可及的速やかに厚労省に依頼して抗毒素を取り寄せなければなりません。

 日本で診察している限り、ジフテリアを経験することはほとんどないわけですが、絶対にないとも言い切れません。先述した過去の連載で紹介した「死に至る風邪」も含め、いくつかの重症化する感染症を臨床医は見逃してはなりません。咽頭を綿棒でぬぐっておこなうグラム染色は患者さんからは何気なくやっているようにみえるかもしれませんが、重要な感染症を見落とすことがないよう注意しているのです。

日本でジフテリアワクチンが必要な人は?

 さて、我々日本人はジフテリアに対してどのように対処すべきでしょうか。ワクチンは、「三種混合ワクチン」とも呼ばれるDPTワクチンが該当します(他の二つは破傷風と百日ぜきです)。小児のころに接種するDPTワクチンのジフテリアへの効果は、20代半ばくらいに切れるだろうと言われています。したがって、それ以降も予防するのであれば成人用のワクチンを接種することになります。

 成人用ワクチンはどういった人が接種すべきでしょうか。コックスバザールに赴いてロヒンギャの難民の力になろう、と考えている人がいれば接種すべきでしょうし、アジアに限らず貧困地域ではワクチンが普及していない可能性があり、そういった地域に渡航する人は目的に関わらず検討すべきでしょう。

難民に冷たい日本で光る館林市の姿勢

 日本人にとってロヒンギャはなじみがないかもしれませんが、積極的に難民を受け入れている地域があります。群馬県館林市です。館林市は(おそらく)日本で唯一ロヒンギャ難民を受け入れており、昨年(2017年)には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のダーク・ヘベカー駐日代表が同市を訪問しています。世界で最も難民に冷たいと言われているこの国でこのような市があることを私はとてもうれしく思います。何しろ16年の日本への難民申請数1万901人のなかで認定されたのはわずか28人しかいないのです(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00666.html)。アフリカや中東からの難民を十万人単位で受け入れている欧州とは雲泥の差があります。ちなみにドイツは15年に90万人近い難民を受け入れています。

 それにしても日本が難民にこうも厳しいのはなぜなのでしょうか。まさか、ジフテリアを輸入したくないという理由ではないと思いますが……。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。