実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

狂犬病のワクチンをうつべき人は?

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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知っていますか?意外に多い動物からうつる病気【2】

 過去のコラム「世界で最も恐ろしい生物とは?」では、どの生物がどれくらい人間を殺しているかについて述べました。そのランキングで第4位の座を占めているのが「犬」です。日本にいれば、なんで犬が怖いの?と感じられますが、海外に渡航したときには犬のリスクを軽視してはいけません。今回は、連載第3回の「感染症対策の日韓比較~日本が進んでいること~」で少し紹介した、狂犬病についてまとめてみたいと思います。

発症すると100%死亡

 まずは狂犬病のおそろしさから確認しましょう。この感染症は発症すれば100%死亡します。実は、発症しても助かった人が過去に4人とか5人とか言われることがあるのですが、きちんと検証されたかどうかには異論もあり、現実的には「100%死亡」と考えるべきです。日本ではとりあえずは過去の感染症と考えて差し支えありませんが、現在も世界では毎年数万人が死亡しています。1956年以降は国内感染の報告はありませんが、かつて猛威をふるった歴史があり、25年には1年で2000人以上が死亡しました。

 発症すれば短期間で死に至ります。また、死までの数日間の苦痛も相当なものです。私は過去にある学会で、ひとりの患者さんが苦しみながら死んでいく様子をおさめたビデオを見たことがあります。なんと、この映像は厚生省(当時)により50年に撮影されたものです。今の時代ならプライバシーの観点から作製されないでしょうが、当時はそのような概念がなかったのでしょう。4歳の男の子が入院してから死に至るまでの経過が、顔が隠されることもなく映っていました。

 入院したばかりの頃は子どもらしい笑顔でベッドに座り、とても愛くるしい顔をしています。それが、日がたつにつれて落ち着きをなくしていきます。狂犬病の症状として、教科書には「水を怖がる」と書かれていますから、水から逃げるのかと思いきや、そうではなく、カップの水を求めます。水を飲まなければ生きられませんからそれは当然でしょう。しかし水を口に含むと興奮を抑えられない不可解な行動をとりだします。その後けいれんを繰り返し、最後には死に至ります(注)。

 これほど恐ろしい狂犬病ですが、一方でとても“わかりやすい”感染症です。なぜなら、犬(や他の動物)に近づかなければ絶対に感染しないからです。そういう意味で、同じ場所にいるだけで感染(空気感染)する麻疹(はしか)や水ぼうそう、知らない間に蚊に刺され(しかも刺されたことに気付かないことすらある)感染するデング熱やマラリアなどに比べると、対策が取りやすいと言えます。

先進国、都市部だから安全とは限らない

 狂犬病にはすぐれたワクチンがありますが、まずはワクチンをうつ前に「知識」が必要となります。ポイントは次の三つです。

・日本、英国、豪州など一部を除くほぼすべての国でリスクがある。

・狂犬病の原因となる動物は犬と限らない。猫、サル、リス、キツネ、アライグマ、コウモリ(の尿)などにも注意が必要。

・感染したかもしれないアクシデントがあれば直ちに現地の医療機関を受診すること。狂犬病はウイルスが体内に入ってからでもワクチンで発症を防げる。

 感染症のなかには南国のみに存在するもの、あるいは発展途上国のみに存在するものなどもありますが、狂犬病は米国や韓国でも起こり得ます。特に米国ではコウモリの尿から感染する事例が最も多いと聞きます。例えば、現地の洞窟などを訪れて、コウモリの尿が手にかかり、それに気づかず目をこすったときに感染、といったことが起こり得るのです。

 飼い犬だから安心というわけではありません。タイの現地新聞によれば、バンコクの飼い犬の4割が狂犬病のリスクにさらされているそうです。日本と異なり犬の予防接種が進んでいないのです。この数字を考えると、道端をうろついている野良犬はほぼ全てに注意が必要と考えるべきです。タイに行ったことのある人なら分かると思いますが、タイでは昼間には多くの犬が道端でだらしなく寝ています。しかし夜になると豹変(ひょうへん)することがあります。タイの医師によると、犬に対して警戒心のない日本人、さらに小さいお子さんは特に危ないそうです。

 ちなみにタイではサルにも注意が必要です。過去のコラム(「差別される病 2002年タイにて」など)で紹介したタイ最大のエイズホスピス「パバナプ寺」があるロッブリー県は、野生のサルが多いことで有名です。私はあるとき、子ザルと遊んでいて夢中になり、ふと視線を上げると10匹以上の成体のサルに囲まれていて恐怖を覚えたことがあります。成体のサルたちは、私が子ザルをいじめていると思ったのでしょう。低いうなり声を出し威嚇してくる姿は今思い出しても身震いするほどです。幸いにもサルの爪が上着をかすめただけで傷は負いませんでしたが、もしも爪が皮膚に刺されば医療機関を受診するつもりでした。私は狂犬病のワクチンを接種していますが、それでも動物にかまれたり引っかかれたりした場合は可及的速やかに医療機関を受診します。

子どもにはできるだけワクチン接種を

 さて、ワクチンはどのような人がうてばいいのでしょうか。ここは医師の間でも意見が分かれるかもしれないので「私見」を述べます。まず、私は通常の観光やビジネスで都市部に渡航する人には、原則として勧めていません。その理由は二つあります。一つは狂犬病のワクチンは値段が高いこと。もう一つは都市部なら外国人が利用できる医療機関がありますから、万一アクシデントが起こったとしても事後処置(発症を防ぐために受けるワクチンの「暴露後接種」)で間に合うことです。

 ただし、子どもが一緒の場合は事情が異なります。例えばバンコクやジャカルタに家族で赴任する場合、無防備に現地の動物に近づいてしまう可能性がある子どもにだけは、事前にワクチン接種を勧めることがあります。また成人であったとしても、カンボジアの奥地にボランティアに行く学生や、ラオスやミャンマーの辺地でトレッキングをするという人などには話をすることもあります。

 改めて狂犬病という感染症を考えてみると、日本はなんて幸せな国なんだ、と思わずにはいられません。前回紹介したウルセランスを含め、注意しなければならない感染症はいくつかありますが、それでも狂犬病のリスクをまったく考えずに犬と接することができる国はほとんどないのです。きっと、犬好きの外国人から日本人は羨ましがられているに違いありません。極めて短期間で狂犬病を国内発症ゼロにした当時の関係者の功績に、我々は感謝しなければなりません。

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注:このビデオはもちろん一般には公開されていません。しかしこの男の子の写真が載ったポスターが厚生労働省によってつくられています。「私たちは君を忘れない」というタイトルで下記のURLで閲覧することができます。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/pdf/poster02.pdf

(初出時、バンコクの犬に関する記述に誤りがありましたので修正しました)

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。