トキソプラズマが怖い? 妊娠中に猫と過ごすには

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知っていますか? 意外に多い動物からうつる病気【9】

 妊娠中に猫を飼ってはいけないって本当ですか?

 これは、妊娠を考えている、あるいは妊娠している患者さんからよく聞かれる質問です。妊婦さんは出産に関することは産婦人科医に話されますが、それ以外のことは太融寺町谷口医院のような総合診療のクリニックに相談されることが多いのです。

 そんな妊婦さんからの質問のなかで、正しい知識が普及していないな……と感じる感染症のひとつがトキソプラズマ症で、妊婦さんのコミュニティーの中でも混乱があるのが「猫との過ごし方」です。

 生まれたばかりの子猫なら大丈夫? 年老いた猫の方が安全? 妊娠中は猫を家の中にいれないようにすれば問題ない? 妊娠すると猫のフンに触れてはいけない? ……などいろいろと言われています。これらは時には正しく、時には間違いです。今回は「妊娠中の正しい猫との過ごし方」について述べていきます。

トキソプラズマの正体

 まずは「トキソプラズマ」という一度聞けば忘れにくい妙な名前の病原体の正体を明らかにしていきましょう。トキソプラズマはウイルスでも細菌でも真菌でもなく「原虫」と呼ばれる単細胞の寄生虫の仲間です。そして、全人類の3分の1がその寄生虫に感染している、つまり体内で“飼育”しています。一度感染すれば生涯共に過ごすことになる、我々の“同居人”なのです。

 ムシが体内にずっといるなんてそんなバカな!と感じる人もいるかもしれませんがこれは事実です。ただし、感染率は国や地域によって大きなばらつきがあると言われています。日本人についての大規模調査はありませんが、一部の地域で実施された妊婦を対象とした調査ではおよそ1割が陽性です。一度感染すれば消えることがないわけですから当然感染率は年齢が上がるにつれて高くなるはずです。妊婦さんは比較的若い女性ですから、おそらく日本人全体でみたときには3分の1までは届かないにしても2割程度は生涯のどこかで感染しているのではないでしょうか。

 トキソプラズマは長さ約5μmの小さな原虫で、健常な成人に感染したとしてもほとんど症状が出ません。一部の人は発熱や倦怠(けんたい)感、リンパ節腫脹(しゅちょう)などが生じることがありますが、たいていは自然治癒します。ですから、数カ月間風邪のような症状が続いたけれどいつの間にか治ったという経験がある人は、もしかするとその原因はトキソプラズマだったかもしれません。そして、多くの人は生涯にわたりトキソプラズマに「悪さ」をされることはありません。我々の体内でずっとおとなしくしているのです。ただし、免疫能が低下した場合、たとえばHIVに感染し無治療でいた場合などは、突然牙をむき「脳症」と呼ばれる症状をもたらし、これが死因になることもあります。

注意が必要な猫のフン

 さて、妊娠中にトキソプラズマに感染してはいけないのはなぜでしょうか。それは生まれてくる赤ちゃんに「奇形」が生じる可能性があるからです。ちなみに、これまでこの連載で「感染してもたいしたことがないけれど奇形のリスクがあるから妊婦さんは要注意」の感染症としてジカ熱(参考:「ジカウイルス 無症状ゆえに生じる恐怖」など)と風疹(参考:「『子供のころかかったはず』の風疹抗体が消える謎」など)を紹介してきました。トキソプラズマもそのひとつです。

 では妊婦さんはどのようにしてトキソプラズマに感染するのでしょうか。この答えが“一応は”猫です。実はトキソプラズマ予防には猫よりも注意しなければならないことがいくつかあるのですが、実際に妊婦さんからよく聞かれ、また誤解が多いのは「猫との過ごし方」です。そこで今回は猫について述べ、他の感染ルートについては次回説明します。

 トキソプラズマは猫のフンに混じっています。興味深いことに、犬やブタ、ウシなど他の動物のフンには出てきません。猫(ネコ科の動物)だけなのです。したがって飼い犬から感染することはありません。では、どのような猫のフンに注意が必要かというと「トキソプラズマに感染して間もない猫」だけです。猫がトキソプラズマに感染すると数日後から1カ月程度はフンに混じっている可能性がありますが、それ以降になると出てこないのです。これが「老いた猫からは感染しない」と世間で言われている理由です。

 ですが、すべての猫が小さい頃に感染しているわけではありません。老いてから感染する猫もいるわけですから、老いた猫であれば安心というわけではないのです。一方、子猫なら大丈夫というわけでもありません。出生直後に感染することもあれば、母子感染を起こしている可能性も考えなければならないからです。

検査の優先順位は

 ならば飼い猫がトキソプラズマに感染しているかどうか検査で調べればいいのでは、となり、これは「正解」です。では、さっそく獣医さんのところへ……、と考えたくなりますが、その前にすべきことがあります。それは妊婦さん自身の検査です。女性が感染してはいけないのは「妊娠中」だけです。妊娠前に感染し十分に時間が経過していれば、問題は生じません。先述したように妊婦健診で1割が陽性なわけですから、この1割に入っていればトキソプラズマの感染予防は一切不要ということになります。

 そして、ここまで理解できればもう一歩先をいきましょう。妊娠してからではなく妊娠前に検査をするのです。もしも「既感染」であればその時点で対策不要。これまで通り猫と過ごしてOKです。「未感染」であれば猫の検査に進みます。猫が「既感染」であればこの時点で飼い猫対策は不要です。感染して時間がたった猫のフンにはトキソプラズマが出ないからです。猫も「未感染」であれば、猫を外に出さない、他の猫と触れさせない、生肉を食べさせない(この理由は次回述べます)などを実践し感染予防をします。もしも飼い猫が「感染直後」であった場合は、猫のフンに触れてはいけません。妊婦さん自身がフンの始末をしなければならないなら、1日2回マスクと手袋を装着して処理すべきです。というのは、トキソプラズマは猫がフンをした直後は感染力がないことが分かっているからです。丸1日くらい経過してから感染力がでてくるので、1日2回の処理により人へのリスクが激減するのです。

 これらをまとめると次のようになります(表)。

 私の経験上、ここに述べたことをすべて知っていた猫好きの女性の患者さんはほとんどいません。少々ややこしいかもしれませんが、これらは「5分で学べる知識」です。ムダな心配をしたり後から不安になったりすることを避けるためにもしっかりと確認しておいてください。

 次回は(「動物からうつる病気」シリーズから少し外れますが)猫対策よりもずっと重要な、トキソプラズマの予防について述べます。

   ×   ×   ×

注:抗体検査で「感染直後」という結果が出れば、しばらく妊娠を控えるなどの対策が必要です。ですが、感染直後に出現し、しばらくすれば消える「IgM抗体」が消失するまでの時間には個人差が大きく、「しばらく」がどの程度の時間になるかは個別の対応が必要になります。

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