
知っていますか? 意外に多い動物からうつる病気【10】
前回述べたように、妊婦さんは出産に関することは産婦人科医に話されますが、それ以外のことは太融寺町谷口医院のような総合診療のクリニックに相談されることがよくあります。「妊娠中はどのような食事をすればいいですか」というのも比較的多い質問です。「動物シリーズ」から少し外れますが、今回はこの点から述べていきたいと思います。
妊娠中の飲酒がNGなのは当たり前。バランスのいい食事を。葉酸、鉄、カルシウムあたりをしっかり補って--。このあたりはよく言われることであり、ほとんどの妊婦さんは熟知されています。食中毒を避ける、というのは当然のことではありますが、この点は補足させてもらった方がいい場合があります。
食中毒予防の盲点
妊娠中に下痢や嘔吐(おうと)、腹痛は避けたいですし、抗菌薬を飲まねばならなくなれば胎児への影響を考えなければなりませんから、生ガキ(参考:「今日から使えるノロウイルス対処法」)やしめサバ(参考:「魚は一生ダメ?アニサキスの本当の怖さ」)を食べる人はあまりいないでしょう。ですが、鶏のタタキはどうでしょう。この連載を読まれている方はカンピロバクターのリスクを考えて避けているという人もいるかもしれません(参照:「鶏の生食が危険な二つの理由」)。では、生ハムや薫製肉はどうでしょうか。
肉や魚を生で食べるのは日本の食文化と言えますが危険が伴うのは事実です。特に、肉の生食の危険性はきちんと認識しておかねばなりません。生肉によって起こり得る食中毒はカンピロバクター以外にも多数あります。サルモネラ、E型肝炎、無鉤(むこう)条虫あたりが有名かと思いますがトキソプラズマもそのひとつです。
猫よりも危険な非加熱肉
前回も述べたように、トキソプラズマを心配している妊婦さんから必ず聞かれるのが「猫との過ごし方」です。ですが、実際にはトキソプラズマの感染源としては猫よりも非加熱肉からの方が多いと言われています。「非加熱肉」というのは、生肉(刺し身)だけではありません。当然タタキも含まれますし、トキソプラズマの場合、生ハム、薫製肉、乾燥肉、塩漬け肉など加熱していないあらゆる肉から感染することが分かっています。しかも、牛、豚、鶏、ウマ、シカ、イノシシ、クジラとありとあらゆる動物で感染の可能性があります。滅菌が十分でないミルクの危険性も指摘されています。

前回述べたように、健常人がトキソプラズマに感染してもたいしたことはなく、一度感染すると生涯体内から消えることはありませんが、免疫能の低下が起こらない限りは気にする必要はありません。ですが、妊婦さんに感染すると生まれてくる赤ちゃんが奇形になるリスクがあります。ということは、妊娠すれば、あるいは妊娠の可能性があれば、非加熱肉は絶対に食べてはいけないと考えなければなりません。
もしも猫を飼っている場合、前回述べたように、猫がトキソプラズマ未感染であったとしても猫を屋外に出したり他の猫と接したりさせなければあまり心配する必要はありません。ですが、猫に非加熱肉を食べさせると感染のリスクが生じます。そして、飼い猫のフンを介して妊婦さんにも感染する可能性が出てきます。
土、水、非加熱の野菜も……
妊婦さんが十分に注意をしなければならないトキソプラズマの感染ルートは他にもあります。それは、ガーデニングなど土に触れる作業です。トキソプラズマは猫のフンに含まれているわけですが、すぐに死滅するわけではありません。野生の猫のフンに混じって体外に飛び出したトキソプラズマは数カ月もの間、土や水のなかで生き延びると言われています。そして、人がそれらに素手で触れ、さらに手洗いが不十分だった場合、お菓子などをつまんだときに口のなかに入って感染、という事態が起こり得るというわけです。

もちろん土や水に触れるのはガーデニングだけではありません。例えば、妊娠中に公園に出かけ、子供と一緒に砂場で遊んで感染、ということも起こり得ます。つまり、妊娠を考えているのならば、可能な限り土や不潔な水に触れるべきではないのです。もしもそのような機会があるならば、ゴムやビニール製の手袋(やマスク)を装着すべきです。
感染症の不安をあおるようなことは避けたいのですが、最後にもうひとつ注意すべきものを紹介しておきます。それは生野菜や果物です。ここまでくればもうお分かりだと思いますが、屋外の土や水にトキソプラズマが混じっているのであれば、野菜や果物も危険ということになります。では、野菜・果物からの感染を防ぐにはどうすればいいか。野菜は煮たり焼いたりして火を通せばOK。生で食べるときはよく洗うようにします。果物の場合はなるべく皮を食べないようにします。
妊娠する可能性のある女性は、日ごろから猫に気を付け、外出時に触れるかもしれない土や水に注意を払い、非加熱肉禁止で、さらに野菜・果物も男性と同じようには食べられない……。これはトキソプラズマに着眼した注意点ですが、他にも、例えば他人のせきやくしゃみからうつる可能性があり、胎児に影響することもある以下のような感染症にも注意が必要です。風疹は胎児の奇形のリスクがあります。リンゴ病(伝染性紅斑)は男性に感染してもたいした症状はでませんが、妊婦さんに感染すると流産もしくは死産のリスクが跳ね上がります。おたふく風邪も流産のリスクを上げますし、麻疹に感染すれば胎児の命が危険にさらされます。
社会的には男女間で「差」があってはいけないわけですが、こと感染症に関して言えば妊娠・出産を担わねばならないことから女性の方が“不利”と言えるかもしれません。また、性行為を介して感染する性感染症も一般に女性の方が感染しやすいと言えます。なぜなら、解剖学的に尿道よりも膣(ちつ)粘膜や子宮頸部(けいぶ)の方が病原体に触れる面積が大きいからです。
しかし、女性は男性よりも損だなんて理不尽な……と嘆く必要はありません。男性よりも女性の方が注意しなければならないのは事実だとしても、感染症は正しい知識で防ぐことができます。それも難しくありません。「5分の知識」で自分の命も、生まれてくる赤ちゃんの命も救うことができるのです。
太融寺町谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。