
知っていますか? 意外に多い動物からうつる病気【16】
世界3大伝統医学の一つとされる「アーユルヴェーダ」発祥の地と言われることもあるインド南部のケララ州で、致死率が7割ともいわれる感染症の報告が相次いでいます。その病原体の名は「ニパウイルス」(注1)。日本ではこれまでに感染、発症例がないこともあり、メディアでこのウイルスが取り上げられることはあまりありませんが、WHOは2018年2月に公表した「緊急性の高い疾患(priority disease)」として、エボラ出血熱や中東呼吸器症候群(MERS)と同様のカテゴリーに挙げています。
米国のオンライン科学誌「Science News」の18年5月25日号は、南インドで発生したニパウイルスで、少なくとも11人が死亡、25人以上が入院したと報じています。患者をケアしていた28歳(31歳という報道もあります)の女性看護師も患者からの院内感染で死亡しました。このニュースはBBCでも「インドの“ヒーロー”看護師」というタイトルで、写真入りで大きく報道されました。看護師には5歳と2歳の2人の息子がいますが、死亡した後、直ちに火葬されたことで、子供たちへの家庭内感染は防げたと報じられています。
地元ニュースメディアによると、ケララ州保健相は18年6月10日に「感染を制圧した」と述べて今回のアウトブレイクが終息したとの見解を表明しました。最終的な死者数は17人に上ったそうです。
1990年代後半に出現
ニパウイルスは今回インドでいきなり現れたのではなく、1990年代後半から東南アジア及び南アジアでは注目されていました。約20年の歴史をざっと振り返ってみましょう。
97年、タイと国境を接するマレーシア北部のペラ州の養豚場で急性脳炎を発症したひとりの労働者が死亡しました。その翌年及び翌々年も、同州で同様の脳炎が相次ぎました。「豚で脳炎」といえば、日本脳炎がまず疑われます(参照:「日本脳炎の大流行を危惧する二つの理由」)。このときも当初は日本脳炎が原因ではないかと考えられていました(ちなみに、豚を食べないイスラム教徒が多数を占めるマレーシアに養豚場があるのは、輸出用に飼育しているからだそうです)。

一方、クアラルンプールの南に位置するヌグリスンビラン州では98年の末ごろから原因不明の脳炎の患者が相次いでいました。やはり日本脳炎が疑われましたが、ワクチンを接種している人でも発症したこと、日本脳炎とは異なる症状が出現する患者がいたことなどから、本格的な調査が開始されました。詳しい検証の結果、原因は新種のウイルスであることが分かり、最初にこのウイルスがみつかった患者の住んでいた村と川の名前にちなんでニパウイルスと名付けられました。
そして、ニパウイルスの自然宿主はコウモリであることが分かりました。マレーシアでは養豚業が盛んになり、規模を大きくするためジャングルなどを切り開いた結果、コウモリから豚に感染、さらに人に感染したと考えられています。豚は感染しても発症しないことが多く、豚からヒトに感染すると重症の脳炎をおこし死に至ることもあるというわけです。
ただ、この時点では、さほど大きな問題にはなりませんでした。重篤な脳炎を起こし死に至る病ではあるものの、ヒトからヒトへの感染はないと考えられていたからです。マレーシアとシンガポールであわせて約300人が感染し、100人以上が死亡しましたが、マレーシア政府は感染源となった豚を殺処分し、これでヒトへ感染することはなくなると考えられました。
インドなどで毎年アウトブレイク
ところがこれで話は終わりません。CDCによると、01年以降、バングラデシュとインドでは、ほぼ毎年ニパウイルスの「アウトブレイク(限定された範囲内での感染の大流行)」があり、これらはマレーシアで流行したウイルスとは「株(ウイルスの系統)」が異なることが分かりました。そして、ヒトからヒトに感染することが判明し、しかもマレーシアのタイプのものよりも致死率がはるかに高く7割にもなることが明らかになったのです(マレーシアの株は致死率4割)。
ヒトからヒトへ感染し重篤な脳炎を起こし7割もの致死率--。はたして、マレーシア政府が実施したように豚の殺処分を徹底することでアウトブレイクが防げるのでしょうか。
答えは「否」です。冒頭で紹介した、現在報道されているインド南部では、豚を介してヒトに感染したわけではなくコウモリ、詳しく言えば「フルーツコウモリ」(英語でもfruit bat)と呼ばれる種のコウモリから“間接的に”感染しているのです。名前の通り、このコウモリはフルーツを主食とします。そしてインドでの感染はこの“フルーツ”が原因となりました。

その“フルーツ”とはナツメヤシです。インドではナツメヤシの樹液(raw date palm sap)を飲む習慣があるそうです。採取中の樹液をコウモリがなめて、唾液とともにニパウイルスが混入したナツメヤシの樹液をヒトが口にすると感染、というわけです。
感染をどう防ぐ?
CDCのサイトによると、ニパウイルスに感染すると5~14日の潜伏期間を経た後、発熱、頭痛を呈し、その後眠気、方向障害、精神錯乱などが生じ、24~48時間で昏睡(こんすい)状態となります。現時点では有効な治療法もワクチンもありません。
ならば「対策」として、東南アジア及び南アジア渡航時には、豚やコウモリに近づかない、生のナツメヤシの樹液を飲まない(注2)、ヒトからヒトへの感染を防ぐために発生状況を確認する、といったことが重要になります。
コウモリが好き、という人は意外に多く、最近はペットショップでもフルーツコウモリが人気者とか。ですが、アジア渡航時に大自然の奥で見かけたときには近づかない方がいいでしょう。
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注1:マット・デイモン主演の2011年の米国映画「コンテイジョン」はニパウイルスがモデルと言われています。
注2:ところで、「ナツメヤシ」と言われてどのようなものか想像できるでしょうか。ココナッツ、(ココ)ヤシ、ナツメヤシ、ナツメの区別、ややこしくないでしょうか。私は以前タイで、とれたてのココヤシをカットしてストローを差し込んだ“飲み物”をごちそうになったときにそのタイ人と議論になって、辞書と“格闘”したことがあります。
まず、たいていの日本人が「ヤシの実」と聞いて想像するのはココヤシのことで、私がその時飲んでいたものです(「とれたて」よりも冷やしてから飲みたい、というのが私の感想)。ココナッツジュースと呼ばれることもあります。
ナツメヤシはタイでは果実をドライフルーツで食べることがありますが樹液をそのまま飲む習慣はないそうです。日本でも「デーツ」という名称でドライフルーツが売られています。
ナツメヤシと名前が似ているナツメは小さな青りんごのようなフルーツで、ときどきタイの市場や屋台でも見かけます。ややこしいことに、ナツメヤシとナツメは異なるものなのに、双方とも(私からみれば)同じような感じのドライフルーツがあります。なお、ナツメを乾燥させたものは大棗(タイソウ)と呼ばれ、柴苓湯(さいれいとう)、六君子湯(りっくんしとう)など日本でもよく用いられる漢方薬に配合されています。ちなみに、ナツメに名前が似ているスパイスのナツメグは全く異なるものです。
参考:
国立感染症研究所のホームページ:https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/447-nipah-intro.html
CDCのホームページ:https://www.cdc.gov/vhf/nipah/
太融寺町谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。