実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

62人死亡? 比デング熱ワクチン導入の“失敗”

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「世界一恐ろしい生物=蚊」の実態を知る【15】

 フィリピン人はフランスの製薬会社のギニーピッグ(実験台)にされた--。

 これは私がフィリピン人の知人から直接聞いた言葉です。「ギニーピッグ」とは穏やかな言葉ではありません。ですが、フィリピンの世論は現在、あるワクチンを巡って緊迫した状態が続いています。

 そのワクチンとは、フランスの製薬会社サノフィ・パスツール社(以下「サノフィ社」)製のデング熱ウイルスのワクチン「Dengvaxia」です。このワクチンがフィリピンの一部の地域の子供たちの間で定期接種(予防接種プログラム)に加わったという話はこの連載でも伝えました(「世界で流行デング熱 改めて蚊対策を考える」)。その連載でも、フィリピンの一部の医療者は副作用が少なくないことや発症を完全に防げるわけではないことを理由にワクチン導入に反対していたことを紹介しました。そして、不幸なことにこの「懸念」が現実となってしまいました。

1年半でワクチンプログラムを停止

 現地の新聞「INQUIRER.net」は、このワクチンを接種した小児のうち62人が、ワクチンが原因で死亡した可能性があると伝えています。少し詳しく経過をみてみましょう。

 2016年4月、フィリピン保健省は一部の地域の公立学校に通う約73万人の子供に対し、デング熱ワクチンの接種を開始しました。この時点ではまだ世界保健機関(WHO)が正式に推奨しておらず、これが導入反対派の理由のひとつでした。約3カ月後の7月、WHOはこのワクチンを条件付きで推奨することになります。ところが、ワクチンをうった子供がデング熱に感染すると重症化し、なかには死に至るケースが相次ぎました。

 ワクチンとの因果関係が否定できず、ついに17年11月29日、サノフィ社は「Dengvaxiaをデング熱ウイルスに感染歴のない子供に投与すべきでない(詳細は後述)」と発表しました。これを受けて、フィリピン保健省は2日後の12月1日、直ちにこのワクチンの予防接種プログラムを停止しました。 同時に、ワクチンの販売を中止しました。すると、その4日後の12月5日、今度はWHOがワクチンの中止を決定したフィリピン政府を支持すると発表しました

 自国の大勢の子供たちが被害に遭っているわけですから政治家は黙っていません。上院議員のJoel Villanueva氏は、サノフィ社に責任をとるよう声明文を発表しています。この声明のなかで、同社がワクチンの危険性を公表したのが、フィリピン保健省がすでに30億ペソ(約60億円)に相当するワクチンを購入してからであったことを非難しています。

 また上院議員のRichard J. Gordon氏は、効果と安全性がまだわかっていなかった早い段階でワクチンを予防プログラムに入れたアキノ3世前政権を非難する声明を発表しています。

 ワクチンの被害に遭った子供たちはどうなるのでしょうか。18年5月29日、ドゥテルテ大統領は、11.6億ペソの医療支援基金を設立する法案にサインしました。このお金は、サノフィ社がフィリピン政府に対し、販売代理店Zuellig Pharma社を通して未使用ワクチン分の代金を払い戻した額から調達されるようです。

ワクチンには一定の効果も

 ざっと、新聞報道や公的機関の発表などをまとめてみました。大切なポイントを二つ整理しましょう。

 一つは、ワクチンの製造会社が、子供たちが重症化したのは自社のワクチンが原因であることを認めたことです。デング熱ワクチンは、メーカーが「非」を認め、フィリピン政府は定期接種を取りやめて、さらに販売を差し止めたのです。

 もう一つの重要な点は、ワクチンがまったくの欠陥品とは言えないことです。サノフィ社によると、多数の死亡の原因になったと考えられているこのワクチンの「副作用」は、「接種前に一度もデング熱に感染したことのない子供が接種後にデング熱に感染したとき」に生じます。一方、過去にデング熱に感染したことのある人に接種した場合、新たに感染しても重症化を防ぐことができる、つまりワクチンは有効だ、とされています。

犠牲者が出たわけ

 これには解説がいるでしょう。デング熱には四つの血清型(serotype)があります。一般にデング熱が重症化するのは、過去に感染したことのある人が別の血清型に感染したときです。日本人はデング熱を恐れますが(恐れるのは正しいことです)、東南アジアの人々にそれを話すと「そんなの子供の病気だ。怖がることはない」と言われることがあるのは、ほとんどの子供が感染し、幼少期の感染は比較的簡単に治るからです(しかし実際は、子供でも重症化することはあります)。一方、一度も感染せずに成人した日本人がデング熱に初感染すると、それなりに重症化します(幼少時に一度感染した東南アジアの人々も、成人後に初めて感染した日本人も、次に別の血清型に感染すれば重症化することがあるのは共通です)。

 別の血清型に感染すれば重症化するという事実を前提として単純に考えてみると、フィリピンで問題になった「副作用」は起こるべくして起こったとは言えないでしょうか。なぜなら、ワクチンが「1回目の感染」と同様の効果となり、その後実際にデング熱に感染したときに「別の血清型に感染」と同様の反応が起こったと考えられるからです。

 しかしながら、そんな単純な理屈が正しいなら、なぜフィリピン政府もサノフィ社もそのことを導入前に徹底的に検証しなかったのでしょうか。知人だから肩を持ちたくなる、という気持ちを差し引いたとしても、冒頭で述べたフィリピン人の言葉に私は共感します。

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