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再考 梅毒が「急増している」本当の理由

谷口恭・太融寺町谷口医院院長

梅毒の誤解を解く【5】

 昨年(2017年)の8月から9月にかけて合計5回(番外編を含む)にわたり紹介した「梅毒」。多くの方に読まれたからなのか、公開後数人の報道関係者から取材を受けました。

 そのなかで何度も尋ねられ、最も印象に残っている質問が「梅毒は中国人旅行者が持ち込んだというのは本当か」というものです。なぜこのような質問が多かったのか。その質問をした報道関係者の一人は、東京都内のある区議会議員がそのような発言をしたと説明しました。

 中国人旅行者が日本で梅毒を広めたことを示すデータなどは存在せず、「そのようなことは言えない」というのが私の考えです。今回はその理由を述べますが、その前に昨年も述べた「本当は梅毒が急増しているわけではない」という私の考えを再度紹介しておきます。

減る「いきなり梅毒」、急増の「保健所紹介状」

 私が勤務する太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では、過去12年間で梅毒感染者数の変動はほとんどありません。過去の連載(「梅毒が『急増している』本当の理由」)で述べたように、“急増”の本当の理由は、これまでは単に医師が届けていなかった▽梅毒と診断されないまま抗菌薬が処方され、結果として治っていたケースが多い▽診断がつく前に自然治癒していた--といった要因が大きいと考えています。

 谷口医院の過去1年間を振り返ってみると、梅毒新規発見の総数はそれまでの年と変わっておらず、ある意味では「減少」しています。数年前までは梅毒と診断がつく例は、過去のコラムでも紹介したように、他院で診断がつかなかったケースか、初診であったとしても患者さんがまさか梅毒などと言われるとは夢にも思ってなかった、という場合です。そうした「いきなり梅毒」が最近は減っているのです。ちなみに過去に述べた「いきなりHIV」、つまりHIVなどと言われるとは夢にも思っていなかったという症例(参照:「急増する『いきなりHIV』」)は、谷口医院でHIV感染が発覚した人の半数強ですが、「いきなり梅毒」は数年前までは8~9割でした。

 一方、過去1年間で、谷口医院で増加している梅毒は「保健所などで実施している無料検査で梅毒の可能性を指摘された」というケースです。保健所などで行われる無料検査は(地域によっては異なるかもしれませんが)「TPHA定性検査」というものです。この検査で陽性であれば梅毒の可能性があるため、保健所からの紹介状を持参して医療機関を受診し、精密検査を受けることになります。谷口医院では、この保健所などからの紹介状を持参して受診する患者さんが文字通り「急増」しています。この理由として考えられるのは、「梅毒が増えている」という情報を聞いて保健所に無料検査を受けに行く人が増えたからだと思いますが、もしかすると保健所のスタッフが「医療プレミア」を読んでいて、積極的に谷口医院を紹介しているのかもしれません。

根拠なき「三段論法」

 さて、話を「梅毒は中国人旅行者が持ち込んだというのは本当か」に戻します。訪日外国人に占める中国人の割合が多いのは事実ですが、他国からも大勢の人が日本にやってきます。例えばタイではビザの要件が緩和されたこともあり、この10年で日本を訪れる人が急増しています。そして、タイでも梅毒は珍しくなく、タイ在住の日本人が梅毒に罹患(りかん)した、タイを訪れた日本人がタイ人との性交渉で感染した、などという話はいくらでもあります。にもかかわらず、くだんの区議会議員はなぜ中国に限定するのでしょうか。

 そもそも(1)梅毒感染者が右肩上がり(2)訪日中国人数も右肩上がり(3)よって梅毒は中国人が日本に持ち込んでいる--と考えるのはあまりにも単純すぎます。この単純な三段論法は他にいくらでも“応用”が可能です。例えば、ここ数年間で就職状況がよくなり空前の売り手市場と言われています。そして梅毒は性行為で感染します。ならば、(1)梅毒感染者が右肩上がり(2)就職率が右肩上がりで若者の収入が増え恋愛する機会が増えた(3)よって裕福になった若者たちの間で梅毒が広がっている--と推測することもできるわけです。

 ただし、区議会議員の訪日中国人仮説も私の好景気仮説も「なぜ梅毒だけが増えて、他の性感染症が増えていないか」を説明することができません(から、双方とも棄却されます)。

梅毒以外の性感染症は増えていない

 下記は梅毒とHIVの新規感染の届出数のグラフです。HIV感染が毎年同じような数字で推移しているのに対し、梅毒は急増しています。しかし、このグラフが実態を反映していないことは簡単に説明できます。例えば、07年にHIV新規発覚が約1500例なのに対し、梅毒はわずか750例です。キスやささいなスキンシップでも感染する梅毒が、「感染力が弱い」といわれるHIVの半分などということはあるはずがないわけです。

 もうひとつのグラフをみてみましょう。これは梅毒に加えて、他の性感染症、性器ヘルペス、尖圭(せんけい)コンジローマ、淋病(りんびょう)、クラミジア感染者数の推移です。他の性感染症が軒並み増加していないのに対し、梅毒だけが統計上増えているのです。こんなことが現実に起こり得るでしょうか。これをコンドームの使用で説明しようとする意見があります。つまり、「HIVや淋病、クラミジアはコンドームで防げる(ただしオーラルセックス時にも必要です)。日本人がコンドームを使用するようになったから、コンドームで防げない梅毒が増加しているのではないのか」というものです。ですが、そうであれば梅毒と同じくコンドームで防げない性器ヘルペスや尖圭コンジローマが増えていなければなりません。尖圭コンジローマには優れたワクチンがありますが、残念ながら日本では普及していません。また、これを立証するにはコンドームの使用量が増えているというデータが必要ですが、そういったものは(私の知る限り)ありません。

 では今後の日本での梅毒はどうなるのでしょうか。私の考えは「梅毒のみならず他の性感染症も増加する可能性が高い」です。そう考える理由については稿を改め、次回述べます。

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太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。