実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

麻疹・風疹防ぐには「私生活公開」よりワクチンで

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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 知られたくない恋もある
 知られたくない恋もある

理解してから接種する--「ワクチン」の本当の意味と効果【35】

 2016年夏をほうふつさせるような麻疹の流行が広がっています。日本は15年に世界保健機関(WHO)から「麻疹の排除状態」にあると認定され、今もその状態が覆されたわけではありませんが、16年には関西国際空港を発端に広範囲に感染が生じ、18年春には沖縄で集団感染が起こり、そして19年2月には大阪市で立て続けに感染者が報告されました。風疹もコンスタントに感染者が見つかっています。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では最近、皮疹(皮膚の発疹)を訴えて受診した2人が、風疹に感染していました。今回はその2人の事例や、麻疹の事例を振り返り、麻疹や風疹に対する行政の対応に問題がないかを考えてみたいと思います。

2人の風疹患者

 まずは2人の感染者を紹介します(ただし本人が特定されないように若干の変更を加えています)。

 
 

 【事例1】20代女性

 夕方に“仕事”を抜けて谷口医院を受診した。「2~3時間前から全身にかゆみを伴う皮疹が出現した。鎮痛剤を昼間に飲んだから薬疹を疑っている」と話した。医師としては、皮疹の特徴や頸部(けいぶ)リンパ節が腫れていたことなどから風疹を疑い、IgM抗体(風疹のウイルスに反応して体内にできる抗体)を調べた。結果は陰性(抗体なし)だったが、風疹は完全に否定できないと考え、あらためて受診してもらった。4日後の再検査で抗体が陽性となり、風疹だと確定した。

 【事例2】30代男性

 ある日、全身にかゆみのない皮疹が出現。その翌日に近くのクリニックを受診した。“じんましん”と診断され、抗ヒスタミン薬とステロイド外用薬を処方された。「じんましんにステロイドはおかしいのでは?」と考え、同じ日のうちに谷口医院を受診した。医師としては「典型的な症状は出ていないが、風疹の可能性がある」と判断し、ステロイドを中止してもらって、風疹のIgM抗体を測定した。結果は陽性で風疹だと確定した。

  
  

職業や行動を伏せたい人

 さて「事例1」の女性はキャバクラ勤めでした。仕事のことは家族にも内緒にしているそうです。音楽活動も行っていて、当院受診の数日前に中部地方のある都市にライブをしに行ったと言います。

 ライブ会場はマスギャザリング(大人数が集まる場)のひとつですし(参考:「麻疹抗体が消える理由と『マスギャザリング』の恐怖」)、キャバクラは他人と密接なコンタクトをとるところでしょう。つまり、この女性が他人に風疹を感染させている可能性は確かにあります。

コンサートに集まる人たち
コンサートに集まる人たち

 風疹は感染症法上、診断したら保健所に届け出る必要がある病気です。届け出用紙には、患者の氏名、住所、電話番号、職業、所在地などを書く欄があります。本当に書かねばならないのか保健所に問い合わせると「原則として書かねばならない」とのことでした。

 さて、私は保健所の指示に従い、「職業」に「キャバクラ勤務」、「所在地」にそのキャバクラの住所を書くべきなのでしょうか。悩んだ揚げ句、私の出した結論は「書かない」でした。そして、この女性に「おそらく保健所から職業について聞かれます。“答えられる範囲”で答えてください」と伝えました。

 一方、「事例2」は、「事例1」よりもある意味でもっと厄介な問題がありました。「事例2」の男性は、症状が出現する少し前に「許されない関係の女性」と性行為を持っていたというのです。風疹のように「飛沫(ひまつ)感染」(患者のせきやくしゃみでの感染)をする病気の場合、患者と性行為をすれば、感染の可能性は飛躍的に高まります。

 実は、この男性が、最初に受診した医師の診断に満足しなかった理由のひとつが、「性行為について医師に話したが“無視”された」ことだったそうです。この男性は、HIV、B型肝炎、梅毒などで皮疹が出現することを知っていて「性行為に関する問診がないのはおかしい」と考え、セカンドオピニオンを求めて谷口医院を受診したのでした。

調査・公表はどこまで

 保健所は、この男性に「うつされた相手に心当たりはありますか。うつした可能性のある人はいますか」などと問い合わせるでしょう。さて男性は「許されない関係の女性」との話を保健所の職員にすべきなのでしょうか。

 私は保健所を非難するわけではありません。情報収集に熱心なのは、「少しでも感染者を減らしたい」という意思の表れだと思います。ですが、感染者の職業を聞き出し、直近の行動を詮索することに問題はないのでしょうか。ちなみに、「事例1」の女性も「事例2」の男性も、「答えられる範囲で答えた」と後に話されていました。

 ※このあたりのルールについて、編集部は厚生労働省に見解を確認しました。「感染症法上、医師は患者の『職業』や『推定される感染源や感染経路』について、保健所などに報告する義務があるが分かる範囲での報告でよい。また患者は、保健所などの調査に協力する『努力義務』があるが協力しなくても罰則はない」とのことでした。また同法には、「医師や公務員は、調査で知った事実を漏らしてはならない」という趣旨の規定もあります。

JR新大阪駅の新幹線ホーム。多くの人が接触しあう
JR新大阪駅の新幹線ホーム。多くの人が接触しあう

患者の乗った交通機関は?

 さらに別の事例も考えてみましょう。

 19年2月14日、大阪府は麻疹患者が新幹線を利用したことを公表し、列車名や発着時刻も公にしました。一方で、新幹線以外の電車など公共交通機関の利用については公表しませんでした。

 麻疹は空気感染しますから、たしかに新幹線の同じ車両に乗っていれば感染のリスクがあります。同乗者は「かぜのような症状が出現すれば直ちに受診」または「ワクチン接種」(麻疹は感染してからでも直ちにワクチン接種すればリスクが低下すると考えられています)(参考:「麻疹流行中! 感染予防で直前、直後にすべきこと」)という対策が取れるでしょう。

 では、例えば満員の地下鉄はリスクが低いと言えるでしょうか。もしも「感染者が新幹線に乗車すれば詳細を公表しなければならない」といったルールができてしまうと、そのうちに「交通機関や、デパートなど人が集まるところ(マスギャザリング)の利用について、すべての情報を公開せよ」という声が出てこないでしょうか。

 ※編集部は、大阪府に考え方を聞きました。「新幹線の乗客は、一般に長い時間、ドアの閉まった車両に乗り続け、他の乗客と同じ空間を共有する。感染のリスクがあると考えて列車名などを公表した。他の列車などについては、今回は利用時間が短くドアの開け閉めが頻繁で、感染のおそれは少ないと考えた。ただ、新幹線でも「どの列車に乗ったか分からない」などの場合は、漠然と不安をあおるだけの情報になり、公表しない可能性がある。また通常の列車でも、感染のリスクを判断して公表する場合もありうる。利用した施設名の公表などは、注意喚起の効果と公表による影響を考えて個別に判断する。また公表に際し、個人が特定されないように配慮する」とのことでした。

 参考:「はしかの公表情報、自治体で差 国の基準なく患者居住地や利用交通機関など詳しく公表する市も

 「事例1」「事例2」は麻疹でなく風疹ですが、もしも情報公開が広くおこなわれるようになると「事例1」ならばライブ会場が公表され、そうなると本人が特定されるのも時間の問題でしょう。勤務先のキャバクラも知られ、今度はそのキャバクラを利用した客の名前が白日の下にさらされるかもしれません。

麻疹ワクチン「理解して接種を」

旅客機が飛び立つ関西国際空港。日本と海外をつなぐ窓口だ
旅客機が飛び立つ関西国際空港。日本と海外をつなぐ窓口だ

 こう見てくると患者の職業や行動を調べる、あるいは公開するのは、患者の人権の問題があって限界がありそうです。こうした情報を「医師には伝えてもいいが(あるいは伝えるべきだと考えているが)保健所には言いたくない」という患者さんも少なくありません。

 患者の移動範囲も、利用した地下鉄などの公表は社会に過剰な不安をあおることになり非現実的でしょう。しかも麻疹は外国から入ってくる場合が多い。外国人患者の情報を公開するとなると、外国人への偏見や差別につながりかねず、かなり大きな問題になると思います。

 結局、患者発生後の調査や情報公開では、感染防止の効果は限られるのです。むしろ、ワクチンによる予防をより徹底すべきではないでしょうか。

 麻疹ワクチンはいまだに誤解がはびこっていて抵抗のある人も少なくないのですが(参照:「麻疹感染者を増加させた『捏造(ねつぞう)論文』の罪」)、他人へ感染させるリスクがあることは再認識すべきでしょう。この連載の「ワクチンシリーズ」で繰り返し述べたように、ワクチンの基本は「理解してから接種する」であり、「理解してから接種しない」という選択肢もあります。その「理解」をする上で、感染すれば生涯にわたり障害を残す可能性もあること(参考:「SSPE 恐ろしい『はしかのような』病から学ぶこと」「本当に『大丈夫』?渡航前ワクチンの選び方」を忘れてはいけません。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。