実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

HPVワクチン「推奨派敗訴」と接種の是非は別問題

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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HPVワクチンについて議論する県議会を見つめる母親たち
HPVワクチンについて議論する県議会を見つめる母親たち

理解してから接種する--「ワクチン」の本当の意味と効果【37】

 HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンに関連して、国内外の関係者から大変注目されていた名誉毀損(きそん)訴訟の判決が出ました。結果は、2017年11月にジョン・マドックス賞を受賞した村中璃子医師らの「敗訴」です。村中氏はHPVワクチンを推奨しており、判決は「推奨派の医師が敗訴」という理由ですでに物議を醸しています。今回は判決を機会に、HPVワクチンについて改めて考えます。過去に繰り返し述べてきたように、これは子宮頸(けい)がんの一部や「尖圭(せんけい)コンジローマ」などの予防に使うワクチンです。まずは簡単に、訴訟の経緯を振り返っておきましょう。

「『捏造』とした記事は名誉毀損」と判決

 16年6月、村中氏は月刊誌「Wedge(ウェッジ)」(東海道・山陽新幹線の中で販売されています)とウェブ上に記事を書き、当時信州大学医学部長の池田修一氏が発表した研究結果が「捏造(ねつぞう)」であると主張しました。その研究は「HPVワクチンがマウスの脳に損傷を与えた可能性がある」とするものでした。池田氏は、このワクチン接種後の神経障害に関する、厚生労動省研究班の代表を務めていました。

 
 

 村中氏が「捏造」という言葉を用いたことに対し、池田氏は同年8月、名誉毀損に当たるとして、村中氏と同誌編集長及び雑誌社に対し、約1100万円の損害賠償や謝罪広告の掲載などを求めて東京地裁に提訴しました。

 そして19年3月26日、判決が言い渡されました。村中氏の事実上の完全敗訴と呼べる内容です。原告(池田氏)の訴えを認め、村中氏ら3者に対し「330万円の支払い」「謝罪広告の掲載」「ウェブ記事の問題部分についての削除」などを命じました。

村中氏は控訴、雑誌社などは控訴せず

東京高等・地方・簡易裁判所合同庁舎正門の看板
東京高等・地方・簡易裁判所合同庁舎正門の看板

 この判決に対し、村中氏は4月8日付で控訴したことを自身のブログで発表しています。一方、当時の編集長と雑誌社は控訴せず、判決を受け入れたそうです。雑誌社は4月19日付で謝罪広告を出すなどしました。

 謝罪広告の掲載されたページ

「ワクチンの是非」に裁判所は触れず

 村中氏の敗訴は国内でもニュースになりましたが、海外でも報道されています。ただし、国内外のメディア共に言葉は慎重に選んでいます。例えば米科学誌「サイエンス(Science)」は速報記事の中で、「裁判所はワクチンそのものの問題には触れず『村中医師が捏造の証拠を提出しなかった』と裁定した」と言及しています。つまり、この裁判は「村中氏の記事が名誉毀損に該当するか」のみを争ったもので、ワクチンの是非については裁判所は何もコメントしていないのです。

 大手メディアが世間に誤解を与えぬような表現を取っているのに対し、一部のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などでは「村中医師敗訴→HPVワクチンの有害性を訴えた池田医師の勝訴→HPVワクチンは有害」という“声”が出てきていると聞きます。もっとも、このワクチンは判決の前から様々な場面でその是非が論じられており、厚労省は今も「積極的な接種勧奨の一時差し控え」とよく分からない表現を保持したままですし、後述するように医師の間でも意見が分かれています。

 この判決についての考察は法律の専門家に委ねることとして、今回は現時点でのHPVワクチンの状況と今後の行方について検討してみたいと思います。

HPVワクチン接種の現状

HPVワクチンの接種を受ける生徒=2010年撮影
HPVワクチンの接種を受ける生徒=2010年撮影

 まずはワクチン接種の現状からみていきましょう。

 HPVワクチンは、13年4月に定期接種(法律に基づき、市町村が無料で実施する予防接種)になりました。そしてわずか2カ月後の同年6月、厚労省が「積極的な……一時差し控え」というよく分からない発表を行いました。

 よほど日本語の得意な人でもこの表現をすんなりと理解するのは困難でしょう。通常「定期接種」と言われれば、そのタイミングになれば接種するよう国が推奨していると考えられます。ですが、「差し控え」と言われれば、素直に解釈すれば「打つべきでない」と思えます。さらに「一時」とされていますが、発表からすでに6年近くも経過しています。これではわけがわかりません。

 では、「一時差し控え」が発表されてからワクチン接種率はどのように変化したのでしょうか。全国をくまなく調べた研究は見当たりませんが、著名な医学誌「LANCET」に掲載された論文「日本のHPVワクチンの危機」で、札幌のデータが掲載されています。このデータによれば「一時差し控え」が発表されてからワクチン接種率が約70%から0.6%にまで激減しています。

医師の間でも意見が割れる

 ここで発想を変えてみましょう。そもそも「自分の体は国に頼るのではなく自分で守るべきだ」という考えがあり、基本的には私自身もそのように思っています。そこで、「頼りになる(はずの)かかりつけ医に相談しよう」となるわけですが、HPVワクチンに関して言えば、医師の間でも意見が統一されていません。数字を見てみましょう。

接種の積極勧奨の「一時差し控え」を決め、記者会見に臨んだ厚生労働省の担当職員=同省で2013年6月14日
接種の積極勧奨の「一時差し控え」を決め、記者会見に臨んだ厚生労働省の担当職員=同省で2013年6月14日

 19年2月4日~2月12日、医師向けの雑誌「日経メディカル」が同誌オンライン版の医師会員を対象に、「HPVワクチンを積極的に勧奨すべきだと思いますか」というアンケートを行いました。結果は、全回答者数3420人中、「勧奨すべき」が2002人(58%)、「する必要がない」が575人(17%)、「この質問には答えない」が843人(25%)です。(なお、賛否の割合は、全回答者数を分母にして計算しました。日経メディカル誌は分母から「答えない」を除いて計算し「勧奨すべき」の割合を78%としています。)

 たしかに医療行為のなかでワクチンは、医療者の間でも、反対あるいは慎重な意見が出やすいテーマです。副作用、効果、費用を考えたときに「特定のワクチンは接種すべきでない」という意見もあっていいわけです。例えば私は「東京と京都を2週間かけて観光する(養豚場などには近寄らない)」という外国人に、日本脳炎のワクチンを勧めていません。ですが、積極的に勧奨すると回答する医師が全体の6割未満(「答えない」を除いても8割未満)しかないようなワクチンは他にはありません。

効果と副反応を数字でみると

 ここでHPVワクチンの効果と副反応について数字を確認しておきましょう。

 日本では、生涯のうちに子宮頸がんになる女性は、全体の1%ほどです。これは小さい数字ではありません。HPVワクチンを接種してもすべての子宮頸がんが防げるわけではありませんが、7~8割程度は防げるのではないかと予想されています。

 一方、厚労省が18年11月に公表したデータによると、HPVワクチンが過去に国内で接種された延べ回数は896万回あまりです。そして同省に対し、医師や企業から「副作用疑い」(接種との因果関係を否定できない事例)の報告があったのは3168人(約0.03%)で、このうち1820人(約0.02%)が「重篤」だったとされました。なお1人に3回打つワクチンですので、接種された人1人あたりの副作用疑いの率は、これらの約3倍になります。

HPVワクチンの副作用被害を受けたとして訴訟を起こしている原告の女性らと、加藤勝信厚生労働相(当時)=厚労省前で2017年8月
HPVワクチンの副作用被害を受けたとして訴訟を起こしている原告の女性らと、加藤勝信厚生労働相(当時)=厚労省前で2017年8月

 また医薬品医療機器総合機構(PMDA)によると、HPVワクチン接種との因果関係が否定できない副反応が生じて救済制度の対象と認定されたのは18年9月末までで311人です。

「すぐ接種」する人も「しばらく待つ」人も「接種しない」人も

 最後に、私自身が太融寺町谷口医院で患者さんにどのように説明しているかについて述べておきます。HPVワクチンに関する質問があった場合、できるだけ客観的な立場で、ここで紹介したような数字も紹介して説明しています。

 私自身は推奨派でも慎重派でもなく、この連載で繰り返し主張しているように「理解してから接種する」を原則としています。ですから、質問には何度でも答えますが最終的な判断は患者さん自身に委ねています。とはいえ、谷口医院ではだいたい次のような傾向があります。

 ・質問者が女子中学生(及びその保護者)の場合:たいていは「彼氏ができてから考える」という結論になります。この連載の「『子宮頸がんは性感染症』が生む偏見」を読んでもらうこともあります。

 ・質問者が成人女性の場合:中学生とは反対で、接種する人が多い傾向にあります。子宮頸がんだけでなく「尖圭コンジローマ」の予防のために接種するという人も少なくありません(参照:「あなたにも起こるかも…尖圭コンジローマがもたらす苦悩」)。

 ・質問者が男性の場合:日本ではHPVワクチンは男性には認可されていませんが、谷口医院でHPVワクチンを接種される男性は少なくありません。理由としては、パートナーにうつしたくない(この理由で接種するのは医療者に多い)、尖圭コンジローマの予防、中咽頭がんの予防(参照「中咽頭がん急増の恐れ 予防にはHPVワクチン」)などです。前回のコラムで紹介した、米国で母親にあらがい、自らの意思でワクチンを選んだ10代の青年もHPVワクチンを接種したと報じられていました。

 繰り返しますが、ワクチンで最も重要なことは「理解してから接種する」であり「理解してから接種しない」という選択肢もあります。分からないことがあればぜひかかりつけ医に相談してみてください。さらに複数の医師に意見を聞いてみてもいいかもしれません。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。