実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

来夏の東京五輪で「日本脳炎」の患者が急増する心配

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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海外からの客で混雑する、成田空港の入国審査場
海外からの客で混雑する、成田空港の入国審査場

「世界一恐ろしい生物=蚊」の実態を知る【16】

 2016年夏、長崎県対馬市で同時期に4人が日本脳炎に罹患(りかん)したことは、過去のコラム(「日本脳炎の大流行を危惧する二つの理由」)で紹介しました。そのコラムで述べたポイントは、「ウイルスを媒介した動物が通常のブタではなく、イノシシであった可能性が高い」ことと、「同時期の4人の発症が“集団感染”を示唆している」ことです。今回はその日本脳炎が「20年の夏に急増するかもしれない」ということを述べたいと思います。まずは「復習」から始めましょう。

 日本脳炎はウイルスが起こす病気で、基本的には「ブタ→蚊→人」というルートで感染します。大変恐ろしい感染症で、発症すれば3人に1人は死亡、3人に1人は重篤な後遺症を残します。つまり無事“生還”できる確率は3分の1しかありません。

 ただ、日本人の日本脳炎発症者は、過去数十年にわたり年間10人程度しか報告がありません。これだけ少ない理由は、日本では“それなりに”ワクチン対策が成功していることと、感染しても実際に発症するのは100~1000人に1人しかいないということです。

 過去のコラムで私が主張したのは「同時期に4人が発症したのなら単純計算で400~4000人が感染したことになる。これは立派な”集団感染”ではないのか」ということでした。幸いなことに、その後発症者数が急増しているわけではありません。

 
 

 では20年に急増すると考えられる理由は何か。「東京オリンピック」の影響です。詳しく言うと、この影響はさらに二つに分かれます。一つめは「日本脳炎に免疫のない外国人が大勢やってくる」ことです。

 日本脳炎という感染症は名前に「日本」と付きますが、日本だけに存在するわけではなく、東アジア、東南アジア、ミクロネシア全体にあります(国立感染症研究所の解説と地図をご覧ください)。ですから、アジアの多くの国では、政府がワクチン接種を推進しています。

 一方、欧米諸国に日本脳炎は存在しません。つまり欧米では、日本脳炎のワクチンが定期接種(政府が推進する接種)ではなく、ほとんどの人が接種していないのです。日ごろ日本を訪れる外国人は8~9割がアジアからですが、五輪となれば欧米からの訪問客の割合が増えるように思います。

 東京オリンピックで日本脳炎を懸念せねばならないもう一つの理由は、外国人客が訪れそうな「場所」です。

 もしもオリンピックの会場が「東京だけ」なら心配はいらないと思います。実際、前回のコラムでも述べたように、私が欧米人から日本脳炎ワクチンを受けたいという希望を聞いても、例えば「東京と京都だけを観光する」という人には接種を勧めていません。こうした観光ルートなら、日本脳炎ウイルスを持ったブタや、そのブタの血を吸って体内にウイルスを宿した蚊に接する機会は、ほとんどないと考えられるからです。

(なお、14年に東京で流行したデング熱の“再来”は東京都内でも可能性があると思います。)

鼻で物を押しのけるニホンイノシシ=東京都日野市の多摩動物公園で
鼻で物を押しのけるニホンイノシシ=東京都日野市の多摩動物公園で

 しかし実際には、東京オリンピックは、東京以外に、福島、宮城、茨城、千葉、埼玉、神奈川、静岡などに会場があります。

 もちろん東京以外でも周りにブタがいなければリスクはありませんが、会場によっては養豚場などが近くにあるのではないでしょうか。例えば、ゴルフ場やサーフィンの会場の近くは大丈夫でしょうか。

 では現在、日本のブタのどれくらいが日本脳炎ウイルスを保持しているのでしょう。

 国立感染症研究所は、ウェブサイトで「ブタの日本脳炎抗体保有状況」を定期的に公表しています。(この原稿執筆時点で)最新の18年2月18日のデータでは、抗体陽性のブタ(つまり、ウイルスが体内にいた証拠のあるブタ)が静岡で見つかっています。

 オリンピックが開催される他の地域では検出されていませんが、検査したブタの80%以上が「抗体陽性」となった地域(国立感染症研究所の表で、赤く示されている地域)は西日本で8地域あります。これが東日本に広がる可能性は十分にあると思います。実際、同研究所の17年の最終調査では、千葉県では8割以上のブタの抗体が陽性となっています。1年間で抗体を有するブタが消失したのはいいことですが、再び感染するブタが増える可能性もあるでしょう。同研究所の報告では、07年から16年の間に千葉県と茨城県で発症者が報告されています。

 日本脳炎のワクチンは、日本を含む多くの国で不活化ワクチン(病原体を殺して毒性をなくし、免疫を活性化させる成分を抽出してつくったワクチン)です。過去に一度も日本脳炎のワクチンを接種したことのない人がこの不活化ワクチンを開始する場合、感染を防ぐためには最低でも2回、できれば3回接種が必要となります。

日本脳炎ワクチンの接種を受ける子ども
日本脳炎ワクチンの接種を受ける子ども

 ということは、できるだけ早く(直ちにでも)オリンピックに参加または応援で来日を計画している世界中の人たちに日本脳炎の危険性とワクチンの重要性について知ってもらう必要があるのではないでしょうか。私の知る限り、日本政府も日本オリンピック委員会(JOC)も今のところそのような情報発信はしていません。

 また、日本人も注意が必要です。日本脳炎はヒトからヒトへはうつりませんので、仮に外国人の患者が増えても、それが直接、日本人の患者増につながりはしませんが、日本人もオリンピックの応援で郊外に出て、ブタに近づくことはあるでしょう。

 日本で、日本脳炎の不活化ワクチンの勧奨接種が開始されたのは54年ですが、この年代以降に生まれた人も全員が接種しているわけではありません。臨時の予防接種に指定されたのが76年、定期予防接種に正式に指定されたのは94年です。

 さらに05年には、ワクチンの副作用の報告がきっかけで「積極的勧奨の差し控え」が行われました。ワクチンが改良されて積極的勧奨が再開されたのは10年です。厚生労働省はこの空白の期間に該当した小児に対し10年以降の接種を呼びかけましたが、該当者のどれだけが接種したかについてはデータが見当たらずよく分かりません。

リオデジャネイロ五輪の男子マラソン決勝。さまざまな国の選手が一斉にスタートした=リオデジャネイロで2016年8月21日
リオデジャネイロ五輪の男子マラソン決勝。さまざまな国の選手が一斉にスタートした=リオデジャネイロで2016年8月21日

 さらに、小児期に複数回接種していた人も、数十年たった後、体内の抗体が、感染を防げるレベルに維持されている保証はありません。過去のコラム(「日本脳炎のワクチンが今必要なわけ」)でも述べたように、実際に私自身の抗体は陰転化(感染を防げない状態になること)していました。私は養豚場があるタイの地方都市を訪れることが多いこともあり、直ちに追加のワクチンを自分に打ちました。海外渡航せず日本から離れないという人も、抗体検査またはワクチン追加接種を検討すべきだと思います。

 そのコラムを読まれた何人かの方から抗体検査やワクチン接種の問い合わせを受けましたが、今のところその必要性を訴えるメディアの報道をほとんど見かけません。20年夏、私の心配が取り越し苦労となればいいのですが……。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。