
前回の続編となるこの原稿を書こうと思いパソコンを立ち上げた2019年5月16日、偶然にも「ダニに刺されて東京都内の男性が重症」というネットニュースが飛び込んできました。今回と次回で、野原や山に生息するダニに刺されて発症する合計八つの感染症を取り上げます。その八つのなかで、ワクチンもなければ治療薬もない最も厄介な感染症が、この都内の男性が感染した「重症熱性血小板減少症候群」(SFTS)です。
ダニに刺されて発熱や嘔吐、下痢をする「SFTS」
SFTSは比較的新しい感染症です。厚生労働省は13年に「12年秋に国内初の患者が出て、死亡した」と発表しました。
感染すると熱や嘔吐(おうと)、下痢などの症状が出ます。これまでに西日本を中心に400人以上が感染し、60人以上が死亡しています(19年5月現在)。東京都での報告は今回が初めてです。※編集部注

ただしこの男性は都内で感染したわけではなく、報道によれば、長崎県を旅行中にダニ(マダニ)に刺されてSFTSウイルスに感染したようです。ダニが男性を刺したときに、ダニの体内に潜んでいたウイルスが男性に侵入したのです。
この男性は5月上旬にダニに刺され、その後、発熱、下痢、嘔吐などの症状で入院しています。SFTSならではの特徴的な症状があるわけではありませんから、こんなに早く診断がつけられたのは、この男性がダニに刺されたことをきちんと医師に伝えた(もしくは問診で医師が聞きだせた)からです。ダニに刺されて発症する感染症に共通していることで興味深いのは「ダニに刺されたことに気づいていない感染者も多い」ということです。
犬や猫からも、かまれなくても感染する
ワクチンも特効薬もないこと以外にもSFTSが最も厄介だと考えられる理由があります。それは、イヌやネコからも人間に感染することです。
SFTSのウイルスはイヌ・ネコにも感染し、ヒトがかまれたときに唾液と一緒に体内に侵入するのです。過去18回にわたり連載した「知っていますか? 意外に多い動物からうつる病気」では取り上げませんでしたが、SFTSは今後、動物からの感染症で最も重要なものの一つとなるかもしれません。
厚労省は17年に「16年に西日本の50代女性が弱っている野良猫を病院に連れて行こうとした時に、かまれてSFTSウイルスに感染し、死亡した」と発表しました。おそらく野良猫が弱っていたのはSFTSを発症していたからです。

もっと困ったことに、かまれなくても感染した事例があります。これも厚労省の発表です。
17年、四国の40代の男性が飼い犬にかまれたわけでもないのにSFTSを発症、同時に飼い犬も発症していることが分かりました。遺伝子検査の結果、男性は飼い犬から感染したのは間違いなく、おそらくなめられたことが原因ではないかとみられています。
ここで、ダニに刺されて重症化する八つの感染症を表にまとめてみましょう。

これら八つのなかで今後ますます注目されるのは、やはりSFTSでしょう。ワクチンも治療薬もなく、死に至ることもあり、その上ダニのみならず、イヌやネコとの接触がリスクとなるわけですから、注意しなければならないのは必至です。特に、無防備な服装で野山で遊び、また動物に警戒心のない子供たちは要注意です。
年間400~500人が感染する「ツツガムシ病」
国内でみたときに、SFTSの次に注意が必要なのは、頻度の高い「ツツガムシ病」と「日本紅斑熱」です。これらには有効な治療法がありますが、必ずしも早期発見できるとは限らず、治療開始が遅くなり死亡する例も毎年のようにあります。今回はSFTSに加えてこれら二つを取り上げ、次回に残りの五つを紹介したいと思います。
八つの感染症のなかで、国内で最も頻度が高いのはツツガムシ病で、過去数年はだいたい年間400~500人程度の報告があります。ダニの一種のツツガムシの体内に「リケッチア」と呼ばれる種類の小さな細菌が潜んでいることがあり、これがダニ(ツツガムシ)に刺されたときにヒトの体内に侵入するのです。
感染すると、刺されてから1,2週間の潜伏期を経て、頭痛や関節痛と発熱を起こします。皮膚の発疹や、刺された傷口のかさぶたも特徴です。
なお、他の七つの感染症はいずれも「マダニ」と呼ばれるダニが媒介する感染症ですが、ツツガムシ病だけはマダニではなくマダニよりも少し小さいツツガムシという名前のダニが原因です。

SFTSとは異なり、ツツガムシ病には抗菌薬がよく効きます。したがって適切な治療が行われれば死に至ることは通常はありません。ですが、実際には毎年のように死者がでています。なぜでしょうか。
それは診断がつけられないからです。医師が無能だからか、と問われれば、そういう場合もあるかもしれませんが、患者さんにダニに刺された記憶がないことが多々あり、こうなるとなかなか疑いにくいのです。
しかし早期発見ができれば治癒する病ですから、ときに我々医師は、原因不明の「発熱」「リンパ節の腫れ」「皮疹」などをみれば、しつこいくらいに「野原や山に行きませんでしたか?」と尋ねるのです。
日本人医師が見つけた病気「日本紅斑熱」
ツツガムシ病に似た感染症に「日本紅斑熱」があります。これは病名に「日本」とつくことからも分かるように日本人医師が発見した感染症です。
1984年、徳島県阿南市の馬原文彦医師のもとを、60代女性が発熱、皮疹などの症状で訪れました。山での農作業が原因と考えた馬原医師は当初ツツガムシ病を疑い検査を行いましたが陰性でした。ですが馬原医師は、そのときの検査結果から「リケッチア」の一種に感染した可能性が高いことを見抜き、ここから新しい感染症を発見したのです。
教科書的には「日本紅斑熱はツツガムシ病よりも刺し口を見つけにくい」とされていますが、馬原医師によると「そうでもない。見つけようと思えば大抵はみつけられる」そうです(私は直接質問したことがあります)。
日本紅斑熱は国内で年間200~300例くらいの報告があります。症状はツツガムシ病と似ていて、発熱や発疹、刺し口のかさぶたが特徴です。ツツガムシ病と同様、抗菌薬で治癒しますが、早期に診断がつけられるかどうかがポイントです。患者にはやはり、ダニに刺された記憶がないこともあります。

ツツガムシ病と日本紅斑熱の二つは、ダニがヒトを吸血したときに、ダニの体内に生息するリケッチアが、ダニの唾液と一緒にヒトの体内に侵入することで感染します。参考までに、ダニではなく家畜などの動物からリケッチアが感染して起こる感染症として過去に「Q熱」を紹介しました(参照:「原因はリケッチアと判明も…やはり不可解なQ熱」)。
では今回のまとめです。
(1)ダニがヒトを刺すことによりダニ体内に生息していた病原体がヒトに感染し時に重症化する感染症は、主に八つある。
(2)日本国内ではSFTS、ツツガムシ病、日本紅斑熱が特に重要。
(3)SFTSにはワクチンも治療薬もない。ダニに刺されなくても、動物にかまれたり、なめられたりして感染することもある。
(4)ツツガムシ病、日本紅斑熱は、リケッチアがダニからヒトに移動することで発症する。治療薬はあるが早期発見が困難なこともある。
※編集部注 毎日新聞社内の記事データベースをみると、今年度は5月末までに、4人がSFTSに感染しています。この都内の男性に加え、大分県と長崎県の男性、愛媛県の女性です。感染の事実は、各都県が発表しています。
太融寺町谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。