実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

縄文人も現代人も悩ませる「白血病ウイルス」

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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復顔された縄文人(右)と弥生人=国立歴史民俗博物館で2019年3月29日、伊藤和史撮影
復顔された縄文人(右)と弥生人=国立歴史民俗博物館で2019年3月29日、伊藤和史撮影

 日本全国で100万人以上が感染しているウイルスだが、その割に認知度が低い。ときどき有名人が白血病を発症して話題になるものの、結果的には関心度が低いままで、感染者の大半は、自分が感染していることに気づいていない。それが「成人T細胞白血病ウイルス1型」(HTLV-1)です。これは白血病以外の病気も起こすウイルスです。今回と次回はこのウイルスの話をします。

DNAに潜り込み「一生涯、感染し続ける」ウイルス

 HTLV-1は、ヒトの細胞に“寄生”できる特殊なウイルスです。このウイルスはヒトのDNA(遺伝子の本体)に潜り込んで、自分の遺伝情報を植え付けます。いったん感染するとヒトが死ぬまで一緒に過ごすことになります。このような芸当ができるウイルスは「レトロウイルス」と呼ばれ、エイズウイルス(HIV)がその代表です。HTLV1-1に比べるとHIVの方がはるかに有名ですが、実は発見されたのはHTLV-1の方が古いのです。HIVの存在がよく分かっていない時代にはHIVが「HTLV-3」と呼ばれていたこともありました。

 個人的な話となりますが、私が医学に興味を持つきっかけの一つがこのHTLV-1です。

 1990年代前半、医学部入学前に会社勤務をしていた私は当初、医学部ではなく社会学部の大学院に進学することを考えていました。そんなある日、栗本慎一郎・明治大教授(当時)の著書「パンツを捨てるサル」(光文社)を読み、HTLV-1感染者の分布が、人類学的にものすごく興味深いことを知りました。

 「日本で圧倒的に多く欧米にはほとんどない」というだけならそんなに驚きませんが、東南アジアには存在せず、朝鮮半島や中国にさえも感染者がほぼいないのです。日本以外では、カリブ海沿岸諸国や南米の一部、中央アフリカの一部など、ごく限られた地域にしか認められません。そして日本では、九州、沖縄に圧倒的に多く、他には北海道の一部、四国や紀伊半島の山間部などに散見される程度で、関東や近畿地方のほとんどではほぼ皆無なのです。

 ところで、世界史を振り返ると「戦争の勝敗を決めたのは感染症」という興味深い史実があります。例えば、紀元前5世紀末にギリシアで起きた「ペロポネソス戦争」でアテネ軍がスパルタ軍に敗れたのは、アテネ軍に発疹チフス(ペストという説もあります)が広がったからと言われていますし、アメリカ大陸の先住民族が欧州人に征服されたのは、インフルエンザが先住民にのみ感染したからだとする考え方があります。この連載でも紹介したブルセラ(マルタ熱)は、「クリミア戦争」(1853~56年)で、英国軍を、ロシア軍による攻撃よりも苦しめた感染症です。

ギリシア・ペロポネソス半島に残る古代都市スパルタの遺跡
ギリシア・ペロポネソス半島に残る古代都市スパルタの遺跡

縄文人を「敗北させた」ウイルス?

 栗本氏は、著書でペロポネソス戦争の事例などを紹介した後、HTLV-1感染の分布を説明するのに「弥生人はHTLV-1のおかげで縄文人に勝利した」という仮説を提唱しました。

 数千年前、縄文人のみが住んでいた日本に、大陸から弥生人が侵攻してきた。強健な身体をもち野山を駆けずり回っていた縄文人だが、このころはHTLV-1の感染で人口を半減させるほど弱っていた。弥生人はHTLV-1という助っ人のおかげで勝利し、敗れた縄文人は現在の北海道や東北、九州などに追いやられたか、あるいは、そこだけで生き残った……。

 九州南部や沖縄、四国、紀伊の山間部に住む人たちの人類学的特徴は、顔の彫りが深くて毛深い、つまり縄文人のイメージに一致するというわけです。

 しかし、この仮説には無理がありすぎます。そもそも、HTLV-1は血液、母乳、性的接触など極めて濃厚な接触がなければ感染しません。シラミが媒介する発疹チフスや、飛沫(ひまつ)感染のインフルエンザとはわけが違います。

 それに、HTLV-1に感染しても、致死的な白血病を発症するのは感染者の数パーセント程度であり、しかも潜伏期間が数十年もあります。弥生人と縄文人の間に武力による戦いがあったとして、こんな感染症が、戦いの勝敗に影響を与えるとは到底考えられません。

 しかし栗本氏はウイルス学的な“仮説”でこの点も乗り越えます。

 HTLV-1はウイルスの構造上、突然変異を起こしやすいことが知られています。栗本氏は、「HTLV-1などが突然変異して進化する速度は人間のDNAに比べて100万倍以上」だと指摘し、大昔のHTLV-1が「エイズウイルスなみの短い潜伏期間や高い感染・発病率を持っていなかったとは断定できない」と主張したのです。

 つまり、昔は短期間で次々と病気を起こしていたウイルスが、現在までに変異して、潜伏期間が長く発病率は低いウイルスになったのだろう、というわけです。

鹿と熊の皮で自作した「縄文人風の服」を来て丸木舟の作製を実演する、大工の雨宮国広さん=東京都台東区の国立科学博物館前で2018年7月31日、荒木涼子撮影
鹿と熊の皮で自作した「縄文人風の服」を来て丸木舟の作製を実演する、大工の雨宮国広さん=東京都台東区の国立科学博物館前で2018年7月31日、荒木涼子撮影

 「いくらなんでも飛躍しすぎでは」と思われますが、まだ医学部受験を考えていなかった頃の私は「もしかするとそんなことがあるかもしれない」と氏の仮説に興奮したことを覚えています。縄文人が蝦夷(えみし)、隼人(はやと)、熊襲(くまそ)、土蜘蛛(つちぐも)などと呼ばれ、弥生人がつくりあげた朝廷から再三にわたって討伐されていたという話と合わせて考えると、当時の私には説得力がありました。

 現実的な話をしましょう。「弥生人はHTLV-1の力を借りて縄文人を破った」という仮説はともかく、「HTLV-1は縄文人の疾患ではないか」という説は少しずつ認められてきています。

 例えば早くから成人T細胞白血病(ATL)の原因がHTLV-1であることを指摘していた日沼頼夫・京都大名誉教授(故人)は98年の論文で、それを指摘しています(栗本氏の仮説も日沼名誉教授の80年代の研究などが基になっています)。

白血病などの原因で「未発症の感染者は100万人」

 ここからはなぜこのウイルスが重要なのかをみていきましょう。HTLV-1が原因となる疾患にはいくつかあり、最も有名なのはATLです。さまざまなタイプに分類できる白血病のなかでATLは最も治療が困難なもののひとつです。

 次に有名なHTLV-1由来の疾患は、HTLV-1関連脊髄(せきずい)症(HAM)とよばれる脊髄疾患でしょう。歩行困難や排尿障害が出現し、やがて寝たきりとなります。

ATL対策の充実を訴えて会見する浅野史郎・元宮城県知事(左)と市民団体「日本からHTLVウイルスをなくす会」(当時、現スマイルリボン)の菅付加代子代表(左から2人目)=衆院第2議員会館で2010年9月8日
ATL対策の充実を訴えて会見する浅野史郎・元宮城県知事(左)と市民団体「日本からHTLVウイルスをなくす会」(当時、現スマイルリボン)の菅付加代子代表(左から2人目)=衆院第2議員会館で2010年9月8日

 HTLV-1は他にもいろんな症状をもたらします。太融寺町谷口医院のようなクリニックでは、ATLやHAMよりもむしろそちらの方が、感染発見のきっかけになることが多いと言えます。

 例えば、原因不明の関節痛が続いていることから感染が判明した患者さんがいますし、「これまでアトピー性皮膚炎と言われていたが治らない」と言って受診された人から、HTLV-1が見つかったこともあります。HTLV-1は難治性の湿疹を起こすことがあるのです。成人になってからアトピーを発症したという人は一度疑ってみてもいいかもしれません。その他では、「シェーグレン症候群」などの膠原病(こうげんびょう)や、慢性気管支炎などを有している人がHTLV-1陽性ということがあります。いずれも、発症した病気とHTLV-1感染の因果関係はよくわかっていないものの、感染者は他にもいくつかの症状を呈することがあります。

 さて、HTLV-1に感染しているけれども、何の病気も発症していない「キャリア-」は日本で100万人以上いると言われています。そして、私の経験上、感染者は顔の濃い“縄文系”の人だけではありません。地域に関係なくHTLV-1感染は珍しくないと考えるべきです。

 2019年5月、一部のメディアは「HTLV-1が九州の男性の間で増加している」と報道しました。

 しかし、この表現は正確ではなく「全国的に男女とも増加している可能性が高い」とみるべきです。次回はその理由を述べます。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。