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インフル治療薬を予防には気軽に使えないわけ

谷口恭・太融寺町谷口医院院長

 私が院長を務める太融寺町谷口医院は、一度も受診したことがない患者さんからもメール相談を受け付けています。今回は2019年の2月、インフルエンザが猛威を振るっていたころに届いたメールをご紹介します。抗インフルエンザ薬を、インフルエンザになる前に、予防として使う場合についての相談でした。こういう「予防使用」もあり得るのですが、使用の際には医学的にも費用の面でも、いろいろ考えるべきことがあります。このあたりを説明してみたいと思います。

保険診療で予防使用はできません

 届いたメールは、以下のような趣旨でした。

 <はじめまして。(谷口医院とは別の)クリニックの対応に疑問があります。どこに言っていいかわからないので、谷口先生に相談しようと思いました。先日、子供をつれてインフルエンザの予防目的でかかりつけ医を受診すると「自費になる」と言われて2人で1万4000円ほど払い(抗インフルエンザ薬の一つの)イナビルを処方してもらいました。(高額なのは)自費だから当然かと思っていたら、他のクリニックでは「万が一問い合わせがあったら、インフルエンザになったことにしておいて」の言葉と共に3割負担(子供は負担ゼロ)だったと、近所の人たちに聞きもんもんとしています>

 相談者は関東在住の若い母親のようです。たしかに1万4000円もの高額を支払い、同じことで受診した「近所の人たち」は保険で処方されたのなら憤慨する気持ちはわかります。ですが、間違っているのは相談者が受診した医療機関ではなく「万が一問い合わせがあったら……」などと言って保険でイナビルを処方しているクリニックの方です。抗インフルエンザ薬を予防的に使う場合は、費用は健康保険からは支払われないのがルールだからです。

 患者さんの負担をできるだけ減らしたいというのはすべての医療者がいつも考えていることではありますが「ルール」は守らねばなりません。ルールを逸脱する者が出てくると保険診療自体が成り立たなくなります。そこで私は、(相談者の)気持ちはわかるが、かかりつけ医の先生の考えが正しい。「他のクリニック」が間違っている、という回答をしました。すると次の返答が来ました。

 <私も「他のクリニック」がおかしいと思ってもんもんとしていたんです。「あそこに行けば保険診療にしてもらえる」といううわさで、冬場は特に患者が多かったです。そして、かかりつけのクリニックが、やはり良心的なのだと再認識しました。「THE下町の診療所」って感じなのです。もし「他のクリニック」が目に余るようなら私密告するかもです>

 この相談者が「密告」したのかどうかは分かりませんが、次のシーズンもこの親子がインフルエンザの予防を考えたとして、これまで通り「THE下町の診療所」を受診するでしょうか。おそらく尋ねれば「そうする」と答えてくれるとは思うのですが、家族のメンバーが増えた場合はどうでしょう。「ひとり7OOO円もかかるなら、かかりつけ医を替えようか……」という考えが頭をよぎることはないでしょうか。

予防にはうがい、手洗いとワクチンが大事

 インフルエンザの予防にはうがい・手洗いとワクチンが重要です。ワクチンは、過去の連載で何度か述べたように「接種しても感染を完全に防げない」ものです。それでも重要なのは、「感染する可能性が下がること」以外に、「感染しても重症化するリスクを下げられる」ことと、「他人への感染リスクが低下する」ことの二つの利点があるからです。風疹や百日ぜきを紹介したときに「ワクチンは自身のためというよりも社会のために」と述べました。同じようにインフルエンザワクチンも社会のために接種すべきだと考えられているのです。

念入りに手洗いとうがいをする子どもたち
念入りに手洗いとうがいをする子どもたち

 ワクチン、うがい・手洗いを前提として、インフルエンザには「治療薬の予防使用」という選択肢があります。ですが、これはだれもが使える手段ではありません。「健康保険では予防使用の費用は出ない」ことは先ほど説明しましたが、自費の場合にも、医学的な理由からいろいろ条件があり、むやみに使うべきではないのです。

 現在、国がインフルエンザ予防のために使用を認めている抗インフルエンザ薬は、タミフル、リレンザ、イナビルの3種類です。ただしいずれも自費診療となります。一方、ゾフルーザは認められていません(いずれも製品名は先発品の商品名です)。

 さて、上記三つの薬の添付文書にはいずれも、どのような人に(自費で)予防使用してよいかについて、三つ共通の条件が書かれています。

 使用が認められるのは、原則としてインフルエンザ患者の同居家族か、共同で生活している人で、さらに以下の条件のどれか一つを満たす人です。

 (1)65歳以上の高齢者

 (2)ぜんそくなど慢性呼吸器疾患、心不全など慢性心疾患

 (3)(重症の)糖尿病など代謝性疾患

 (4)慢性腎臓病や糸球体腎炎などの腎機能障害

 四つの条件をまとめれば「免疫機能が低下していて、インフルエンザにかかりやすく、もしかかったら重症化が心配な人たち」とも言えるでしょう。

 三つの添付文書にはさらに「予防の基本はワクチンで、治療薬の予防使用はワクチンに置き換わるものではない」という趣旨の文章が赤字で記されています。

インフルエンザのワクチンを注射する医師
インフルエンザのワクチンを注射する医師

 こういう使用制限の背景には、いくつか医学的理由があります。

乱用すれば耐性ウイルスや副作用の心配

 まず、予防使用する場合、タミフルとリレンザは、飲んでいる間(たとえば1週間とか10日)しか予防効果がありません。イナビルも1回使って、効果があるのは10日間程度です。ワクチンのように1シーズン効き目が続くことはありません。

 そして、飲んでいる間も「絶対にインフルエンザにかからない」とまではいえず、かかる確率を2割に下げる程度です。もちろん、飲まなくてもかからない可能性は十分にあるわけですし、病気ではないのに薬を使って、副作用だけもらうのも心配です。

 さらに、治療薬をみんなで予防使用して大量に使ったら、そのうち薬が効かない「耐性ウイルス」が出てきて、その薬は、予防どころか治療にも使えなくなりかねません。私としては、これが一番の問題だと考えています。

 こうした事情を背景に、日本呼吸器学会の「成人肺炎診療ガイドライン2017」(17年4月発行)は、予防使用の対象として「病院内で同じ部屋の患者がインフルエンザを発症した場合」を想定しています。つまり、そもそも対象は入院している患者のみであり、健常者への予防投与はおこなわないことになっているのです。もっと言えば、過去(参照:「『休めない』人はインフルエンザの薬を使うべきか?」)にも述べたように「健常者は感染しても抗インフルエンザ薬を必ずしも使う必要はない」のです。

 ところで、添付文書の4条件に、文字通りには当てはまらないけれども「免疫機能が低下している」人、例えば抗がん剤の治療を受けている人、膠原(こうげん)病がある人、(免疫機能を下げる作用がある)生物学的製剤を使用している人、HIV(エイズウイルス)陽性の人などはどうすればいいのでしょう。そのような場合は、重症度や環境を個別に検討することになり、予防使用をするかどうかは医師の裁量に委ねられているのが現状です。

 谷口医院の場合、たとえば検査結果が安定していない膠原病やHIV陽性の患者さんに予防使用を検討することはあります。また、医学生・看護学生を含む医療者の場合も、院内で感染者がみつかった場合に検討することがあります。

 こうして検討した結果、「では予防使用をしましょう」となったときに大きな問題に直面します。それは費用です。いずれの薬を使うにしても、先発品だと、冒頭で紹介した相談者のメールにあるように、かなりの高額になります。谷口医院の患者さんは若い人が多いということもありお金に余裕がないことが少なくありません(失礼!)。そこで谷口医院ではタミフルの後発品を推薦しています。これなら1錠200円程度ですから他の予防薬の4分の1から5分の1程度で済みます。

予防使用の対象は「免疫が弱った人」だけ

 ここで冒頭のメール相談に話を戻します。「万が一問い合わせがあったらインフルエンザになったことにしておいて」などと言い保険で予防薬を処方していた「他のクリニック」は論外ですが、相談者が好感を持っている「THE下町の診療所」にも問題がある可能性があります。なぜなら、相談者のメールからは上記四つの条件や、それに準ずる疾患があるようには思えないからです。

 
 

 「THE下町の診療所」が良心的だと書かれていた2通目のメールを受け取った後、私がどのような返事をしたかが分かるでしょうか。このコラムを継続して読んでくれている読者の方ならだいたい想像がつくと思いますが、私の返事は以下のようなものでした。

 <「THE下町の診療所」、いいですね。きっと優しいながらもその一方でルールを大切にされる先生なのだと思います。ところで、インフルエンザの予防薬はすべての人に認められているわけではなくて免疫が弱っている場合だけ、ということはご存じでしたか。かかりつけ医の先生はあなた方親子がそういう状態であると判断されたのだと思います。インフルエンザのシーズンが終わってからも、免疫を上げるためにどのようなことをすべきかをその先生から学ばれるのがいいと思います>

 と、こんな感じです。ちなみに、谷口医院に長く通院されている日ごろ健康な患者さんには、うがい・手洗い、ワクチン以外に、過去の連載で紹介した「谷口式鼻うがい」(参照:「うがいの“常識”ウソ・ホント」)を推薦しています。

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。