たける 一緒に歩こう -難病・二分脊椎症奮戦記-

待ちに待った出産 そして病気の発覚

柳沢茜・毎日新聞東京本社技術センター
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東京都内の自宅で写真に収まる夫の亮さん(左)と息子の健くん(中央)、妻の茜さん=2019年8月
東京都内の自宅で写真に収まる夫の亮さん(左)と息子の健くん(中央)、妻の茜さん=2019年8月

 「あれ、赤ちゃんの腰ってお猿さんのしっぽみたいに膨らんでるものなのかな」

 息子・健(たける、2歳)を出産するまで、私たち夫婦は、東京本社勤務の私(当時25歳)と新潟支局勤務の夫(当時27歳)で離れて暮らしていた。東京と新潟間を互いに行き来しながら結婚生活を続け、2017年2月、身ごもったことがわかった。青森市出身の私は、新潟には知人もいない。しかし、「夫とともに子供を迎えたい、やっと一緒に住める」と、新潟市で出産することを決めた。

 「切迫早産」だったことから、同年6月には産休にはいった。同市内の浜辺が近いアパートに引っ越し、ぽこぽこ動くおなかの胎動を感じながら「早く会いたいね」と、川の字で家族3人寝ることを楽しみに待っていた。

「今のうち抱いてください」

 そして、その年の10月1日早朝、同市内の産院で息子は元気な産声を上げた。痛くて痛くて、「もう力むなんてできるか」と思いながら陣痛に耐えた。痛さと疲れの中、子供に会えたものの、恥ずかしさもあり抱くのが照れくさかった。その時、取り上げられた息子に違和感を覚えた。腰にこぶのような膨らみがあったのだ。

 医師は「今のうちに抱いてください」とせかした。「今のうち?」。もやもやした気持ちで、立ち会ってくれた夫とともに写真に納まった。「頑張ったね、ありがとう」と感動する夫の表情が嬉しかった。それもつかの間、夫が医師に連れて行かれ、分娩(ぶんべん)台に一人取り残された。

 「すぐ戻ってくるからね」。そう言い残して戻ってきた夫。息子が「二分脊椎症(にぶんせきついしょう)」という病気であることや、これから近くの大学病院に救急車で連れて行き、すぐに手術をしなければならないことを、言葉に詰まりながら伝えてくれた…

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柳沢茜

毎日新聞東京本社技術センター

毎日新聞東京本社制作技術局技術センター所属。1992年、青森市生まれ。2015年入社後、ITエンジニアとしてメディア業務に携わる。大学では漕艇競技にのめりこみ、留年した。特技はりんごの品種を食べ分けること。好きなことは日曜の夕方、「サザエさん」を見ながら家族で囲む夕食。