実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

新型コロナウイルス 「5分の知識」で差別を防ぐ

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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多くの観光客がマスクを着用して歩く太宰府天満宮の参道=福岡県太宰府市で2020年2月1日、津村豊和撮影
多くの観光客がマスクを着用して歩く太宰府天満宮の参道=福岡県太宰府市で2020年2月1日、津村豊和撮影

 新型コロナウイルスの感染者が、特に中国で増え続け、世界保健機関(WHO)は「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(Public Health Emergency of International Concern: PHEIC)を宣言しました。ただ、今のところ日本国内では、患者は出ているものの、このウイルスが「流行している」という状況ではありません。今回はこのウイルスに関連した「2次的被害」、つまり差別について考えてみたいと思います。

 私は、「医療プレミア」には、他のだれも述べないオリジナリティーのあるコラムを書くことをモットーとしています。現時点で私が入手している情報はWHOの発表や論文だけであり私自身は感染者をまだ一人も診察していません。ですから、この感染症に対しては記事を書かないつもりでいました。しかし、私が院長を務める太融寺町谷口医院には過剰に心配する患者さんが日本人・外国人とも増えてきて、ついに(後述するように)これは放っておけないという出来事が報道され、さらに中国の対応で気になる点もあり、結局「書きたい」という気持ちが強くなってきました。

 新型コロナウイルスによる患者が最初に出たのは中国の湖北省武漢市ですが、1月末の段階では武漢市内より、武漢市を除いた湖北省で患者数が多くなり、さらに湖北省以外の中国全土にも広がっています。中国人の間では、報道やネットで時間ごとに新しい情報が流され、感染者及び死亡者の数字が日に何度も話題になるそうです。世界の統計をリアルタイムで更新するサイトの「Worldometer」はトップページの1行目に新型コロナウイルスの死亡者を載せています。同サイトによれば2020年2月3日午後3時の時点で感染者1万7390人、死亡362人です。

 さて、この時代、SNSで情報を収集する人は多いと思います。基本的に私はネット社会に賛成ですが、過去に触れた「蜂蜜による乳児死亡事件」もネットの情報が発端だったことを考えると、「出所のはっきりしない情報をうのみにしないで!」という強い気持ちがあります。現段階では新型コロナウイルスに関するネット情報に明らかな誤りは見当たりませんが、今後いいかげんな情報が飛び交う可能性は充分にあると私はみています。

 では、我々医師は何をもって「信頼度が高い」と判定しているかというと、最重要視しているのは権威ある医学誌に掲載される論文です。そのような論文は厳しい査定を受けているからです。

 英医学誌「LANCET」20年1月24日号(オンライン版)に「武漢の新型コロナウイルス感染者の臨床上の特徴(Clinical features of patients infected with 2019 novel coronavirus in Wuhan,China)」というタイトルの論文が掲載されました。ここから、これまでに分かっている「事実」についてまとめてみましょう。

 感染者第1例が発症したのは、19年12月1日です。この人は例外ですが、感染者の3分の2は、武漢市にある「華南海鮮市場」で感染したと考えられています。そのため市場は今年1月1日に閉鎖されました。論文で検討された感染者41人全員が肺炎を発症しています。興味深いのは、鼻汁、くしゃみ、咽頭(いんとう)痛といった、通常の風邪の症状がまったくないことと、小児の発症例がないことです。現時点で有効な薬剤はありませんが、一部の抗HIV(エイズウイルス)薬に効果がある可能性があり、臨床試験が開始されています。この抗HIV薬は「ロピナビル」と「リトナビル」と呼ばれる2種の薬の合剤で、商品名で言えば「カレトラ」に相当し、00年代にはHIVの治療に広く使われていたものです。

 さて、「LANCET」が述べているのはこの程度であり、これだけの情報では今後のことが分かりません。そこで医学誌の次に「信頼度が高い」文献にあたることになります。

中国人観光客らを迎えるため、春節の装飾が施された商店街=札幌市中央区で2020年1月27日、澤俊太郎撮影
中国人観光客らを迎えるため、春節の装飾が施された商店街=札幌市中央区で2020年1月27日、澤俊太郎撮影

 この論文で最初に私が疑問を感じたのは、武漢のような内陸で「なぜ海鮮市場? そして魚介類からコロナウイルスが感染するのか?」という点です。そこで、英国の放送局「BBC」や、通信社のロイターをはじめ、世界的に一流のメディアをあたりました。すると米紙「The New York Times」に記事がありました。武漢の海鮮市場では、確かに魚介類も扱われているものの、牛肉、豚肉、子羊、鶏といった肉類、さらにヘビ、カメ、セミ、モルモット、竹ネズミ、アナグマ、ハリネズミ、カワウソ、ヤシジャコウネズミ、オオカミなども販売されているようです。

 やはり新型コロナウイルスは「重症急性呼吸器症候群」(SARS)や「中東呼吸器症候群」(MERS)と共通点があります。SARSもMERSも発端がコウモリ由来であることが指摘されています。SARSはコウモリから他の野生動物を介してヒトに、MERSはコウモリからラクダを介してヒトに感染が起こりました。新型コロナウイルスもコウモリとの関係性が指摘されており、何らかの野生動物がウイルスをヒトに媒介したと考えて間違いなさそうです。参考までに、香港当局のデータによれば、SARSによる全世界の死亡者は774人(発症者の9.6%)、MERSは858 人(34.4%)です。

 しかし、問題は動物からヒトではなく、ヒトからヒトへの感染です。すでに武漢市では医療者への院内感染が相次いでいることが報告されています。患者のせきに含まれるウイルスを浴びる医療者はハイリスクと言えますが、N-95と呼ばれる特殊なマスクを装着して診療にあたっているはずです。しかし、それでも医療者に感染者が相次いだのですから、決してあなどってはいけない感染症だと考えるべきでしょう(注1)。

 しかし、この心配が過剰になると新たな問題が生じます。そして私はこれを“2次的被害”と呼んでいます。現在中国在住の日本人が大勢日本に帰国していることが報道されています。帰国者を交えた記者会見が開かれると、この会見自体を非難する声もSNSでは上がっていると聞きます。感染していても無症状や軽症のこともあるのだから(これは事実です)、たとえマスクをしていたとしても公の場に出るのはよくない、とする意見です。こういう意見のホンネは「帰国すること自体がNG」なのでしょう。

 先に私は「あなどってはいけない」と書きましたが、過剰な心配も思わぬ弊害を招きます。そもそも、WHOを含めた複数の機関が調査した結果、武漢市に滞在したという理由で拘束される必要はないと判断されているのですから、帰国者は不法出国や不法入国をしたわけではありません。今後ウイルスの遺伝子変異が生じて致死率が上昇する可能性もなくはありませんが、現時点ではそのような兆候はありません。死亡者の数に過剰に反応する人がいますが、通常の季節性インフルエンザの影響で、(国立感染症研究所によると)年間数千人、多い年は数万人が死亡していることを考えると「帰国すべきでない」といった考えは明らかに行きすぎです。

 さらに今後、「中国から帰ってきた」というだけで差別的な扱いを受ける可能性があります。特に子供が心配です。

 
 

 1月29日に全国の学校向けに出された文部科学省の通知によれば、帰国後2週間は自宅待機として、その後症状がなければ登校可とされています。しかし、風邪がはやっているこの季節、登校したとたんに風邪をひいてせきをする、という場合もあるでしょう。そんなとき、その子供が差別を受けるようなことがあってはなりません。

 また、この通知には「武漢市在住の方と濃厚な接触があった方」が2週間待機の対象とされています。しかし、現在流行は武漢市を超え、湖北省の広範囲、さらに湖北省以外の地域へと広がっています。そして感染していても無症状の人も少なくないと考えると、中国渡航者のみならず日本の空港に行くこと自体に危険性が伴い、さらに「空港に行った日本人と一緒の電車に乗ればリスクがある」という考えもでてきます。満員電車でせきをすれば周囲から白い目で見られる、という事態になるかもしれません。しかし、先述したようにインフルエンザにはこれほどの恐怖を抱く人はあまりいないことを考えると(ワクチン接種率は高くない)、このような考えは合理的ではありません。

 予防グッズにもさまざまなうわさが飛び交い、おそらくマスクについては根拠のないデマが流されるでしょう。N-95は入手困難になると私はみています(注2)。しかし、その一方で楽観するのも危険です。では、どうすればいいのか。月並みなことしか言えませんが、日ごろの感染予防が何よりも大切です。そして、これこそが私が言い続けている「5分の知識」です。感染症はほんの少しの知識で感染のリスクを大きく下げることができ、不当な差別をなくすこともできるのです。

 私が1月23日に大阪市で開いた「ミニ講演会」で述べた感染予防対策は、手洗いをまめにおこなう、顔を触らない、そして参加者にはビデオも見てもらった「谷口式鼻うがい」です。もしも、分からないことがあればささいなことでもかかりつけ医に尋ねるようにしましょう。ネット情報をうのみにするのではなく……。

 
 

 ※注1 なぜ医学的知識がありN-95マスクをしているはずの医療者が、立て続けに感染したのか。私にはこの点が今も謎です。もしも適切にN-95を装着し、さらに他の一般的な感染予防を実施していれば感染はほぼ防げるはずだからです。推測で物を言うべきではないのですが、私は、武漢市の病院の感染予防対策が不充分ではなかったのかと疑わずにはいられません。ちなみに「The New York Times」の報道によれば、武漢の病院を取材に訪れた香港人のジャーナリストが警察に数時間抑留され、携帯電話やカメラの提出を求められたそうです。

 ※注2 「N-95を使用すべきですか」という質問を谷口医院の患者さんからも「医療プレミア」の読者の方からもしばしば受けます。一応答えは「イエス」ですが、実際にN-95を適切に装着するのは過去のコラム(「麻疹抗体が消える理由と「マスギャザリング」の恐怖」)で述べたように一般の方には困難です。そこで私は、必要時には通常のサージカルマスクを2枚重ねて使用するよう助言することがあります。なお、マスクをしていてもそのマスクに手で触れてはいけません。先日のミニ講演会でも述べたように顔面を触ってはいけないのです。マスクに手を触れると呼気に病原体が混じり、それを吸気時に気道に入れることになるからです。

谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。