お客さんの白子とよさんを撮る能津喜代房さん=東京都中野区で、筆者撮影
お客さんの白子とよさんを撮る能津喜代房さん=東京都中野区で、筆者撮影

 自身の死に備える「終活」の一つに、遺影の準備がある。自分の意向に沿った写真を葬儀で使ってもらうよう、生前に撮影したり、お気に入りの一枚を選んでおいたりするのだ。葬儀で必ず視線が向く対象だけに「自分らしい写真」は大切だ。だが、それだけではない。遺影は葬儀の後も、居間などに飾られ、遺された家族が折に触れて語りかける一枚になるかもしれない。お気に入りの写真だからこそ、生きている間に手近に置いて毎日見ていれば、自分自身にも生きる力や元気を与えてくれる一枚になるかもしれない。

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ライター/立教大学社会デザイン研究所研究員

ほしの・さとし 1962年生まれ。元朝日新聞記者。30年ほど前、墓や葬儀の変化に関心を持って以降、終活関連全般、特にライフエンディングについて取材、研究を続けている。2016年に独立。立教大学大学院、東京墨田看護専門学校で教えるほか、各地で講演活動も続ける。「つながり」について考えるウエブサイト「集活ラボ」の企画・運営も手がける。著書に「寺、再起動:ゾンビ寺からの脱出!」(法蔵館)、「人生を輝かせるお金の使い方 遺贈寄付という選択」(日本法令)、「『定年後』はお寺が居場所」(同、集英社新書)「終活難民-あなたは誰に送ってもらえますか」(2014年、平凡社新書)ほか。