たける 一緒に歩こう -難病・二分脊椎症奮戦記-

「同じ病気の家族」とのふれあい<連載第4回>

柳沢茜・毎日新聞東京本社技術センター
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朝食後の4種類の薬は、毎日の日課だ。慌ただしいなか、飲ませるのに苦戦する=東京都墨田区の自宅で、柳沢亮撮影
朝食後の4種類の薬は、毎日の日課だ。慌ただしいなか、飲ませるのに苦戦する=東京都墨田区の自宅で、柳沢亮撮影

 <連載3回目までのあらすじ>

 新潟市で2017年10月1日、私たち柳沢亮(29)、茜(27)夫婦に息子・健(たける、2歳)が生まれた。出生時に神経障害である二分脊椎症(にぶんせきついしょう)が判明。18年3月、夫の転勤のため東京都墨田区に引っ越し、その年の9月には合併症のぼうこう障害がわかった。息子が保育園にいる間にも医療的ケア(導尿)が必要で、夫婦は働きながら日中に保育園に通う日々が続いた。勤務時間の制約が大きかったため、保育園側で導尿をしてくれるよう墨田区と保育園に要望し、交渉を続けていた。

 「同じ病気の家族に会ってみたい」。息子の治療のため通っていた新潟大学医歯学総合病院(新潟市中央区)。脳神経外科の待合室で、日本二分脊椎症協会新潟支部のパンフレットが目に入り、早速、担当者に連絡をした。東京に引っ越す直前の18年の初めのことだ。年4回程度開かれる同支部の患者会に足を運ぶと、車椅子の子、足に装具を着用している子などさまざまな症状の子供が集まっていた。「健は、どう成長していくのだろう」。同じ病気の子に初めて会い、数年後の息子の姿を想像した。「新規の人が減っているので、来てくれてうれしい」と支部の方は言った。

 今でも、症例など二分脊椎症の情報を得ることは簡単ではない。ただ、インターネットが普及する以前に比べれば情報を得やすくなった。新規入会者が減った要因はそんなところにもあるようだった。障害者スポーツとして知られる「ボッチャ」をしながら交流を深めた。親子合わせて15人ほどが参加した。

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柳沢茜

毎日新聞東京本社技術センター

毎日新聞東京本社制作技術局技術センター所属。1992年、青森市生まれ。2015年入社後、ITエンジニアとしてメディア業務に携わる。大学では漕艇競技にのめりこみ、留年した。特技はりんごの品種を食べ分けること。好きなことは日曜の夕方、「サザエさん」を見ながら家族で囲む夕食。