
新型コロナウイルスの抗体検査は、疫学的調査としてなら意味があるが、「個々の臨床診断には使えない」ことを本連載で繰り返し述べてきました。現時点でも保険診療で行える信頼できる抗体検査は存在しないのですが、過去1週間ほどで抗体検査自体が大変注目を浴びるようになってきました。その理由の一つはソフトバンクグループ(SBG)が実施した大規模調査です。今回は、同社の調査結果を振り返り、後半では新たな抗体検査について私見を述べたいと思います。
6月9日、SBGは独自の抗体検査の調査結果を発表しました。3月には100万人に無償PCR検査を実施すると表明しその後撤回した孫正義社長が、今度は大規模抗体検査を実施すると発表したのが5月の初旬です。その後約1カ月で同社は4万人以上に検査を実施しました。これだけの規模の調査をわずか1カ月で実施し、さらに結果も発表されたことに私は心底驚きました。しかも、その結果の内容が納得できるものなのです。本来はこの結果に対しての考察は調査結果が論文になるまで待つべきなのですが、公表された内容だけでも十分検討に値します。
医療従事者の陽性率は一般の約8倍
SBGの調査を簡単にまとめてみましょう。総検査数は4万4066件、そのうち検査で陽性が出たのは191人で全体の0.43%となります。内訳をみると、医療従事者5850人では、陽性者が105人(陽性率1.79%)。SBGや取引先などの3万8216人では、陽性者は86人(0.23%)で、陽性率には8倍近い違いがありました。
使用された検査キットは2種類あり、INNOVITA社製とOrient Gene社製で、どちらもイムノクロマト法(IC法)と呼ばれる検査法です。
INNOVITA社によると、同社の検査キットの「感度」は87%です。これは実際に新型コロナに感染した人を100人集めて、この検査を実施すると87人が「陽性」となることを示しています。つまり13人は感染していたのに「陰性」と出るわけです。また、Orient Gene社の検査の感度も、抗体の一種「IgM」についてはほぼ同様でした。
この程度の感度があれば、疫学調査には十分使えます。つまり、一人一人の臨床診断には使えない(「陽性」「陰性」の結果が必ず正しいとはいえない)のですが、多人数でみたときにはある程度の傾向がつかめるのです。検査対象者は4万人以上と規模が大きく、疫学的には非常に良質な調査といえるでしょう。
この調査の興味深い点の一つが、医療従事者の属性別のデータが算出されていることです。最も陽性率が高かったのは「受付・事務等」の2.0%でした。続いて高いのが「医師」と「看護師等」で、それぞれ1.9%と1.7%。そして「歯科助手」は0.9%、「歯科医」は0.7%でした。歯科医院での感染が少ないのは意外だ、という声もあるようですが、これは単純に発熱や倦怠(けんたい)感のある人は歯科医院をそうそう受診しないからでしょう。一方、医科のクリニックや病院は発熱、倦怠感、胸痛、下痢、呼吸器症状などの人が大勢受診しますから陽性者が多いのは当然です。
注目すべきは医師や看護師よりも受付・事務等の陽性者が多いことです。これは前回のコラム「新型コロナ 感染防止に自信が持てる知識と習慣」で紹介した中国や米国の調査結果と同じで、「接触感染」が原因だと思われます。過去に何度か述べたように、コロナウイルスは(他の病原体とは異なり)マスクをしていれば呼気に漏れ出ず、そして(ほとんどの)患者さんが医療機関を受診するときはマスクを着用しています。ですから受付・事務等の人に飛沫(ひまつ)感染する(した)可能性は(ほぼ)ないのです。
「とにかく顔を触らない」
私は太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の受付スタッフには、「とにかく顔を触らないように。手に触れるものすべてが感染源と思うように。特にお金に注意」と言い続けています。保険証や問診表だけでなく、コインやお札に頻繁に触れる受付スタッフは「最も感染リスクの高い職業」なのです。
今回ソフトバンクが調査に用いた検査キットを使ってさらに多くの人が抗体検査を受けるべきでしょうか。疫学調査が目的なら、答えはイエスです。職業別の調査を重ね、年代や地域、その他社会的アクティビティーでどの程度感染率が異なるのかを調べることには意味があるからです。リスクのある行為や場所が明らかになると予防策が立てやすくなります。
一方、個人の利益にはなりません。この調査が「良質」なのは疫学的な意味においてです。ここで感度87%の意味を思い出しましょう。100人の感染者のうち検査で陽性と出るのは87人で、残りの13人は感染していたのに陰性と出るということです。検査を受けたあなたが「13人」のなかに入る可能性は否定できません。
新型コロナウイルスの抗体に関して、東京大学アイソトープ総合センターの「新型コロナウイルス抗体測定協議会」が興味深い調査をしています。同協議会の施設では「抗体の精密検査」を行うことができます。抗体の量を数値で表すことができる検査です。将来このような検査が安くて簡単にできるようになることが望ましいわけですが、まだ実用化には至っていません。
調査に適した抗体検査も個人の診断には不適
同協議会は、既存の抗体検査がどの程度正確かを、精密検査と比較する調査を行いました。5月31日に発表された報告によると、福島県内で医療・介護従事者680人に新型コロナの抗体検査を行い、簡易キット(抗体の量は測れず、陽性か陰性かだけを判定する検査。メーカー名は非公表)では58人が陽性になりました。このうち、精密検査で陽性となった事例はわずか6人で、680人に対する陽性率は0.88%でした。同協議会の結果こそが正しいと考えるなら、簡易検査は本来の10倍近い人数を「陽性」と判定してしまったことになります。同協議会の検査の正確さにも検討の余地があるのは事実ですが、一般に、複数の種類がある抗体検査のなかでIC法は最も精度が低いものです。同協議会の研究で使われた市販の検査キットもSBGが調査に使ったキットもIC法です。

SBGは、使用した検査キットに関して、専門家の意見なども取り入れて、精度は高いと発表しています。これは「IC法のなかでは高い」という意味です。一般に感染症の確定診断をIC法で行うことはありません。IC法の代表のひとつであるインフルエンザの抗原検査が不正確であることはよく知られています。一部の保健所ではHIV(エイズウイルス)のスクリーニング検査をIC法で実施しており、IC法で陽性と言われ精密検査で陰性だったというケースは今もよくあります。ちなみに谷口医院の経験ではIC法陰性でPCRが陽性のHIVが過去に何例かありました。
ですから、過去に紹介したように、既存のIC法による抗体検査は陽性と出ても陰性と出ても、①感染している②感染していない③過去に感染して治癒した――のいずれの可能性もあると考えるべきです。
強い要望に応えて検査を始めたが
ところで、谷口医院では5月の末まで、患者さんから抗体検査を希望されても、かたくなに断ってきました。その人の利益にならないからです。
ですが、「職場から検査結果の提出を求められている」「検査結果がなければ仕事がもらえない」といったことを複数の患者さんから言われたことがきっかけとなり結局、検査を開始することにしました(検査方法はIC法です。また新型コロナの抗体検査に健康保険は適用されず、自費となります)。結果は、案の定……という感じです。例を挙げましょう。
【事例1】30代男性 「別の医療機関の抗体検査で陽性だった。自分はそんなはずはない。陰性の結果がないと仕事がもらえない」
谷口医院で検査をすると抗体陰性。前回の検査結果が偽陽性(本当は陰性なのに検査で陽性と出る)であろうと説明しました。
【事例2】40代男性 「12月に風邪症状があった。コロナに感染しているはず」
感染したのが12月と言っているわけですから、過去のコラム「新型コロナ 『二度とかからない』との思い込み」で紹介したthinkihadititis(感染済みだと思い込む病)に“罹患(りかん)”していると思われます。この男性はどこかに結果を提出しなければならないわけではなく、私は「検査すべきでない」と主張したのですが、「どうしても」という強い希望を断ることができず結局検査を実施し、これが失敗でした。「陽性」と出たのです。この結果が正しく、しかも感染したのが12月だったとすれば、男性はthinkihadititsではなく新型コロナウイルスの日本人感染者第1号となり「歴史が変わる」ことになります。私は抗体検査の限界を再度説明し、精度の高い検査(先述したような精密検査)が実用化されれば受け直してはどうかと助言しました。
新方式の抗体検査が登場
では、抗体の有無が気になる人は東京大学アイソトープ総合センターが研究に用いているような「精密検査」の登場を待たねばならないのでしょうか。実はつい最近、従来の抗体検査とは異なる種類の検査方法が実用化されました。
これまでの抗体検査、つまりSGB社が使用した2種の検査や、先述の谷口医院での検査は、説明したようにIC法です。これは複数種類ある抗体検査の方法のなかで最も精度が低いものです。
新しく実用化された検査は、スイスのロシュ・ダイアグノスティックス社が開発したもので、ECLIA法と呼ばれる方式です。検査結果が出るまでに数日かかりますが、メーカーのサイトによれば、PCRで陽性確認後14日以降の患者では感度が100%、特異度は99.81%です。これは感染している(いた)人100人集めてこの検査をすると全員が「陽性」となり、感染していない人100人を集めて検査をすると99.81人が「陰性」となるという意味です。ただし、調査の母数が多いとはいえず、この数字が絶対に正しいわけではありません。また、やはり完璧な検査ではなく、東京大学アイソトープ総合センターの検査のように抗体価を数字で表すことはできません。
しかし、IC法よりははるかに期待できる検査だと考えられています。この検査の登場で新型コロナの抗体検査が新たな局面を迎えることになりそうです。
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太融寺町谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。