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進む機能低下 迫る透析<連載7回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
2018年3月8日の食事。朝は食欲がなく、薬を飲むためにヨーグルト飲料を流し込むだけ。昼は業務スーパーで買った冷凍白身魚をフライにしたものと、にんじんのマスタードあえ(にんじんラペ)を入れた自作の弁当を作って持って行くのが定番だった=倉岡一樹撮影
2018年3月8日の食事。朝は食欲がなく、薬を飲むためにヨーグルト飲料を流し込むだけ。昼は業務スーパーで買った冷凍白身魚をフライにしたものと、にんじんのマスタードあえ(にんじんラペ)を入れた自作の弁当を作って持って行くのが定番だった=倉岡一樹撮影

<連載6回目までのあらすじ>2017年3月、単身赴任先の名古屋で慢性腎臓病が発覚した。5月に日本医大武蔵小杉病院(川崎市中原区)を退院した後は、人工透析を遅らせるため、休職して川崎の自宅から通院しながら薬物治療と食事療法に取り組んだ。だが、腎臓はぎりぎりの状態で、体調も悪化の一途。加えて糖尿病性網膜症も進み、失明の危険もあった。追い込まれた私は10月中旬、上司に「記者でなくても構わない」と東京での復職を志願し、認めてもらう。

     ◇

 電車のドアが開き、将棋倒しのように客を吐き出す。2017年11月1日午前8時、東急田園都市線・溝の口駅。人波に背中を押されて急行に乗り込んだ。

 向かうのは、1年半前まで働いていた東京本社。希望がかない、東京での仕事復帰は決まったが、現実は厳しかった。会社にたどり着くまでも、たどり着いてからも――。

 以前は日常だった満員電車が、恐怖に変わった。棒のような体は右に左に押され、立っているのがやっと。つり革にたどり着いて、覚悟を決めた。

 「会社までの1時間、なんとか耐えよう」

 ……だが、10分と持たなかった。頭がぐらんぐらんと揺れ、息苦しい。たまらず次の停車駅・二子玉川で降りた。トイレに駆け込み、吐いても吐いても目まいは続く。貧血や体力の低下など、慢性腎臓病の進行と長期休養の影響が一気に襲っ…

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東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。