母からもらった腎臓~生体間移植を体験して~

思いがけない宣告<連載8回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
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日本医大武蔵小杉病院へと続く道。真っすぐ歩くと左手に見えてくる。病院へ向かうときは「人工透析導入を宣告されるのではないか」という恐怖におびえていた=倉岡一樹撮影
日本医大武蔵小杉病院へと続く道。真っすぐ歩くと左手に見えてくる。病院へ向かうときは「人工透析導入を宣告されるのではないか」という恐怖におびえていた=倉岡一樹撮影

<連載7回目までのあらすじ>2017年3月、単身赴任先の名古屋で慢性腎臓病が発覚し、日本医大武蔵小杉病院(川崎市中原区)への通院を続けるため、上司に東京での復職を願い出た。11月に、8カ月の休職から古巣の運動部に内勤として復帰し、人工透析の導入を遅らせるための治療をしながら仕事を続けた。しかし腎機能の悪化に歯止めがかからず、2カ月後には主治医から透析導入がそう遠くないことを示唆される。記者生活の終わりを悟った春、職場も主治医もかわった。

 さわやかに風が吹き抜ける川崎市の武蔵小杉の街。上着を脱いだ人々が行き交かい、カフェのオープンテラスはカップルや若者らの談笑でさざめいていた。2018年4月6日、春らんまんの朝。私だけ異邦人のようによろめきながら日本医大武蔵小杉病院に向かっていた。新しい主治医と会うために。

    ◇

 内科の受付に予約表を出すと、腎臓内科の担当医に「大塚医師」とあった。前月、主治医の鈴木安奈医師から異動で担当医が代わることを告げられたが、そういえば後任がだれなのかを聞き忘れていた。

 「倉岡さーん」

 名前を呼んだのは、男性の声だった。少し緊張して診察室に入ると、「初めまして」とこちらを向いたのは、眼鏡をかけた童顔の細身、大塚裕介医師だった。

 「引き継ぎを受けましたが、厳格に管理されているようですね。腎機能の数値は横ばいです」。少し早口の説明をぼんやり聞いていたら、次の言葉に目が覚めた。

 「腎代替療法の導入には、まだ余裕がありそうです」

 えっ、まだ余裕がある?

 人工透析は目前と思い込んでいたから、思わず前のめりになった。「どのくらい持つんですか?」。大塚医師は首をかし…

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倉岡 一樹

東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。