夕暮れの北東氷河から光の当たるダウラギリの頂上付近を見上げる=2019年10月11日、藤原章生撮影
夕暮れの北東氷河から光の当たるダウラギリの頂上付近を見上げる=2019年10月11日、藤原章生撮影

 なぜ山に登るのか。山に登る意味とは何か。単純なようでいて、この問いは実に難しい。「ただ気持ちいいだけじゃないの」とさらっと言われると、「ま、ま、そりゃそうだけど」となるのだが、時間がたつと同じ問いが湧いてくる。

 高所登山を研究し尽くした登山家で医師の原真さん(1936~2009年)が、以前こんなことを書いていた。

 <山へ登る動機はいろんな心情の複合である。自然愛、好奇心、挑戦など様々な心理が動因となって人は山へ登る。開拓精神などは、以前から、ヒマラヤ登山に関して大いに議論されてきた主題である。学生時代に本格的登山に熱中し始めた私は、少年時代から山野跋渉(ばっしょう)を好んできた習性に、何らかの説明を加えようと試みた。「何故山へ登るのか」を考える議論に朝まで熱中したものである>。(原さんの個人月刊誌「en avant:アナヴァン」05年6月号の「登山法点検5 山登り 本性さらす 高みかな」より)

 25歳年上の原さんとは、北アルプスでの遭難についてのインタビューをきっかけに何度かお目にかかったが、山に登る動機は聞かずじまいだった。

 引用元が見つからないが、原さんはこんなことを書かれていたこともある。

 「自分の生きる基本は登山だ。もちろん外科医としての仕事も大事だが、折々の登山が自分の人生を豊かにしてくれた。それほど好きなのかどうかは自分でもわからないが、仕事を捨てられても、登山を捨てることはできない。登るたびに考えるのは、なぜ山に登るかだが、答えはやすやすと出ない」

 「登山のルネサンス」(82年)をはじめ原さんの著書を再読していたら、「乾いた山」(77年)という本にこんな記述があった。「コリン・ウィルソンの登山観――小説『黒い部屋』をめぐって」というエッセーだ。

 <極限状況におかれた人間の生死を哲学的に考察>する英国の作家、コリン・ウィルソン(1931~2013年)の小説を自分に引きつけ、原さんは持論を展開する。

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藤原 章生

統合デジタル取材センター夕刊報道グループ

1989年、鉱山技師から毎日新聞記者に転職。長野、南アフリカ、メキシコ、ローマ、郡山市に駐在し現在は東京で夕刊特集ワイド面に執筆。2005年、アフリカを舞台にした本「絵はがきにされた少年」で開高健ノンフィクション賞受賞。主著に「ガルシア=マルケスに葬られた女」「資本主義の『終わりのはじまり』」「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」など。過去の記事はこちら→ https://mainichi.jp/search?q=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%AB%A0%E7%94%9F&s=date