ダウラギリのキャラバン途上の大きな谷=2019年9月24日、藤原章生撮影
ダウラギリのキャラバン途上の大きな谷=2019年9月24日、藤原章生撮影

 登山家に「なぜ山に?」と問うことはない。なんだか気恥ずかしいからだ。言わずもがなという気もするし。でも、一度、イタリア登山界の先駆者リカルド・カシンさん(1909~2009年)にお目にかかったとき聞いてみたことがあった。亡くなる1年余り前の2008年5月、99歳の年だった。

 カシンさんは北イタリアの小さな町レッコで鍛冶屋をしていた10代のころ、近郊のドロミテ山塊で岩登りを始めた。背は低いががっしりした体形でバランスが抜群に良く、28歳の年のグランド・ジョラス北壁ウォーカー稜(りょう)をはじめ、アルプスに100以上のルートを切り開いた。第二次世界大戦中はナチスに抵抗するレジスタンスとしてアルプスにこもったこともあった。カラビナやハーケンなどを考案し製造販売する登山道具会社「カシン」で生計を立てながら、40代でカラコルムのK2やガッシャーブルム4峰へ遠征した。

 90代前半まで孫娘とドロミテの岩壁を登っていたというカシンさんはかくしゃくとしていて、70年代に来日した際に登山家の加藤保男さん(82年、エベレスト登頂後死亡)らと交流したときの写真を見せてくれた。

 「日本にはいい登山家がいたねえ」と笑顔を見せたので、私は少し恥ずかしい気持ちでこう聞いてみた。

 「カシンさん、なぜ山に登るんですか」

 「ペルケ(なぜ)?」

 そう問い返したカシンさんは私の目をじっと見ると、両手で岩を登るポーズをしてみせながらこう言った。

 「何も考えず高みを目指す。それだけだよ。神に近づくとかそんな大それたことじゃない。岩をよじ登り高みに行く。それが気持ちいいんだ」

 100歳の登山家が真面目に答えた言葉だった。

 今年2月、奥多摩の自…

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藤原 章生

統合デジタル取材センター夕刊報道グループ

1989年、鉱山技師から毎日新聞記者に転職。長野、南アフリカ、メキシコ、ローマ、郡山市に駐在し現在は東京で夕刊特集ワイド面に執筆。2005年、アフリカを舞台にした本「絵はがきにされた少年」で開高健ノンフィクション賞受賞。主著に「ガルシア=マルケスに葬られた女」「資本主義の『終わりのはじまり』」「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」など。過去の記事はこちら→ https://mainichi.jp/search?q=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%AB%A0%E7%94%9F&s=date