今年6月に日本医師会(日医)の会長に就任した中川俊男氏(69)が、毎日新聞などのインタビューに応じた。8年ぶりに交代した日医のトップは、かつて日医に役員の定年制などの導入を求めた「改革派」の急先鋒(せんぽう)で知られる。中川氏は今後、何を目指すのか。【くらし医療部・原田啓之】
「会長定年制」をつきつけた若手時代
Q:若手時代に日医の改革に取り組みました。
A:36歳で開業してすぐ、札幌市医師会に入会しました。決して医師会を評価して入会したわけではなく、「自分が入って改革してやろう」と。医師会(の役員)は選挙で選ばれることになっているのに根回しで全部決まるじゃないですか。私の目には不透明だと映ったんです。しっかり議論をぶつけあって、わかりやすい医師会になるべきだということで参加したんです。非常に生意気な、今考えると、自分が逆の立場なら怒りそうな、非常に突っ張った若手の会員でした。
ところが、医師会に入ってみると、先輩方がまじめで、自分のことだけでなく、地域と連携しながら非常にすばらしい活動をしていると気がつきました。
どうしても一般会員だと発言権がないんですよ、発言する場も。それで、札幌市医師会の役員選挙があり(立候補し)ました。結果は1票差の次点で落選。1票差で落ちた心意気は非常に目立ち、一本釣りで北海道医師会の理事にしてくれました。今はみんな、「落選しておいてよかった。札幌市医師会に間違って当選していたら、それで終わっていた」と言います。
その後、1996年から4期8年務めた日医の坪井栄孝会長(当時)が「未来医師会ビジョン委員会」という「型にはまった人ではない、50歳未満の委員会を作りたい」ということで、私が入りました。
私は2期目の委員長として、「日医役員70歳定年制」を柱とする医師会の構造改革を答申(2002年)しました。「70歳定年制にしないと、私みたいなのが70過ぎてもずっとやめないぞ」「後輩に迷惑をかけるんだよ」と説得しました。
その後、日医の代議員会代表質問で70歳定年制を提案しました。その時、坪井会長は70歳で、大変なことになりました。代議員会の一部分から大喝采を受けまして、こういう突っ張ったことを言うと目立つんだなと、味をしめたというかですね、そんな感じで今に至ります。その流れで、常任理事、副会長になりました。
Q:今年で69歳になりました。
A:誕生日に会長選挙があり、「69歳で会長になっ…
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