
<9回目までのあらすじ>2017年3月に慢性腎臓病が発覚し、人工透析の導入を遅らせる治療に取り組んでいた。しかし、日本医大武蔵小杉病院(川崎市中原区)の主治医から生体腎移植を勧められ、事態が一変する。18年11月22日、紹介を受けた聖マリアンナ医大病院(川崎市宮前区)の腎移植外来を初受診し、血液透析をしながら献腎移植を待つ意思を伝えた。だが、医師は、私の体に献腎移植を待つだけの余裕がないと言う。そのうえで勧められたのは、67歳の母をドナーとした生体腎移植だった。横須賀の実家の母から「あげるわよ、腎臓。なんでもっと早く言わないの」と言われ、母と腎移植外来を受診することになった。
◇
その人は笑顔で手を振りながら、妻と私が待つ車に駆け寄ってきた。まるで買い物か食事にでも行くような足取りだ。私の母、67歳。苦笑しながらも、その明るさに救われた。2018年12月6日、雨の川崎市・武蔵小杉駅北口ロータリー。これから向かう聖マリアンナ医大病院の腎移植外来では、母がドナーになれるかどうか、医師の診断が待っていた。
バタン! 車の後部座席のドアを閉めると、母は傘も閉じきらないうちに話し始めた。
「横須賀からは遠いわ。乗り継いで1時間半もかかったわよ。でも、家にいるよりいいわね。運動になるから」
いつも気の向くまま、思ったことそのまま話し続ける母。口べたの私はただ聞いているしかないが、初めてそれをありがたいと思った。そして話が突然変わるのも、いつものことだ。
「でも、病院は苦手ね。痛いから」
そうだった。母は痛いのがダメで、注射も怖がる。なのに生体腎移植のドナーを志願してくれた。そう思い至ると、申し訳なさにまた心は沈んだ。
「痛いのは嫌」
病院に着いても、母は声も落とさず話し続ける。「病院は暗いわね。いるだけで病気になっちゃう」。私はあわてて「ほかの患者さんもいるから」と注意するが、どこ吹く風だ。診察も、この調子だった。
「一樹さんのドナーになって…
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