母からもらった腎臓~生体間移植を体験して~

“天然”の母 医師を圧倒…<連載10回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
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2019年1月21~27日の私の手帳。食事ノートとは別に、1週間に起きたことや考えたことを手帳に記している。この週は極度の体調不良から出社できず、手帳にも「かろうじて生きているだけ」とある
2019年1月21~27日の私の手帳。食事ノートとは別に、1週間に起きたことや考えたことを手帳に記している。この週は極度の体調不良から出社できず、手帳にも「かろうじて生きているだけ」とある

<9回目までのあらすじ>2017年3月に慢性腎臓病が発覚し、人工透析の導入を遅らせる治療に取り組んでいた。しかし、日本医大武蔵小杉病院(川崎市中原区)の主治医から生体腎移植を勧められ、事態が一変する。18年11月22日、紹介を受けた聖マリアンナ医大病院(川崎市宮前区)の腎移植外来を初受診し、血液透析をしながら献腎移植を待つ意思を伝えた。だが、医師は、私の体に献腎移植を待つだけの余裕がないと言う。そのうえで勧められたのは、67歳の母をドナーとした生体腎移植だった。横須賀の実家の母から「あげるわよ、腎臓。なんでもっと早く言わないの」と言われ、母と腎移植外来を受診することになった。

           ◇

 その人は笑顔で手を振りながら、妻と私が待つ車に駆け寄ってきた。まるで買い物か食事にでも行くような足取りだ。私の母、67歳。苦笑しながらも、その明るさに救われた。2018年12月6日、雨の川崎市・武蔵小杉駅北口ロータリー。これから向かう聖マリアンナ医大病院の腎移植外来では、母がドナーになれるかどうか、医師の診断が待っていた。

 バタン! 車の後部座席のドアを閉めると、母は傘も閉じきらないうちに話し始めた。

 「横須賀からは遠いわ。乗り継いで1時間半もかかったわよ。でも、家にいるよりいいわね。運動になるから」

 いつも気の向くまま、思ったことそのまま話し続ける母。口べたの私はただ聞いているしかないが、初めてそれをありがたいと思った。そして話が突然変わるのも、いつものことだ。

 「でも、病院は苦手ね。痛いから」

 そうだった。母は痛いのがダメで、注射も怖がる。なのに生体腎移植のドナーを志願してくれた。そう思い至ると、申し訳なさにまた心は沈んだ。

 病院に着いても、母は声も落とさず話し続ける。「病院は暗いわね。いるだけで病気になっちゃう」。私はあわてて「ほかの患者さんもいるから」と注意するが、どこ吹く風だ。診察も、この調子だった。

 「一樹さんのドナーになっていただけるとうかが…

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倉岡 一樹

東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。