母からもらった腎臓~生体間移植を体験して~

滞る移植 家族の愛<連載12回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
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神奈川県横須賀市、観音崎付近から眺めた東京湾。2019年4月に取材で訪れ、ダウンして座り込んだベンチから撮ったものだ。母もこの海を眺めながら歩いてくれているのかと感慨深かった=倉岡一樹撮影
神奈川県横須賀市、観音崎付近から眺めた東京湾。2019年4月に取材で訪れ、ダウンして座り込んだベンチから撮ったものだ。母もこの海を眺めながら歩いてくれているのかと感慨深かった=倉岡一樹撮影

<前回までのあらすじ>2018年11月、紹介を受けた聖マリアンナ医大病院(川崎市宮前区)の腎移植外来を初めて受診した。献腎移植を強く望んだが、私の体に猶予がなく、担当医師は67歳の母をドナーとする生体腎移植を勧めた。実家を訪ねた私に「あげるわよ。腎臓」と承諾した母とともに12月6日、腎移植外来を再度受診する。担当医師からドナーになる意思を確認された母が「早く進めてください」と答え、生体腎移植に向けて動き始めた。一方、腎機能は10%に低下し、ギリギリの状態になった。腎臓を管理してもらっている日本医大武蔵小杉病院(川崎市中原区)の主治医から「障害者手帳3級の基準に達した」と告げられ、移植手術を見据えた手帳の取得を促された。

     ◇

 「起きなさい! もう着くわよ」。後部座席の母の声で目を覚ますと、「聖マリアンナ医科大学病院」の看板がぼんやり視界に入った。2019年3月14日、5回目の移植前診断。体調不良と吐き気で前夜は一睡もできなかった。意識はもうろうとし、肩で息をしながら病院の玄関をくぐった。

 私の体は徐々に「タイムアウト」に近づいていた。

 「苦しいね。もうすぐだからね」。待合の長椅子に横たわり、妻と母の言葉にうなずく。私に残された腎機能(eGFR)は10%。末期腎不全(eGFR15%以下)による尿毒症や貧血、ミネラルバランスの異常などの影響で起きてさえいられなかった。

 母と初めて腎移植外来を受診した前年12月6日から3カ月。私がそこで受けたのは大腸と胃の内視鏡検査だけだった。母も、ほぼ同じようなもの。レシピエント(移植者)とドナー共に、体の隅々まで調べ上げるはずの移植前検査にしては少なかった。

 理由が明らかになる。

 診察室の寺下真帆医師は、いつものように穏やかだった。「お二人とも大腸の内視鏡検査と胃カメラは問題ありません。よかったです」。そう言いながら、「ただ‥‥」と続いた。

 「お母さん、何度検査しても尿からたんぱくが出るんです。血圧も高いし、体重も重いかな。今のままだと、移植は厳しいかもしれません」

 実は、12月末にあった3回…

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倉岡 一樹

東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。