実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

新型コロナ 「ファクターX」の正体は

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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 新型コロナウイルスのいわゆる「第2波」が鳴りを潜め、「やはり新型コロナって本当はたいしたことないのでは?」「他国では脅威でも日本人は恐れる必要がない」「日本人はすでに集団免疫を獲得している」といった楽観論がますます注目されるようになってきました。日々街を行き交う人たちを観察していても、マスクをしていない人の比率が次第に増えています。一方、海外ではそういうわけではなく、例えばインドでは感染者の増加が止まりませんし、フランスやドイツでは、公共交通機関内や店内などでマスクが義務化され、違反者には罰金も科せられるようです。世界の感染者数は3000万人を超え、死者は100万人に迫る勢いです。「海外の多くの国では依然厳重注意、日本では感染が下火になりマスクをしない人が増えている」となると、「日本人は特殊なのでは?」と思いたくなる気持ちも理解できます。

山中教授が生んだ言葉

 新型コロナの勢いが止まらなくなってきた3月ごろから、日本人に感染者が少ないのはなぜかという議論があり、その後、「ファクターX」という言葉が注目を浴びるようになりました。これは「新型コロナ対策が欧米より緩やかな日本で、感染者や死亡者が少ない何らかの理由」を意味する言葉で、生みの親はノーベル賞を受賞された山中伸弥・京都大教授です(ちなみに、私は大阪市立大学医学部在学中に山中先生から薬理学を授業で教わっていました)。

 では、ファクターXの正体は何なのか。3月の時点で最も有力視されていたのがBCGです。現在も一部の医師の間には「BCGがファクターXであり、そのおかげで日本人はコロナに強い」という意見があります。しかし、私自身はこの考え方に賛成しません。今回は、その理由についてまず述べ、次いで「ではファクターXは存在するのか」について私見を紹介したいと思います。

BCGのおかげ?

 周知の通りBCGは結核のワクチンで、新生児期に接種するものです。感染を防ぐというよりは乳幼児の重症化を防ぐことを目的としています。日本で結核に感染する成人がいることからもBCGを接種したからといって完全に防げるものではないことが分かります。BCGを成人に接種して何らかの効果が得られるかどうかは意見が分かれますが、ほとんどの医師は成人してからの接種を推奨していません(ファクターXをBCGと考える医師も成人への接種を勧めているわけではありません)。

 BCGワクチンを接種しても新型コロナウイルスに対する抗体ができるわけではもちろんありません。推奨する人たちはBCGワクチンで「自然免疫」の力が増強する可能性に期待しているのです。「自然免疫」については過去のコラム「新型コロナ 第2波で重症や死亡が少ないわけ」で説明しました。抗体による免疫ではなく、その前の段階の、どの病原体にも期待できる免疫で、免疫のパワーとしては抗体よりも弱いものです。

広く接種しても感染が広がる国も

 「日本人はBCGを接種しているから自然免疫の力が強く、これが新型コロナに負けない要因、つまりファクターXだ」というこの考えには決定的な証拠がありません。それどころか、5月にはイスラエルから「イスラエルでは、BCGは新型コロナの予防に役立っていない」と指摘した論文が出ました。しかし、「イスラエルで使用されているBCGのタイプは日本で使用されているものと異なる」という理由などから、依然「BCGは有効」という考えを持つ推奨派の人たちもいます。例えば、日本から出た査読前の論文「新型コロナの死亡者数が倍になるまでの期間と国ごとのBCGワクチン接種政策との関係(Relationship between COVID-19 death toll doubling time and national BCG vaccination policy)」は、日本と同じタイプのBCGを定期接種にしている国では死亡者が増えにくいというデータを示し、統計学的にBCGワクチンが関与していると結論づけています。この論文は“出た時点では”ある程度の説得力がありました。

 ですが現在はどうでしょうか。この論文が発表された4月の時点では、日本型のBCGを接種している国、すなわち、日本、イラク、マレーシア、韓国、サウジアラビア、パキスタン、バングラデシュでの死亡者は相対的に確かに多くありませんでした。5月19日の時点でもまだ、これらの国の人口100万人あたりの死亡者数は10人未満でした。

 ですが、それから約4カ月後の9月17日の時点で、イラク、サウジアラビアでは人口100万人あたりの死亡者は100人を超えていますし、感染者総数ではイラン、サウジアラビア、パキスタン、バングラデシュでは30万人を超え、フィリピンも30万人に迫る勢いです。ただし、日本以外でも韓国とマレーシアは相対的に感染を抑えているといえそうです。しかし、日本型のBCGを接種している国でコロナ対策が成功していると言えないのはもはや明らかでしょう。

「感染しにくい」理由と「重症化しにくい」理由

 ではファクターXは存在しないのでしょうか。ここで「日本人が感染しにくい理由」(便宜上、ファクターX1とします)と「日本人が重症化しにくい理由」(ファクターX2とします)に分けて考えてみましょう。

 ファクターX1として考えられるのは次のようなものです。

 X1-1:日本人は元々マスクをする習慣がある

 X1-2:日本人は元々手洗い・うがいをする習慣がある

 X1-3:日本人は西洋人のようにあいさつ時に握手やハグ、キスをしない

 X1-4:日本人は西洋人に比べると入浴やシャワーの回数が多い

 X1-5:日本人はアジアや南米の貧困地域に比べると居住スペースが広い

 X1-6:日本ではロックダウンが行われなかったが、「同調圧力」で自主的に自粛した

 X1-7:日本では検査数が少なく、感染者数が過小評価されている

 X1-8:日本では感染者への差別があることから検査を拒否する人が多い

 (X1-9:日本人は“民度”が高い<参考:「新型コロナ 低い陽性率『二つの点で要注意』」>)

 
 

 ファクターX2として考えられるのは以下です。

 X2-1:日本では医療費が安く(新型コロナは無料)、誰もが手厚いケアを受けられる

 X2-2:日本人は肥満が少ない

 X2-3:日本人は血栓ができにくい(例えば低用量ピル服用者が少ない)

驚くような要因はない

 私見を述べれば、ファクターX1のなかではX1-9以外はすべて「正解」で、このなかで最も大きいのがX1-3とX1-5だと考えています。つまり、西洋人ほどあいさつ時に他人との距離が近くならず、またアジアや南米の貧困街のように大勢が狭い部屋で生活することがあまりなく、そのため“社会的距離”(ソーシャルディスタンス)が確保できているのではないでしょうか。

 ファクターX2のなかではX2-1とX2-2が重要です。X2-1は、日本は世界的にトップレベルといえます。日本では医療機関へのアクセスが良く、重症化する前にほとんど誰もが入院できるのです。ちなみに、米国の知人医師に聞いた話では、米国では少々の傷なら自分で縫合する人も少なくないそうです。いわゆる「第1波」のときは入院どころか検査までに時間がかかりすぎて手遅れになったケースがありましたが、「第2波」では速やかに検査→入院と進みました。その結果、適切なタイミングで高度な医療が受けられたのです。

 
 

 X2-2はかなり大きいと思います。世界のすべての国で肥満率と新型コロナの関係が立証できるわけではありませんが、肥満者がコロナのハイリスク因子であることは間違いありません。日本では元々ハイリスクの人が少なく、そのようなハイリスクの人たちも希望さえすれば(第2波以降では)誰もが迅速に検査を受けられてすぐに入院できて高価な治療が受けられるわけですから、改めて考えてみると重症率・死亡率が低いのは当然といえば当然です。

 まとめです。「ファクターXは存在する。ただし(例えばBCGのような)あっと驚く目を見張るような意外な要因ではなく、誰もが思いつく日本の文化や医療制度にすぎない」。これが私の結論です。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。