母からもらった腎臓~生体間移植を体験して~

あっけなく出た復職許可<連載最終回>

倉岡 一樹・東京地方部記者
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硝子体手術の後、経過観察のため3日間入院した。病室は、名古屋の病院から転院してきた3年前と同じ。看護師さんから「倉岡さん、前にいらっしゃいましたよね」と声をかけられ、思わず苦笑いした=2020年7月3日
硝子体手術の後、経過観察のため3日間入院した。病室は、名古屋の病院から転院してきた3年前と同じ。看護師さんから「倉岡さん、前にいらっしゃいましたよね」と声をかけられ、思わず苦笑いした=2020年7月3日

<20回目までのあらすじ>母との生体腎移植手術を受けた聖マリアンナ医大病院(川崎市宮前区)を2019年8月29日に退院した。入院中に手続きをした障害者手帳の3級から1級への等級変更も認められた。川崎市の「重度障害者医療費助成制度」の適応対象となり、医療費が実質無料となったため、経済的な不安が解消された。10月3日からは1泊2日で移植2カ月後の「腎生検」(腎臓の組織を採取し、状態を見る検査)と免疫抑制剤の血中濃度検査を受けた。担当の丸井医師は「検査の結果問題がなければ11月にも復帰していいですよ」。体調が回復する一方、NHK社会部記者の弟・洋平がニュースで解説する姿に焦るなど、膨らむ仕事への思いを必死に抑えつけることに苦心していた。

           *

 車窓から多摩川の河原でランニングする人々が見える。「いつか走れる日が来るかな」。私は東急田園都市線に揺られていた。ラッシュ時は避けたが、相変わらずの混みようで座れない。それでも体調も気分もよく、車窓を眺める余裕があった。

 「通勤が苦痛じゃないって、いつ以来だろう」

 曇天だったが、私の心は晴れわたっていた。2019年10月17日。職場復帰の準備のため、2カ月半ぶりに東京・竹橋の職場へ向かっていた。

 「お前、本当に元気になったな」

 「別人みたいだな」--。

 お世話になった先輩や同僚にあいさつに回ると笑顔で迎えられ、社会復帰できる実感がわいた。

 さあ、どこへ行って何を取材しよう――。

 私はせいていた。聖マリアンナ医大病院腎泌尿器外科の丸井祐二医師に「腎生検の結果に問題がなければ、11月に復帰していいですよ」と告げられ、「それは(11月)1日からだろう」と、復職の手続きに来たのだった。

 上司や産業医には「当分は制限勤務。まずは内勤のデスクワークから」と諭されたが、内心「すぐにでも昼夜を問わず取材に飛び回れそうだ」と夢想していた。

 しかし、というか、やはりというか、現実は厳しかった。

 帰りの電車で足が棒になり、帰宅後にへたり込んだ。そのまま体調を崩し、38度台の熱が続く。10月26日には聖マリアンナ医大病院に駆け込み、「炎症反応が見られる」と抗生剤を処方された。

 「体が『働くな』とサインを発しているのかな?」

 現実と向き合い、心身共にすぐれないまま迎えた10月29日。およそ1カ月前に受けた腎生検の結果を知るために聖マリアンナ医大病院に向かった。

 察してはいたが、検査結果に打ちのめされた。

 腎機能(eGFR)は30%と手術直後の半分以下になり、正常値は1以下とされるクレアチニン値は2…

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倉岡 一樹

東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。