Dr.中川のがんのひみつ

がん治療「3本柱」の歴史をひもとく

中川 恵一・東大大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授
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 がん治療の3本柱「放射線治療、薬物療法(抗がん剤など)、外科手術」の歴史を振り返ってみます。

 レントゲン博士が1895年にX線を発見すると、早くもその翌年、胃がんに対して「X線」を照射する「放射線治療」が行われました。ただ当時は、がん以外の治療にも、この「未知の光線」(ファクターXを思い起こさせますね)が有効だと信じられていて、結核や水虫、さらに発明王エジソンは白内障の治療にまで使ったそうです(ちなみに白内障に放射線は逆効果)。

 キュリー夫妻が1898年にラジウムとポロニウム(マリー・キュリーの祖国、ポーランドにちなむ)を発見すると、ラジウムは放射線治療の主役となりました。

「抗がん剤」は戦争の副産物

 一方、「抗がん剤」は、実は戦争の副産物で、ドイツで開発された毒ガス「マスタードガス」が起源です。この毒ガスは、実際に、第一次世界大戦の戦場で、カナダ軍に使用されました。さらに、第二次世界大戦終盤の1943年には、大量のマスタードガスを積んだ米国のタンカーが、ドイツ軍に爆撃されました。

 ところが、この時、救助された兵士には、白血球が減るなど、放射線治療の副作用とよく似た症状が見られたのです。米国軍は、放射線と同様、この毒ガスにがん治療の効果があるのではと考えました。そこで当時、マスタードガスの改良版で「ナイトロジェンマスタード」という物質を開発していた米国軍は、これを悪性リンパ腫(リンパ球のがん)の患者に投与したところ、…

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中川 恵一

東大大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授

1985年東京大医学部卒。スイス Paul Sherrer Instituteへ客員研究員として留学後、同大医学部付属病院放射線科助手などを経て、2021年4月から同大大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。同病院放射線治療部門長も兼任している。がん対策推進協議会の委員や、厚生労働省の委託事業「がん対策推進企業アクション」議長、がん教育検討委員会の委員などを務めた。著書に「ドクター中川の〝がんを知る〟」(毎日新聞出版)、「がん専門医が、がんになって分かった大切なこと」(海竜社)、「知っておきたい『がん講座』 リスクを減らす行動学」(日本経済新聞出版社)などがある。