マスクの着用や人との接触を減らすなど、今までとは違う日常はいつまで続くのか--。新型コロナウイルスが世界へ広がって1年以上になるが、国内でのワクチン接種の見通しは立たず、不透明な先行きへ気持ちは沈みがちだ。がんとどのように向き合うべきか患者たちと語り合う「がん哲学外来」を開いてきた樋野興夫・順天堂大名誉教授に、コロナ社会に生きるコツを聞いた。【オピニオングループ・永山悦子】
--樋野先生は2008年から、がん患者や家族らの悩みや相談に耳を傾ける「がん哲学外来」を全国各地で開いてきました。コロナによって移動や人と会うことが難しくなっていますが、今はどのように実施していますか。
◆ウェブ会議システムを使ったオンラインも取り入れるようになったけれど、オンラインには限界がありますね。元気な人や体調がいい人はいいが、個人的な悩みで相談に来ている人はなかなか話しにくい。本当に悩んでいる人はオンラインでは無理ですね。だから、「やはり対面で話したい」と会場に来る人もいますよ。
オンラインでは雰囲気が伝わらない
--オンラインだと、本音を話しにくいということですか。
◆私は(がんの細胞などを見て病態を分析する)病理学者だから、風貌を見て心を読むから。だいたいオンラインでやると、皆が立派に見える。悩みがあまり感じられないんですね。細かい表情とか雰囲気とかが伝わってこない。対面でも、最初は本心は出てこないものだから。沈黙しているときは、悩んでいるのかどうか、そう簡単には分からない。15分くらいしてからやっと本心が出てくる。
--オンラインは、「実は……」という話の流れにならない。
◆そう。オンラインでは最後まで本心が出てこない。人の言うことを聞くだけになってね。本当の悩みを出せるようになるには、どういう場が必要か、という学びですね。
--コロナの流行後、うつで悩む人や自殺者が増えているのも、本音が出せなくなっていることが影響していると思いますか。
◆家にずっといると、家族であっても本心が言えないという人もいますからね。だれかがそっと寄り添うことが大切なんです。困っている人と一緒に困ってくれる人がいることが大事。つまり、「いぬのおまわりさん」が求められていますね。
--では、つらくなったとき、どのようにすれば「いぬのおまわりさん」に出会えるものでしょうか。
◆「ステイホーム」と言われるが、いろいろな形で「靴を履いて外に出る」ことを考えてみてほしいですね。
--コロナ時代は「ソーシャルディスタンス」を求められるなど、寄り添うことも簡単ではありません。
◆「過度の自粛」と「軽度の自粛」の問題ですね。
--どういう意味ですか。
◆過度な自粛は、過剰に心配してしまうことだから良くない。軽度の自粛も、感染を広げてしまう恐れがある。軽すぎず重すぎず、左にも右にも寄らず、その間にある狭き門をまっすぐ行く心構えが大事ですね。そして、人を評価してはならん、ということ。人を非難したり評価したりするんじゃなくて、自分が人のために役立つと思うところは進んでやれ、ということ。これはコロナだけの問題じゃないです。
しかし、今は「進んでやる」ことが難しくなっている。あまりやると「余計なおせっかい」と思われるから。そこで僕が言いたいのはね、「理由があっても腹を立てぬこそ非凡の人」ということです。
病気は「正論より配慮」
--「人を非難するな」ということに通じますね。
◆病気っていうのはね、だれがなるか分からない。だから、「正論より配慮」なんです。
--コロナもだれがかかるか分かりませんし、かかったことに責任があるわけではありません。コロナと付き合いだして1年以上になるのに、今も患者を非難する空気を感じます。
◆それはあるようですね。だから、「人生はプレゼント」と思うべきです。人生は自分の所有物ではなく、「人に与えるもの(プレゼント)」と考えれば、感染した人に対する姿勢も変わるでしょう。さらに、政府のコロナの会議もいろいろあって、専門家もいろいろいる。そういう人たちの言うことが日によって違ったり変わったりしていることが、批判されて問題だと言われていますね。政府の中に入ってしまうと、どうしても専門家自身の純度が下がる。70%くらいのレベルになってしまう。だから、そういうところに入らずに、外からど真ん中にインパクトを与える方策を考えなきゃならんと思う。
--今、どんな方策が必要ですか。
◆要は、風貌ですね。テレビにいろんな人たちが出ているけれど、その風貌が人々の心にインパクトを与えているか。人間の風貌は、見ている人の心を変えるもの。「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が大事なんです。
--それは科学者や専門家への信頼感がないということですか。未知の脅威について…
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