医療プレミア特集

ボランティアに生涯をささげた喜谷昌代さんに学ぶ

医療プレミア編集部
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喜谷昌代さん=大阪市北区の大阪市中央公会堂で2009年5月27日、宮間俊樹撮影
喜谷昌代さん=大阪市北区の大阪市中央公会堂で2009年5月27日、宮間俊樹撮影

 英国発の「子どもホスピス」を手本にした重い障がいがある子どものための医療型短期入所施設「もみじの家」(東京都)の開設に尽力し、2019年6月に83歳で亡くなった喜谷(きだに)昌代さんを思い出す。5年以上前のインタビューで、お会いした。昌代さんは国際ボランティアの草分けでもあり、そんな社会と向き合う生涯を記した「ひとすじの光 喜谷昌代の生涯」(文芸春秋)が出版された。昌代さんは、戦地での救護活動などの骨太の歩みからは想像がつかないほど、可愛らしいすてきな女性だった。【東京地方部・賀川智子】

 2016年12月、昌代さんとの出会いは毎日新聞の連載「母校を訪ねる~聖心女子学院編」(東京本社版)のロングインタビューだった。昌代さんは拠点としていた英国から一時帰国していて、ザ・プリンスさくらタワー東京のロビーで待ち合わせた。

 そこに現れたのは小柄できゃしゃな女性で、ふわふわしたグレーカラーの髪とつぶらな瞳が印象として残っている。1階カフェでのインタビューで、昌代さんは幼少期の思い出を驚くほど鮮明に語ってくれた。

 ――空襲で焼け落ちた自宅から、聖心の校舎が焼けるのが見えました

 ――疎開先の葉山の小学校でいじめられ、聖心のマザー吉川校長に勧められ寄宿生になりました

 ――そこで空襲で黒焦げになったお皿にサツマ芋をのせて食べました

 ――フィーストというカトリックのお祝い日にアイスクリームを食べるのが楽しみでした

美智子さまにボランティアをすすめられ

 昌代さんは1936年、東京都品川区に生まれた。父は実業家で衆院議員も務めた飯塚茂氏。カトリック系の私立校、聖心女子学院(東京)の幼稚園から高等科まで通い、2学年上だった上皇后美智子さまとも親交を深めた。

 その出会いはその後の昌代さんの人生の転機にもなったようだ。取材メモをひもとくと、私にも美智子さんとの思い出を語ってくれている。

 「美智子さまはとても運動が得意でした。中学1年の運動会の学年対抗リレーでは美智子さまも(私も)同じリレーの選手で張り切って速く走っていらした」

 昌代さんは慶応大で学んだ後、日本航空の客室乗務員になり、結婚を機に退職。64年の東京五輪の際、日本赤十字社のボランティア活動に参加するようになった。それをすすめたのが美智子さまだった。

戦場で兵士や民間人の救急介護に

 その後、夫の海外赴任先の7カ国で約40年にわたり赤十字のボランティア活動に従事した。ベトナムのサイゴンでは、戦場で傷ついた兵士や民間人の救急看護を、独ベルリンでは唯一の外国人、女性隊員としてポーランドで救援物資を配って回った。

 国際ボランティアだけではなく、その足跡を語るうえでもう一つ、欠かせないことがある。重い障がいがある子どもたちに生涯にわたり…

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