虐待そのあと -親から離れた私が必要としていたもの-

「子どもにも意見を表明する権利がある」 虐待経験者の中学教諭語る

医療プレミア編集部
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虐待を受け、保護された当時を振り返る中学校社会科教諭の川瀨信一さん=東京都墨田区で2021年2月14日、西夏生撮影
虐待を受け、保護された当時を振り返る中学校社会科教諭の川瀨信一さん=東京都墨田区で2021年2月14日、西夏生撮影

 子どもの虐待死事件が大きく報じられる一方で、私たちは「虐待を受け保護された子」のその後を、どこまで知っているだろうか。「児童養護施設へ行く」とイメージする人も多いだろうが、実はそれはごく一部だ。親元で暮らせない子どもを公的責任で育てることを「社会的養護」という。児童虐待の把握件数が年間19万件(2019年度)を超す今の日本で、その仕組みは十分に機能しているか。自宅から一時保護所、里親家庭、児童自立支援施設、児童養護施設へと生活の場を次々変えて育ち、今は自身が社会的養護に携わる千葉県の中学校教諭、川瀬信一さん(33)の体験から、まず考えてみたい。【くらし医療部・黒田阿紗子】

 川瀬さんの家は、物心ついた時から足の踏み場もない「ゴミ屋敷」だった。精神的に不安定な母親から、押し入れに追い込まれ、物干しざおのような棒でたたかれたこともあった。

 小学2年の時。友達の誕生日会に呼ばれ、帰宅が午後8時になった日のことだった。

 「こんな遅くまでどこに行ってたの!」。激高した母親が、珍しく作っていた夕食のシチューを、頭からバシャッとかけた。ベタベタになった髪や服を洗おうにも、ゴミだらけの風呂は使えず、水道水で軽く流すのがやっとだった。

 翌日そのまま登校。先生が宿直室のシャワーを貸してくれた。児童相談所(児相)に通告したのだろう。それ以来、母親は児相に通い、子育てについて指導を受けるようになった。小学4年の時、1カ月だけ一時保護所に入ったが、家に戻っても状況は変わらなかった。

 できるだけ家に寄りつかないように過ごした。給食を食べたら小学校を抜け出し、ゲームセンターで時間をつぶした。母親と弟が寝静まった午後10時ごろ、店に迎えに来る父親と一緒に帰宅した。父親もまた、妻のドメスティックバイオレンス(DV)に苦しめられていた。

 ゴミだらけの4畳2間のアパートに一人きりだった時、汚れた毛布にくるまって、何度も叫んだ。「何で普通の家じゃないんだよ!」

迷…

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