
「ゼロコロナ」という言葉が次第に社会に広がっています。立憲民主党は「ゼロコロナ戦略」を打ち出しました。現政権が掲げている「ウィズコロナ」ではなく、より良い社会のために政策を変えるべきだという野党としての主張なのでしょう。しかし、実際の立憲民主党の考え方は別にして「ゼロコロナ」というこの言葉には危険性が伴うと私は考えます。今回はそのことについて述べていきますが、まずは同党の政策について少し詳しくみてみましょう。
同党のウェブサイトに「『withコロナ』から『zeroコロナ』へ=政策の大転換」というタイトルの案内が掲載されています。「zeroコロナ」の定義は「感染拡大の繰り返しを防ぐことで早期に通常に近い生活・経済活動を取り戻す戦略」だそうです。説明文には「マスク不要の生活を取り戻すことも決して不可能なことではありません」と書かれています。
このような社会が取り戻せるならそれは理想ではあると思います。ですが「ゼロコロナ」、つまり「ゼロ+感染症」という表現に私は違和感を覚えます。それは「無らい県運動」を想起してしまうからです(「無らい」の「らい」はハンセン病のことで、「無らい県」とは、患者全員が収容所に入り、自宅などで暮らすハンセン病患者がいない県を意味します)。感染症をゼロにするというスローガンは、ときに感染者への差別を助長します。そして、実際に我が国はハンセン病において「恥ずべき歴史」を有しています。
ハンセン病は、とても他人にうつりにくい病気です。しかもよく効く薬が1940年代に開発され、患者は治るようになりました(厚労省のハンセン病についてのパンフレット)。にもかかわらず日本社会はその後も長年、官民挙げて感染者差別を繰り広げたのです。
実は私は「医療プレミア」の連載を引き受けた時から、いずれハンセン病を取り上げたいと考えていました。実際に原稿を書き始めたことも何度かあるのですが、いつも途中で断念しました。この病で苦しんだ人やこの病と社会的に闘ってきた人が体験されたことを、私のような若輩者にはうまく表現できないからです。先人の思いをなんとかして伝えたいと思えば思うほど書けなくなるのです。
2021年1月、ハンセン病関連のある講演会に、聴衆として参加しました。そこでは高齢のハンセン病の患者さんが登壇され、ハンセン病に罹患(りかん)し苦しんできた体験を話され、さらに現在の新型コロナについても意見を述べられました。そして「新型コロナの患者さんに対する現在の社会の対応がハンセン病のときとそっくりだ」と発言されました。私にはこの言葉が、講演の中で最も印象的でした。
このときに私は、以前文献で学んだ無らい県運動を思い出しました。その講演会に参加してからハンセン病のことが頭から離れず、最近ゼロコロナという言葉を繰り返し聞くようになり、無らい県運動の愚かさについて、そしてゼロコロナについて社会に訴えたいと思うようになったのです。
熊本県の「無らい県運動検証委員会」の報告書から、無らい県運動について簡潔にまとめてみたいと思います。
・無らい県運動とは、全てのハンセン病患者を摘発し、療養所に送り込んで強制隔離しようとする官民一体の運動だった。1930年ごろから始まった。
・太平洋戦争で政府にも民間にもこの運動をする余裕がなくなり、いったん収束したものの、1947年11月、厚生省が各都道府県宛てに「無らい方策実施に関する件」を通知し再び運動が始まった。
・1949年に厚生省公衆衛生局長の通達「昭和二五年度のらい予防事業について」で、「らい患者および『容疑者』の名簿の作成」が求められた。
・(感染者がいるという)通達を受けた各都道府県は、所轄保健所に対し、「民衆の噂(うわさ)にある疑らい患者を調べ上げ報告する」ように指示した。
・ハンセン病患者は療養所でしか治療を受けられないために、療養所への隔離を受け入れるしかなかった。

「噂」が出れば「容疑者」名簿に名前が載せられ「調べ上げ報告される」……。まるで官民合同で犯罪者を逮捕・検挙するかのようです。無らい県運動により、いくつもの「悲劇」が起こりました。熊本県では「患者の妹が自殺した」「息子がハンセン病の父を殺して自殺した」といったことがあったそうです。
一家心中事件も発生しました。1951年1月27日深夜、当時の山梨県北巨摩郡多麻村で、ハンセン病患者の家族が一家心中をしました。23歳の長男がハンセン病と診断され、村役場から家中を消毒すると通告され、両親と兄弟姉妹合わせて一家9人が青酸カリにより服毒自殺をしたのです。父親が社会にあてた遺書には「国家は社会はそうした悲しみに泣く家庭を守る道は無いでせうか」と書かれていたそうです。
悪名高い「らい予防法」がようやく廃止されたのは1996年です。そのらい予防法が違憲であるとして提起された「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で、2001年5月11日の熊本地裁判決は無らい県運動について次のように言及しています。
このような無らい県運動の徹底的な実施は、多くの国民に対し、ハンセン病が恐ろしい伝染病でありハンセン病患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在であるとの認識を強く根付かせた。(中略)患者の自宅等が予防着を着用した保健所職員により徹底的に消毒されるなどしたことが、ハンセン病が強烈な伝染力を持つ恐ろしい病気であるとの恐怖心をあおり、ハンセン病患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在でありことごとく隔離しなければならないという新たな偏見を多くの国民に植え付け、これがハンセン病患者及びその家族に対する差別を助長した。このような無らい県運動等のハンセン病政策によって生み出された差別・偏見は、それ以前にあったものとは明らかに性格を異にするもので、ここに、今日まで続くハンセン病患者に対する差別・偏見の原点があるといっても過言ではない。
私がこの判決文を読んで思い出したのは1年ほど前にある患者さんから聞いた話です。その患者さんの住む団地に、ある夜、宇宙服のような防護服をまとった救急隊員が、新型コロナの患者と思わしき男性を担架に乗せて運んでいき、その後同じような防護服を着た人たちが消毒に来たというのです。患者さんの話は少し大げさに聞こえましたが、当時は1人感染者が見つかるとこういった消毒処置が徹底されていましたから、あながち誇張ともいえないでしょう。

さて、上述した熊本地裁の判決文で、「無らい県運動」を「ゼロコロナ」に、「ハンセン病」を「新型コロナ」に置き換えて読んでみてください。
私は立憲民主党が掲げている具体的な政策を非難しているわけではありません。そして、同党は「ゼロコロナ」を「無らい県運動」のようにしたいと考えているわけではないことを、もちろん理解しています。同党のサイトに書かれている「zeroコロナ≠ウイルス0」には説明がなく、何が言いたいのか私にはよくわかりませんが、もしかするとこれが「感染者を差別しない」ということを言っているのかもしれません。
※編集部注 立憲民主党はウェブサイトで「『zeroコロナ』と言っても、ウイルス自体をゼロにするわけではなく、政府のこれまでの考え方を象徴する『withコロナ』と価値観を対比する意味合いもこめて『zeroコロナ』とした」と説明しています。
ですが「ゼロコロナ」という言葉をそのまま受け取れば、感染者ゼロを目指すと捉えられるのは明白でしょう。「噂」の出た人が「容疑者」となり「調べ上げ報告される」事態を想像してしまうのが私だけならいいのですが……。
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。