虐待そのあと -親から離れた私が必要としていたもの-

経験者が語る「帰る場所」がない孤独感

医療プレミア編集部
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生後4カ月から高校卒業までを乳児院や児童養護施設で過ごし、現在は施設退所者らの支援活動をする山本昌子さん=東京都杉並区で2021年2月12日、梅村直承撮影
生後4カ月から高校卒業までを乳児院や児童養護施設で過ごし、現在は施設退所者らの支援活動をする山本昌子さん=東京都杉並区で2021年2月12日、梅村直承撮影

 東京都内に住む山本昌子さん(28)。成人する児童養護施設や里親家庭などの出身者に振り袖姿の写真撮影を無償でプレゼントする「ACHA(アチャ)プロジェクト」の代表として、毎日新聞に何度か登場していただいた。彼女は親の育児放棄によって生後4カ月から高校卒業まで、親元から離れ乳児院や児童養護施設で生活した。「施設で暮らすことができて、私は幸せだった」。そう言い切る山本さんにとって本当につらかったのは、施設を出て「帰る場所」を失ったときの圧倒的な孤独感だったという。【黒田阿紗子】

 都内の住宅地にある山本さんの自宅。小さな民家は「昌子」の名にちなんで「まこちゃんハウス」の愛称で呼ばれる。

 築年数のたった建物の中は古民家風にリフォームされていて、床の板張りがどこか懐かしい。ここに月1回、施設出身の若者ら20人ほどが集まり、近況を語り合う。悩みを吐き出し、羽を休めるように泊まっていく女の子もいる。新型コロナウイルスの影響で生活が困難になった若者に、寄付で集めた衣類や食料品を送る支援拠点にもなっている。

 施設退所から10年近くになる山本さんは、自身の体験を踏まえ、今も施設を出たばかりの若者たちのことをとても気にかけている。まず、18歳までの人生を振り返ってもらった。

生い立ちを聞いたのは21歳の時

 生後4カ月で乳児院に預けられた。生い立ちについて、詳しいことを知ったのは成人してから。21歳の時、ファミリーレストランで父親と向き合い、4~5時間かけて話を聞いた。山本さんが生まれたころ、父親は「子育ては女性がするものだ」と思い込んで育児に関与しなかった。20歳下の母親には精神疾患があったという。

 ネグレクト(育児放棄)にあって衰弱死しそうなところを、おばさんが見つけてくれ、救急搬送された。あと何時間か遅れていたら命がなかったかもしれない――。そんな話だった。

 児童相談所に保護され、そのまま乳児院へ。当時の記憶はなく、乳児院の名前もあった場所も分からない。2歳の時、乳児院の閉鎖に伴って都内の児童養護施設に移った。

グループホームで出会った「育ての親」

 そこは住宅地の中にある2階建ての普通の民家で、一見すると児童養護施設とは分からなかった。年齢の異なる6人の子が暮らすグループホームの形態で、3人の職員が24時間ずつ交代で泊まり込む。家庭的な環境を作るために、生活する子どももケアする職員も、できるだけ構成が変わらないよう配慮されていた。近年、国が後押ししている「児童養護施設の小規模化・地域分散化」を、いち早く実践していた。

 そこで出会った45歳ほど年上の女性職員を、山本さんは「育ての親」と表現し、今も慕う。「とても厳しくて、愛情深い人。『自分は結婚しないし、子どもも産まない。だから施設の子に全力で関わっていく』と言っていた。今でも悩んだ時、一番に頭に浮かぶのは育ての親のこと」

 調理師免許を持っていて、作る料理は何でも絶品だった。子どもが楽しめるように、工夫も欠かさない人だった。学校の試験があり早く帰宅した日、ダイニングテーブルに90本もの納豆巻きが積み上げられていたこともある。

 「おいしそうに食べていると『まさこは、これが好きなんだね』と喜んでくれるのが、すごくうれしかった。それで『うん、好き』と答えちゃう」。そんなふうに「好きなもの」が自分の中に形成されていく。納豆巻きが好物になったのは、育ての親の影響という。

 小学校高学年の頃まで「世の中の子の半分くらいは施設で育っている」と本気で思っていた。職員に言ったら、「違うよ、何言ってるの」と驚かれた。それくらい、この生活が気に入っていた。

 バス旅行、海水浴、クリスマス会、餅つき大会、スキーと、季節行事がたくさんあった。企業の招待で野球や相撲観戦をしたり、米国まで行って1~2週間のボランティア体験をしたりした。夏休みに入る前日や大みそかは、みんなで夜更かしができる特別な日。ゲーム大会や映画鑑賞が楽しみだった。施設内でけんかが絶えなかった時は「子ども会議をしよう」と居間にみんなが集まり、お互いのいいところ、悪いところを伝え合うこともあった。

 気が強い性格もあってか、学校でいじめられたことは一度もない。中学生の時、一度だけ、けんかした友達に「おまえなんか施設で育ってるくせに」と言われたことがある。施設にいることをマイナスに取られたことに驚いた。逆に友達から「親から殴られた」「家でご飯を作ってもらえない」と悩みを打ち明けられた際は「みんな保護されて、施設で暮らせば幸せになるのに」と感じていた。

 こう書くと、施設の生活が満ち足りていたように受け取られそうだが、決して「いい子」だったわけではないという。育ての親から「あんたは施設に来てから、ずっと反抗期だった」と言われていたほどだ。

 いつも「怒り」という感情が抑えられなくて、暴力や問題行動で発散していた。施設に来た新人職員や実習生を、わざと無視していじめたこともある。「どうして大人が困るようなことをしてしまうのか、その頃は分からなかった」

 育ての親は、その度に根気強く向き合って…

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毎日新聞医療プレミア編集部は、国内外の医師、研究者、ジャーナリストとのネットワークを生かし、日々の生活に役立ち、知的好奇心を刺激する医療・健康情報をお届けします。