漢方ことはじめ

ワクチンで人々を救った幕末のスーパー・ドクター

津田篤太郎・NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長
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徳川斉昭公が創設した水戸藩校「弘道館」。その敷地内には「医学館」が設置されていた=水戸市提供
徳川斉昭公が創設した水戸藩校「弘道館」。その敷地内には「医学館」が設置されていた=水戸市提供

 その昔、常陸国と呼ばれていた現在の茨城県は、今でこそ魅力度ランキングで最下位の常連ですが、漢方の歴史では本間棗軒(そうけん)を含め、何人もの名医を輩出した「ホットスポット」です。かの地の医療水準を高めた立役者の一人は、誰あろう時代劇でおなじみの「天下の副将軍」、徳川光圀。

 身分を隠して諸国を漫遊し、印籠(いんろう)を振りかざして悪代官を懲らしめる黄門様は、後の世のフィクションで、光圀公の実像は大変な「学者大名」です。もっとも有名な業績は歴史書編さん事業で、幾多の論争を経て400巻以上に及ぶ「大日本史」が完成したのは光圀公の没後200年以上たった1906年! 気の遠くなるような大プロジェクトです。

 学者光圀の知的好奇心の対象は歴史にとどまらず、医学にも及んでいたようで、長崎に医師を派遣してオランダ医学を勉強させたり、侍医に命じて薬草の処方を紹介する「救民妙薬」をまとめさせたりしました。この処方集は医療にアクセスすることが難しい一般庶民向けに書かれた、いわば「家庭の医学」のような内容であり、版を重ねるベストセラーとなったようです。

 水戸藩にはもうひとり、時代劇によく登場するお殿様がいます。9代藩主の徳川斉昭です。最後の将軍、徳川慶喜の実父であり、今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では竹中直人さんが演じておられますね。斉昭も光圀を見習ったのか、学術振興の力を尽くし、1841年に弘道館という教育機関を設立しました。

 弘道館は「水戸学」と呼ばれる政治思想の中心地となり、幕末の尊王攘夷(じょうい)運動に大きな影響を与えたことで有名ですが、斉昭は医学にも並々ならぬ関心を持っていたようです。弘道館設立の2年後、構内に設置した「医学館」には、漢方生薬を輸入に頼らず国産化できるようにするための薬草園や、当時はまだ専ら病人用として供された牛乳を得るための牧場まで併設されていたといいますから、全国でも指折りの医療センターだったと思われます。そんな斉昭公肝煎りの“水戸藩立大学病院”の教授に抜てきされたのが本間棗軒です。

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津田篤太郎

NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。北里大学大学院修了(専攻は東洋医学)。東京女子医大付属膠原病リウマチ痛風センター、JR東京総合病院、聖路加国際病院Immuno-Rheumatology Centerを経て、現在、NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長。福島県立医科大学非常勤講師。著書に「未来の漢方」(森まゆみと共著、亜紀書房)、「漢方水先案内 医学の東へ」(医学書院)、「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」(上橋菜穂子との共著、文藝春秋)など。訳書に「閃めく経絡―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む! 」(D.キーオン著、須田万勢らと共訳)がある。