虐待そのあと -親から離れた私が必要としていたもの-

私は非行少女なの?/下 歌舞伎町と「自立」を漂流、その果てに

医療プレミア編集部
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親の虐待から逃げるため、新宿・歌舞伎町で10代を過ごした女性。「このあたりでキャッチに声をかけられました」。=東京都新宿区で2021年2月26日、内藤絵美撮影
親の虐待から逃げるため、新宿・歌舞伎町で10代を過ごした女性。「このあたりでキャッチに声をかけられました」。=東京都新宿区で2021年2月26日、内藤絵美撮影

 親の虐待から逃げて、東京・歌舞伎町で寝泊まりしていた高校生の女性。児童相談所に保護されたが、虐待の訴えを聞いてもらえず、素行不良の子の生活指導をする「児童自立支援施設」へ送られることになった。彼女は法が保護対象とする18歳を迎えると、生活していける見通しもないまま「自立」を余儀なくされる。21歳になり、こうして取材に応じてくれるまでには、まだいくつもの苦難があった。【黒田阿紗子】

通信制高校をやめさせられる

 2015年秋、女性は児童相談所(児相)の一時保護所から、児童自立支援施設に移された。この施設は全都道府県に設置されているものの、一般にはあまり知られていない。外部との交流がほとんどないからだ。

 入所対象は、不良行為をしたり、するおそれがあったりする子どもや、生活指導が必要な子ども。罪を犯し、少年法に基づく家庭裁判所の保護処分で入る場合もある。

 施設内に寮と小中学校があるが、高校はない。女性が通信制高校をやめさせられたのは「今は学業を中断してでも、生活指導に専念すべきだ」と公的に判断されたことになる。そのことには、いまだに納得がいなかい。

「少年院の方がまし」と言われ

 朝は午前6時半に起床する。30分間の朝読書では「だからあなたも生きぬいて」や「夜回り先生」といったノンフィクションを好んで読んだ。それが終わると畑作業。土を耕し、畝を作り、苗を植え、雑草を取る。収穫したら、男女それぞれの寮に配った。雨の日は、手芸をして過ごした。昼食とおやつの時間を除いて、作業は午後5時まで続いた。

 「この世に、社会とのつながりが断たれたこんな場所があるなんて知らなかった」。家庭的な雰囲気とは言えず、管理が徹底されていた。身に着けるのは入所の時に渡された指定のジャージーと、くたくたの下着。風呂は職員と子どもたちが一斉に入った。体に新しい傷がないか確認するのも理由の一つだと聞いた。中学生以上は、リストカットの痕や入れ墨がある子ばかりだった。

 日記を書こうにも、中身は全部職員に見られてしまうので、やめた。支給されたノートには全ページに番号が振ってあり、1枚破って隠そうものなら大問題になった。もちろんインターネットやスマートフォンは使えない。

 身の上話は禁止されていたが、職員の目を盗んで同世代でおしゃべりをした。「私が知っている子は100%、虐待経験者だった。きょうだいに育てられた子、中学生なのに字がよく書けない子もいた。社会の闇が凝縮されたような子ばかりが集まっていた」。少年鑑別所から来た子が「少年院の方が、職業訓練ができる分ましだ」と話していて、なるほど、と思った。

 それでも、この施設が嫌いだったわけではない。掃除や洗濯の仕方など、初めて学んだことは多い。何より毎日、安心して眠ることができた。一番の楽しみは、月1回だけある外出日。映画館やショッピングモールなど、指定された場所に職員同伴の下、みんなで出かける。1000~2000円ぐらいのお小遣いがもらえるので、好きなシャンプーやリンス、洗顔フォームを買った。

「家庭復帰」が一転、社会に独り

 入所から約半年で、畑仕事がアルバイトの調理補助に変わり、1年後には退所が決まった。なぜそのタイミングだったのかは分からない。ただ、家に帰るよう言われた時に感じたのは「ああ、これで自分は死ぬんだな」という絶望だった。

 退所の直前、両親が施設に面会に訪れた。そこで思わぬことが起きた。寮の部屋を案内する途中、突然父親が後ろから抱きしめてきたのだ。

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